長良川発電所第一沈砂池防水壁 ― 明治の土木技術が今も生きる、美濃の山あいの隠れた近代化遺産

岐阜県美濃市の須原地区、長良川の清流が杉木立の谷あいを縫って流れる山中に、ひっそりと立つ煉瓦造りの構築物があります。長良川発電所第一沈砂池防水壁。明治43(1910)年に竣工し、長良川発電所関連施設として国に登録された全9件の文化財のひとつです。発電所本館の赤煉瓦建築こそ広く知られていますが、本館より上流にあるこの防水壁こそ、長良川の水が初めて発電施設に「迎え入れられる」場所であり、115年以上にわたって水力発電を支え続けてきた縁の下の主役でもあります。

長良川発電所の歩み

長良川発電所建設の物語は、明治の実業史そのものといってよいほどドラマに富んでいます。最初に長良川での水力発電を構想したのは、旧岩村藩士の小林重正。明治28年に国内初の水力発電所である京都の蹴上発電所を見学したことに触発され、岐阜の山野を踏査して発電所建設の適地を探し続けました。そして長良川中流、現在の美濃市付近にもっとも有利な地点を見出します。

小林の計画は日清戦争後の不況によりいったん挫折しますが、後に日本窒素肥料を創業する野口遵らの尽力で復活し、最終的には名古屋電燈株式会社が事業を引き継ぎました。明治41年に着工。ドイツのフォイト社製水車とジーメンス社製発電機を岐阜駅から牛車で運び、さらに長良川を大筏で遡らせて建設地まで運ぶという、当時としては大事業でした。総工費約246万円を投じ、明治43年3月15日に運転を開始。出力は4,200キロワットに達しました。

運転開始の翌日には、52キロ離れた名古屋の鶴舞公園で開催されていた第10回関西府県連合共進会のイルミネーションがこの電力で点灯され、電化に向かう近代日本の象徴的な一場面となりました。発電所はその後、東邦電力、中部配電を経て、戦後の電気事業再編により昭和26年に中部電力へ譲渡され、現在に至るまで発電を続けています。

「沈砂池防水壁」とは何か

長良川発電所は、ダムではなく、河川より勾配の緩い水路を造って落差を確保する「水路式」の発電所です。総延長4.37キロメートルにおよぶ導水路(無圧トンネル・蓋渠・開渠・水路橋からなる)を通って取水された水は、上部水槽から水圧鉄管へと流れ落ち、その有効落差約27メートルを利用して水車を回します。

河川から取り入れた水には砂や砂利が含まれており、そのまま水路に流すと水車を傷め、設備を消耗させてしまいます。そこで、長い水路に水を送り出す前に、流速を落として土砂を沈殿させるための池が必要になります。これが「沈砂池」です。第一沈砂池は、導水路第一隧道の手前、すなわち水が初めてトンネルに入る直前に設けられた重要な施設で、その水量を精密にコントロールするのが本構築物――「第一沈砂池防水壁」の役割です。

構造は、ほぼ五角形の平面をもつ煉瓦及び石造の壁で、折曲りを含めた全長は約60メートル。外周には階段付きの管理用通路がめぐらされており、上部にはパラペット付きの煉瓦積壁面、下部には玉石積壁面が組み合わされています。最大の特徴は、半円アーチ形の大ゲートが4門備わり、それぞれに2つずつ小門扉が組み込まれている点です。この大小のゲートを開閉することで、トンネルへ流入する水量を細やかに調整する仕組みになっています。

登録有形文化財に指定された理由

長良川発電所第一沈砂池防水壁は、平成13(2001)年8月28日付で国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。これは長良川発電所関連の土木構造物群が一括して評価された一環で、平成19年には経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定されています。

この防水壁の文化財的価値の核心は、「明治期の水力発電土木構造物が現役で稼働し続けている」という点にあります。日本の第一世代の水力発電所の多くは、技術の進歩に伴って改修・撤去されてきましたが、長良川発電所は土木構造物の大部分を当初のまま残し、今もなお発電を続けています。地元で焼かれた煉瓦と、長良川の川原で採取されたと考えられる玉石を組み合わせた壁面は、明治の技術者たちが手近な材料で実用と美観の両立をはかった当時の設計思想を雄弁に物語る、文字どおりの「動く産業遺産」といえます。

また、長良川発電所は、本館・正門・外塀・取水口呑口上部・第二沈砂池排水路暗渠・余水路横断橋・日谷水路橋・湯之洞谷水路橋・下須原谷水路橋といった関連施設がそれぞれ別個に登録されており、明治の発電システム全体を取水口から水車まで現地で辿ることができる希少な事例として高く評価されています。

見どころ ― 観察したいポイント

第一沈砂池防水壁の魅力は、ゆっくりと観察してこそ見えてくるものです。上部の機械成形された赤煉瓦と、下部の自然な丸みをもつ玉石積み。この組み合わせは、19世紀末から20世紀初頭の欧州の産業建築によく見られる、石を「土台」、煉瓦を「構築」とする階層的な構成です。設計には、明治期に日本で活動していた外国人技師と日本人技師の協働の影響が見て取れます。

並ぶ半円アーチの大ゲートは、近代水利施設というよりは中世のロマネスク様式の修道院回廊のような静謐なリズムを醸し出します。外周をめぐる階段付き通路は、もとはゲートの点検や操作のために設けられた実用設備ですが、その重厚な造形が全体に城塞のような佇まいを与えています。

秋(11月中旬から下旬)には背後の山が燃えるように紅葉し、煉瓦の暖色と見事に呼応します。春には新緑と雪解け水の轟き、夏は谷を吹き抜ける涼風と、季節ごとに異なる表情を見せてくれます。

なお、第一沈砂池は中部電力株式会社が現在も運用する稼働中の発電施設であり、池そのものへの立入りはできません。あくまで近隣の公道や見学可能な位置からの外観鑑賞となる点をご了承ください。

周辺の見どころ

美濃市は、明治の近代化遺産と江戸期の町並み、そして無形文化遺産の和紙文化が共存する魅力的な土地です。

まずぜひ訪れたいのが、長良川発電所本館です。ばら窓風の開口部や、瓦葺屋根の名残である鬼瓦を頂いた妻面など、和洋折衷の意匠が美しい赤煉瓦建築で、明治期の発電所建築としては日本でも屈指の現存例。すぐそばには登録有形文化財の正門と外塀も並んでいます。

導水路沿いには、湯之洞谷水路橋(イギリス積みの5連アーチ煉瓦造水路橋)や日谷水路橋(鉄筋コンクリート造表面赤煉瓦貼仕上げの5連アーチ)といった近代土木の名作が点在しており、いずれも徒歩で巡ることが可能です。

少し足を延ばせば、美濃市中心部には江戸時代の商家の卯建(うだつ)が美しいうだつの上がる町並み(重要伝統的建造物群保存地区)が広がります。また、美濃は本美濃紙の産地として知られ、ユネスコ無形文化遺産「和紙:日本の手漉和紙技術」の構成要素ともなっています。美濃和紙の里会館では紙漉き体験も楽しめます。温泉好きには、防水壁から近い湯之洞温泉もおすすめです。

Q&A

Q第一沈砂池防水壁の内部に立ち入ることはできますか?
Aいいえ、立入りはできません。第一沈砂池は中部電力株式会社が現在も運用している稼働中の発電施設の一部であり、安全管理上、内部への立入りは制限されています。見学は近隣の公道や見学可能な位置からの外観のみとなりますので、現地の案内表示に従い、私有地や柵内には立ち入らないようご注意ください。
Q見学のおすすめの季節はいつですか?
A11月中旬から下旬の紅葉の時期は特におすすめで、周囲の山々が赤や金色に染まり、煉瓦の暖色との対比が美しい風景となります。新緑と雪解け水で長良川が増水する春も格別です。夏は涼しい谷風が心地よいですが、虫よけや暑さ対策はご準備ください。
Q長良川発電所は今も稼働していますか?
Aはい、明治43(1910)年3月15日の運転開始以来、現在まで稼働を続けています。昭和56(1981)年に水車と発電機が日本工営製と富士電機製に更新され、出力は4,800キロワットに増強されました。一方、防水壁や水路橋、煉瓦造の本館などの土木・建築構造物は、当初の姿のまま残されています。
Q東京や大阪からのアクセスは?
A東京からは、東海道新幹線で名古屋まで約1時間40分、その後JR高山本線で美濃太田まで進み、長良川鉄道越美南線に乗り換えるルートが一般的です。大阪からは、新幹線で名古屋まで約50分、以降は同じ経路となります。発電所関連施設は広範に点在しているため、美濃市内や美濃太田からのレンタカーが最も便利です。
Q発電所のガイドツアーはありますか?
A中部電力では、地域の文化観光イベント「長良川おんぱく」などの開催時に、本館内部や展示機器の特別公開ツアーを実施した実績があります。これらは事前予約制で開催回数も限られています。通常は内部の一般公開は行われていませんが、本館や水路橋など複数の関連施設の外観は、公道から見学することが可能です。

基本情報

名称 長良川発電所第一沈砂池防水壁
ふりがな ながらがわはつでんしょだいいちちんさちぼうすいへき
文化財種別 登録有形文化財(建造物)
登録年月日 平成13年(2001年)8月28日
竣工年 明治43年(1910年)
構造 煉瓦及び石造、全長折曲り60m、管理用通路及び水門操作場付
員数 1基
所在地 岐阜県美濃市大字須原字山ノ神858-2
所有者 中部電力株式会社
公開状況 外観のみ公道からの見学可。内部立入不可。

参考文献

長良川発電所第一沈砂池防水壁 - 文化遺産オンライン
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/193249
国指定文化財等データベース - 長良川発電所第一沈砂池防水壁
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002249
長良川発電所 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/長良川発電所
長良川発電所本館他8件 - 美濃市
https://www.city.mino.gifu.jp/docs/1174.html
中部の電気遺産を訪ねて -長良川水力発電所- (J-STAGE)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieiej/30/4/30_301/_pdf

最終更新日: 2026.05.15