山中の尾根に立つ鎌倉の塔
日竜峯寺多宝塔(にちりゅうぶじたほうとう)は、岐阜県関市下之保にある鎌倉後期の多宝塔で、明治34年(1901年)3月27日に国の重要文化財に指定された。
日竜峯寺は、地元では高澤観音の通称で親しまれている。寺名の表記は日龍峯寺とも書く。岐阜県下でもっとも古い歴史をもつ寺院とされ、開創は飛騨の古伝説に登場する両面宿儺(りょうめんすくな)に帰せられる。その像は本堂に安置されている。本尊は千手千眼観世音菩薩で、病気平癒、厄除け、安産子授けの祈願を受けてきた。
寺は標高283メートルの高沢山の中腹にある。本堂は斜面へ張り出す舞台造で、京都の清水寺と同じ構えをとることから、美濃清水の異名で知られてきた。ただしこの本堂は中世のものではない。当初の堂は応仁文明の乱の戦火で失われ、現在の建物は寛文10年(1670年)の建立である。
塔は残った。地元に伝わる話では、山腹を火が走って伽藍の多くを焼き尽くしたあと、鉈や鎌を手に駆けつけた村人たちが煙のくすぶるなかで見上げると、多宝塔だけが立っていたという。
年代、伝承、指定
国の台帳は本塔の年代を鎌倉後期とし、西暦は1275年から1332年という幅で示す。単年の特定はされていない。伝承では建立を北条政子に帰する。源頼朝の妻であり、その死後に尼将軍として実権を握った人物である。この伝承が正しければ、鎌倉将軍家の建立になる唯一の現存建造物ということになり、地元の解説はその点を強調する。ただし確たる年紀がないこと、政子の没年である嘉禄元年(1225年)と示された年代幅とに開きがあることの二点から、慎重に扱うべきだろう。確定した事実ではなく、根強い伝承として受け取るのが妥当である。
形式は三間多宝塔、檜皮葺で、1基として登録されている。多宝塔は方形の初層の上に白漆喰で仕上げた円筒形の亀腹を置き、その裾に杮板を回し、さらに方形の上層と宝形屋根、青銅の相輪を重ねる形式である。密教とともに日本の仏教建築に入った形で、法華経の真実を証明するために出現した多宝如来を表す。附として棟札3枚が同時に指定されている。
文化庁が記録する指定年月日は明治34年3月27日である。一方、地元の複数の解説は明治27年(1894年)を特別保護建造物としての当初指定年とし、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行にともなって重要文化財となったと記す。指定年については国の台帳を典拠とし、当初指定年をめぐる食い違いはここでは解消せず、そのまま記録しておく。
境内で見られるもの
登ること自体が参拝の一部になる。参道は上るにつれて狭くなり、登りきると老木の下に数百坪の平地が開ける。飛騨、美濃、伊吹、養老の山々が一望でき、これほど小規模な寺地としては視界の広さが際立つ。
多宝塔は境内に建ち、外観は普通に拝することができる。内部は事情が異なる。およそ60年ぶりの特別開帳として塔内が公開されたことがあり、岐阜県博物館がこれに合わせて多宝塔を紹介する企画展示を行うほどの出来事だった。この種の開帳は定期的な行事ではないため、内部の拝観を目的とするなら、事前に寺へ確認したい。
本堂もそれ自体として見応えがある。五間四面、入母屋造、檜皮葺。岩盤の上に柱を立てて斜面へ張り出させ、前方を舞台とする。清水寺との類似は数世紀にわたって語り継がれてきたほど明瞭である。県および市の指定文化財となっている。
境内にはほかに二つ。市指定天然記念物の千本桧は、株立ちの姿で高さ約20メートルに達する。もう一つはみたらしの霊水で、眼病に効くと地元では伝えられる。
本堂の両面宿儺像の開帳は年に一度、11月第三日曜日である。また毎月第三日曜日は本尊の縁日にあたり、普段は入ることのできない本堂内陣と籠堂が参拝者に開かれる。
高澤観音への道
所在地は関市下之保。関市の中心部から車でおよそ30分の道のりである。県道関金山線を下呂方面へ進み、多良木公園付近の高澤観音口を折れる。最後の区間は道幅が狭く、対向車とのすれ違いには注意がいる。駐車場は用意されている。
公共交通での便はよくないため、実際には車かタクシーが選択肢となる。境内に入場口はなく、多宝塔も本堂も無料で外から拝観できる。外観の撮影に制限はない。
寺から山上へは登山道が延びており、参拝と合わせて歩く人も多い。歩くつもりであれば、境内散策の延長ではなく山道として、それなりの靴を用意したほうがよい。
関市は刃物の産地として知られ、市街の関鍛冶伝承館は下之保への遠出と組み合わせやすい。開帳や特別拝観については寺へ直接問い合わせることになる。
Q&A
- 日竜峯寺多宝塔は誰が、いつ建てたのですか?
- 国の台帳は日竜峯寺多宝塔の年代を鎌倉後期、西暦1275年から1332年の幅で記録します。伝承は尼将軍・北条政子の建立とします。確たる裏付けはないため、伝承として受け取るのが妥当です。
- 日竜峯寺多宝塔の内部は見られますか?
- 日竜峯寺多宝塔の外観は無料で常時拝観できます。内部はおよそ60年ぶりの特別開帳が行われたことがありますが、定期的な公開ではないため、内部拝観を目的とする場合は事前に寺へ確認してください。
- 日竜峯寺多宝塔が重要文化財に指定されたのはいつですか?
- 文化庁は日竜峯寺多宝塔の指定年月日を明治34年(1901年)3月27日と記録しています。地元の資料には当初指定を明治27年(1894年)とするものもあり、この食い違いは未解決です。
- 日竜峯寺多宝塔へはどう行けばよいですか?
- 日竜峯寺多宝塔は関市下之保の日竜峯寺境内にあり、関市中心部から車で約30分です。最後の区間は道幅が狭くなります。駐車場はありますが、公共交通の便はよくありません。
- 日竜峯寺多宝塔のある寺には、ほかに何がありますか?
- 日竜峯寺多宝塔のほかに、清水寺を模した寛文10年(1670年)建立の舞台造本堂、市指定天然記念物の千本桧、みたらしの霊水があります。両面宿儺像の開帳は11月第三日曜日です。
基本情報
| 名称 | 日竜峯寺多宝塔(にちりゅうぶじたほうとう)/寺名の表記は日龍峯寺とも。通称は高澤観音 |
|---|---|
| 所在地 | 岐阜県関市下之保 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/近世以前・寺院。附として棟札3枚を指定 |
| 指定年 | 明治34年(1901年)3月27日 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 国の台帳に寸法の記載はなく、形式は三間多宝塔、檜皮葺、年代は鎌倉後期(1275年から1332年)と記録される |
| 所有者 | 日竜峯寺 |
| 公開状況 | 外観は常時拝観可、入場口なし。内部は不定期の特別開帳時のみ |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「日竜峯寺多宝塔」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1093
- 日龍峯寺(高澤観音)公式ホームページ
- https://www.takasawakannon.com/
- 関市役所公式ホームページ「日龍峯寺(高澤観音)」
- https://www.city.seki.lg.jp/kanko/0000001100.html
- 岐阜県博物館「けんぱく・関市連携企画展示 60年ぶりの御開帳 日龍峯寺多宝塔」
- https://www.gifu-kenpaku.jp/kikakuten/syokawa/
- 岐阜県観光公式サイト 岐阜の旅ガイド「日龍峯寺(高澤観音)」
- https://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_6343.html
最終更新日: 2026.08.06