三宅家住宅裏長屋門とは

三宅家住宅裏長屋門(みやけけじゅうたくうらながやもん)は、広島県安芸郡海田町稲荷町にある江戸時代後期(1751年から1830年)の木造平屋建の長屋門で、平成29年(2017年)5月2日に登録有形文化財となった。屋根は瓦葺、建築面積は53平方メートルある。

三宅家住宅の敷地は南北に細長く、北端の主屋が旧西国街道に面するのに対し、三宅家住宅裏長屋門は南端に建って敷地を画している。文化庁の解説によれば、この門はもともと瀬野川の旧流路の河岸に面していた。「裏」の名は、街道側を表とした屋敷の背面の門であることを示す。

本体は桁行8間半、梁間1間半の東西に長い棟で、門口は中央から少し西に寄せて開く。門口の西側では、桁行3間、梁間2間の部分が北へ延び、厩舎になっている。

登録の理由と価値

三宅家住宅裏長屋門の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁の解説は、水陸の中継商業で栄えた海田町の歴史を示す建物として、この門を評価している。

海田町の文化財紹介は、街道に店を設けた主屋と、河港に面した裏長屋門を、敷地内の通路が結んでいたと説明する。表の街道が陸の道、裏の河岸が川の道で、三宅家住宅裏長屋門はその川の側の出入口にあたる。

門に厩舎が組み込まれていることにも意味がある。馬は陸上の運搬を担う。川に面した門のすぐ内側に馬をつなぐ場所があるという配置は、舟で着いた荷を陸の運搬に移す、あるいはその逆の、水と陸の結び目としてこの門が働いていたことをうかがわせる。登録の評価と、建物の形がここで重なっている。

見どころ

8間半の長い棟

三宅家住宅裏長屋門の本体は桁行8間半で、登録された6棟のなかでは東西方向に最も長い。梁間は1間半と浅く、細長い棟が敷地の南の幅いっぱいに横たわって、屋敷の背面を閉じている。

中央から外した門口

門口は棟の中央ではなく、やや西に寄せて開く。門口の西側に厩舎が北へ延びることを考えると、門をくぐってすぐ脇に馬の出入りがある配置になる。左右対称よりも、使い勝手を優先した位置取りと見られる。

北へ延びる厩舎

西側では、桁行3間、梁間2間の部分が北へ張り出して厩舎となる。長屋門の本体と合わせると、平面は鉤の手に折れた形になる。長屋門の内部に部屋や物置を設ける例は多いが、三宅家住宅裏長屋門では、その一角が馬のための空間に充てられている。

見学

三宅家住宅裏長屋門は個人の住宅の門で、通り抜けることはできず、内部も公開されていない(2026年9月27日確認)。

門は敷地の南端に建つ。かつて面していた瀬野川の旧流路がいまどうなっているか、門の南面を公道から見られるかどうかは、文化庁と海田町の資料からは確かめられなかった。訪れる場合は、旧西国街道側からではなく敷地の南側に回ることになる。外から見える範囲にとどめ、門口に近づいたり、門の内側にカメラを向けたりすることは控えたい。

Q&A

Q三宅家住宅裏長屋門はいつ建てられましたか。
A江戸時代後期(1751年から1830年)の建築とされています。
Q三宅家住宅裏長屋門はなぜ「裏」の門と呼ばれるのですか。
A旧西国街道に面した主屋を表とし、その反対の敷地南端に建つ門だからです。もとは瀬野川の旧流路の河岸に面していました。
Q三宅家住宅裏長屋門の大きさはどのくらいですか。
A本体は桁行8間半、梁間1間半の木造平屋建で、建築面積は53平方メートルです。
Q三宅家住宅裏長屋門の厩舎はどこにありますか。
A門口の西側で、桁行3間、梁間2間の部分が北へ延びて厩舎になっています。
Q三宅家住宅裏長屋門は見学できますか。
A通り抜けや内部の見学はできません。門の南面が公道から見えるかどうかは確認できていません。

基本データ

名称三宅家住宅裏長屋門(みやけけじゅうたくうらながやもん)
所在地広島県安芸郡海田町稲荷町184
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 34-0212
指定年平成29年(2017年)5月2日登録
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦葺、建築面積53平方メートル
所有者個人
公開状況非公開

参考文献

国指定文化財等データベース 三宅家住宅裏長屋門(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00011562
文化財(近世)(海田町)
https://www.town.kaita.lg.jp/site/kaita-info/698.html
三宅家住宅が国登録有形文化財(建造物)へ(広報かいた 2017年1月号、海田町)
https://www.town.kaita.lg.jp/img/koenokouhou/201701/02.html

最終更新日: 2026.09.26