明治44年に建った木造二階建の米倉

旧山谷家住宅木倉(きゅうやまやけじゅうたくきくら)は、北海道石狩市八幡町高岡にある明治44年(1911年)建築の木造二階建の倉で、令和6年(2024年)3月6日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。地元では「板倉」と紹介されることもある。

建築面積は42平方メートル。同じ屋敷地の北東に建つ石倉の倍を超える大きさで、木造と石造、二十七年の間隔をおいて建てられた二棟の米倉が一つの農家に揃っている。この事実だけで、山谷家の経営規模はおおよそ見当がつく。

建物は東を向いて建ち、鉄板葺の切妻屋根をかける。東面の中央に戸口を設け、外壁は下見板張。文化庁の記録は収納物を「米や雑穀」とする。石倉が米に限られていたのに対し、こちらは扱う範囲がやや広い。内部の造りにもそれが反映されている。

この規模の米倉が必要になるまで

高岡はもともと農地に向いた土地ではなかった。旧石狩町域の北東端、標高10〜20メートルの台地で、開拓前は自然林が広がり、わずかに炭焼きが行われていたにすぎない。明治18年(1885年)、山口県から20戸106人が入植したのが開拓の始まりで、明治28年(1895年)には山口県からの第二陣が入り、前後して徳島、富山、秋田、石川、新潟、青森、福井、愛媛からの入植者が加わった。

最初に播かれたのはソバ、ムギ、アワ、ヒエ。無肥料でも育つ作物である。米はこの緯度では難物だった。明治22年(1889年)、竹中與右衛門が高岡で水稲栽培を成功させる。石狩における最初の成功例とされ、これを機に稲作が広がっていく。ただし水の供給は長く不安定で、上流の開発による流量減少に対応して五の沢川と地蔵沢川をせき止め、五の沢池と高富貯水池が完成したのは昭和5年(1930年)のことである。

山谷家はこの土地に、すでに蓄えた資本を持って入ってきた。屋敷地を運営する「いしかり古民家ツーリズム」によれば、同家は鮭漁で財を為し、明治40年代に五の沢で農業を始めたという。母屋と、馬小屋を兼ねた大きな納屋が明治43年(1910年)。この木倉はその翌年に建った。米倉を二棟持つことが大農家であったことを示す、と同ツーリズムは記している。

棟木を支える一本の柱

この倉の構造上の見どころは、内部の一つの判断に集約される。建物の中央に独立柱を立て、これで棟木を受けているのである。屋根の荷重を外周の壁だけで処理せず、平面の中心を通して下ろす。結果として床には支障となる部材が少なく、穀物の袋を積み下ろしする土間として使いやすくなる。

各階とも板敷。一階の南端は穀物用に三室に仕切られており、作物の種類や収穫年を混ぜずに分けて置けるようになっている。二階は間仕切りを設けず物置に充てられた。

外に回れば下見板張の壁が続く。この気候で木の外装を保つには定期的な板の入れ替えが避けられず、この倉も建築から六十年余りを経た昭和50年(1975年)頃に改修を受けている。それでも登録に至った点に、登録有形文化財という制度の考え方が表れている。適切な補修は、建物を立たせ使い続けるための代価として受け入れられる。

文化庁が掲げる正面写真の標題は「正面(東面・シャッター閉)」。中央の戸口には現在シャッターが下りている。当初のものではないが、この倉が明治44年からずっと後まで実用の農業施設であり続けたことの証拠でもある。

見学の実際と、屋敷地に残るもの

先に条件を書いておく。木倉は株式会社AI建築の所有で、内部は公開されていない。特別公開の予定についても公表された情報はない。この住所に人を呼んでいるのは、隣に建つもう一棟のほうである。

昭和13年(1938年)建築の石倉は同じ日に登録され、現在は樋口季一郎記念館として公開されている。開館は木・金・土・日曜日の午前11時から午後3時まで、入館料は高校生以上500円、中学生以下は無料。冬季は同じ4日間で完全予約制となる。母屋と納屋は古民家の宿Soliiとして一棟貸しに改装されており、屋敷地に泊まることもできる。

木倉は石倉の南西に建つ。記念館を訪ねれば、すでに同じ屋敷地に立っていることになる。ただし木倉は私有かつ使用中の建物なので、当日どこまで見学・撮影できるかは受付で確認してほしい。

交通は車が前提になる。高岡地区に鉄道駅はなく、実用に足る路線バスもない。札幌駅から約45分、JR石狩当別駅から約15分、新千歳空港からは約1時間20分が目安である。訪ねる時期を選べるなら9月下旬から10月がいい。台地の下に広がる水田が色づき、刈り取りの済んだ田を背にした倉の姿は、ここが米を収めていた建物であることを一目で理解させてくれる。

Q&A

Q旧山谷家住宅木倉の内部は見学できますか?
A内部は公開されていません。株式会社AI建築の所有する私有建造物で、特別公開の予定も公表されていません。同じ屋敷地にある石倉が樋口季一郎記念館として公開されているため、記念館を訪ねれば木倉のある敷地内に入ることになります。当日の見学・撮影の可否は受付でご確認ください。
Q旧山谷家住宅木倉はいつ、何のために建てられたのですか?
A明治44年(1911年)、山谷家の農場で米や雑穀を収納するために建てられました。木造二階建、鉄板葺、建築面積42平方メートルで、外壁は下見板張です。昭和50年(1975年)頃に改修を受けています。母屋と納屋はその前年の明治43年の建築です。
Q旧山谷家住宅木倉の内部構造にはどんな特徴がありますか?
A建物の中央に独立柱を立て、これで棟木を支えている点が特徴です。屋根の荷重を外壁だけでなく平面の中心を通して下ろしています。各階とも板敷で、一階の南端は穀物用に三室に仕切られ、二階は間仕切りのない物置とされました。
Q旧山谷家住宅木倉が令和6年に登録有形文化財になった理由は?
A令和6年(2024年)3月6日、登録番号01-0168として、隣の石倉と同じ第106回登録で登録されました。適用された基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」です。文化庁の解説文は、木倉が石倉とともに集落景観を形成していると記しています。
Q旧山谷家住宅木倉へのアクセス方法は?
A所在地は北海道石狩市八幡町高岡102-16です。高岡地区には鉄道駅がなく実用的な路線バスもないため、車での来訪が前提になります。札幌駅から約45分、JR石狩当別駅から約15分、新千歳空港からは約1時間20分が目安です。

基本情報

名称旧山谷家住宅木倉/きゅうやまやけじゅうたくきくら
所在地北海道石狩市八幡町高岡102-16
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 01-0168 第106回登録
指定年令和6年(2024年)3月6日 登録
員数1棟
寸法木造2階建、鉄板葺、建築面積42平方メートル(明治44年建築/昭和50年頃改修)
所有者株式会社AI建築
公開状況内部非公開。隣接する石倉は樋口季一郎記念館として公開(木〜日曜日 11:00〜15:00)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「旧山谷家住宅木倉」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014703
文化庁 国指定文化財等データベース「旧山谷家住宅石倉(樋口季一郎記念館)」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014702
北海道教育庁生涯学習推進局文化財・博物館課「国の登録文化財一覧」
https://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/bun-hogo-tourokuitiran.html
いしかり古民家ツーリズム「旧山谷家」
https://www.ishikari-kominka.jp/yamaya/
石狩市「高岡の歴史」
https://www.city.ishikari.hokkaido.jp/museum/1001801/1004573/1004685.html
樋口季一郎記念館「所在地・アクセス」
https://higuchi-museum.jp/access.html

最終更新日: 2026.08.27