ゆとうや旅館渡り廊下:玄武洞の六角に着想を得た数寄屋の遊び心
兵庫県北部の城崎温泉、その中心に位置する老舗旅館「ゆとうや」。二千坪ともいわれる広大な敷地の南側に点在する建物を結ぶのが、国登録有形文化財「ゆとうや旅館渡り廊下」です。単なる建物間の移動のための廊下ではなく、途中に浴室や東屋を設けた、館内を巡る「小さな旅」のような空間。数寄屋の粋な意匠をベースにしながら、近くの天然記念物「玄武洞」にちなんだ六角形や、松竹梅を模した飾り窓など、随所に遊び心があふれる近代の傑作建築です。
340年余の歴史を刻む老舗旅館
ゆとうや旅館の始まりは1688年(元禄元年)にまで遡ります。初代・六左衛門が「油筒屋」として家業を興したのが起源とされ、六代目の頃には湯治客のための宿屋も営むようになりました。以来、多くの文人墨客に愛され、やがて皇族方の宿所としても知られるようになっていきます。
ただし、現在の建物群は元禄以来そのまま残っているわけではありません。1925年(大正14年)に発生した北但大震災によって、城崎温泉街とともに旅館の建物はすべて焼失してしまいました。その後、第12代・西村六左衛門が約10年の歳月をかけて建物・庭園・書画骨董の整備に心血を注ぎ、今日に伝わる姿がかたちづくられていきました。渡り廊下は、この再建後の昭和中期にあらためて加えられた構造物で、成熟した庭園に新たな建築意匠を重ねるように配されています。
なぜ文化財に指定されたのか
ゆとうや旅館渡り廊下は、2015年(平成27年)8月4日付で国の登録有形文化財(建造物)として登録されました。登録番号は28-0609。登録基準は「造形の規範となっているもの」──すなわち、後世の建築の手本となりうる造形的価値をもつ建造物として評価されたのです。
評価のポイントは大きく三つあります。第一に、構造的な独創性。この渡り廊下は、鉄筋コンクリート造と木造を併用した混構造の平屋建てで、屋根は瓦葺と銅板葺を使い分けています。近代的な構造技術と伝統的な意匠を違和感なく融合させた点が、当時としては意欲的でした。第二に、数寄屋意匠の応用。茶室建築に由来する洗練された美意識を、旅館の動線という日常的な空間に拡張することで、単なる廊下を瞑想的な場へと昇華させている点が評価されました。第三に、地域性の反映。すぐ近くの天然記念物・玄武洞に由来する六角形の意匠を装飾の主題として取り込み、建物に但馬の風土を刻み込んだ手法が、類例のない造形と認められたのです。
見どころ:数寄屋と奇抜が同居する空間
この渡り廊下は、建築面積にしておよそ168㎡。敷地南の建物同士を結ぶ役割を担いながら、その経路上に浴室や東屋(あずまや)が巧みに組み込まれており、ただ移動するだけで庭園を味わえる構成になっています。
最も特徴的なのは、各所に現れる六角形のモチーフです。一部の平面は六角形にかたちづくられ、壁面には六角格子が嵌め込まれています。これらはいずれも、円山川を挟んですぐ近くに位置する国の天然記念物「玄武洞」の柱状節理──自然が生み出した六角形の造形──へのオマージュ。城崎という土地の風景と建物を深く結びつける、粋な地域表現となっています。
もうひとつの見どころが、松・竹・梅を模した飾り窓です。縁起のよい「松竹梅」の意匠を窓のかたちに落とし込むというユーモラスな発想は、ゆっくり歩いて目を凝らさなければ見逃してしまうほど、控えめに、しかし確かに仕込まれています。全体としては自然素材と端正な仕口による数寄屋らしい静けさをたたえながら、随所に思わず微笑んでしまうような造形が隠されている──品格と遊び心が同居した、稀有な空間です。
訪れるには
ゆとうや旅館渡り廊下は、現在も営業中の私営旅館の一部であり、公開されている博物館ではありません。基本的には、宿泊客が「桂雲館」「雲生亭」「滴水楼」「扶老亭」「臥龍閣」の各棟や、浴場・庭園を行き来する際にその意匠を楽しむかたちになります。建築を最も深く味わうには、実際に宿泊して敷地と料理、そして老舗ならではのもてなしとあわせて体験するのがおすすめです。
城崎温泉へは、京都・大阪方面からJR山陰本線の特急(きのさき/こうのとり/はまかぜ)が直通運転しており、城崎温泉駅までアクセスできます。ゆとうやは城崎温泉駅から徒歩5分ほど、温泉街の中心にある外湯「一の湯」の真向かいに、どっしりとした門構えで建っています。
周辺の見どころ
城崎温泉といえば、浴衣と下駄で楽しむ「外湯めぐり」が名物です。温泉街には個性の異なる七つの外湯が点在し、ゆとうやの目の前にある「一の湯」は歌舞伎座を思わせる桃山様式の外観と、裏山の岩をくりぬいた洞窟風呂で知られます。駅前の「地蔵湯」は、外観は和風灯籠をイメージしつつ、正面に大きな六角形の窓を配したモダンなデザイン──この六角形もまた、渡り廊下と同じく玄武洞に由来する意匠です。城崎の街全体が、玄武洞の造形を愛で、取り入れてきた土地であることが感じられます。
地質の源泉そのものを見たい方には、玄武洞公園の見学がおすすめです。約160万年前の火山活動によって流れ出た溶岩が冷える過程でつくり出した柱状節理の景観は圧巻で、玄武洞・青龍洞・白虎洞・北朱雀洞・南朱雀洞の五つの洞が国の天然記念物に指定されています。玄武洞は、地球科学者・松山基範による地磁気逆転発見の研究の舞台としても国際的に知られる重要なジオサイト。山陰海岸ユネスコ世界ジオパークの構成資産でもあります。城崎温泉駅からはタクシーで約8分です。
文学好きの方には、志賀直哉の短編「城の崎にて」の舞台として知られる城崎の文学散歩もおすすめです。柳並木の大谿川沿いを浴衣姿で歩けば、近代の文豪たちが愛した湯の街の風情に自然と溶け込んでいけることでしょう。
Q&A
- 宿泊しなくても渡り廊下を見学できますか?
- 渡り廊下は営業中の私営旅館の一部であり、一般公開されている文化財ではありません。建築をじっくりと体験するには宿泊がおすすめです。見学や撮影のご相談は、ゆとうや旅館へ直接お問い合わせください。
- なぜ六角形のデザインが各所に使われているのですか?
- 六角形の平面や格子壁は、豊岡市内にある国の天然記念物「玄武洞」の柱状節理に由来します。玄武洞の玄武岩が自然につくり出す六角形のかたちを建築意匠に取り込むことで、地域の自然と建築を結びつけた造形となっています。
- 渡り廊下はいつごろ建てられたのですか?
- 昭和中期、西暦1946年から1965年の間に建造されたとされています。1925年の北但大震災後の再建事業の流れの中で、成熟していく敷地に新たに加えられた建築物です。
- 「数寄屋意匠」とはどのような様式ですか?
- 数寄屋は茶室建築を源流とする日本の洗練された建築様式で、自然素材と端正な仕口、静謐な美意識を特徴とします。旅館の廊下にこの様式を応用することで、移動という日常的な行為を、庭や光とともに味わう瞑想的な体験へと昇華させています。
- 見逃したくない装飾の見どころは?
- 松・竹・梅を模した飾り窓は、ぜひじっくりと探していただきたいポイントです。日本で古来より縁起のよい組み合わせとされる「松竹梅」を、窓のかたちそのものに落とし込んだユーモラスな意匠が、随所にさりげなく配されています。
基本情報
| 名称 | ゆとうや旅館渡り廊下(ゆとうやりょかんわたりろうか) |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県豊岡市城崎町湯島字愛宕373 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録番号 | 28-0609 |
| 登録年月日 | 2015年(平成27年)8月4日 |
| 登録基準 | 造形の規範となっているもの |
| 時代 | 昭和中期(1946年~1965年) |
| 構造及び形式 | 鉄筋コンクリート造及び木造平屋建、瓦葺及び銅板葺、建築面積168㎡ |
| 員数 | 1棟 |
| 所有者 | 株式会社油筒屋 |
| 最寄駅 | JR山陰本線 城崎温泉駅から徒歩約5分 |
参考文献
- 文化遺産オンライン「ゆとうや旅館渡り廊下」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213347
- 国指定文化財等データベース(文化庁)登録番号00010683
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010683
- ゆとうや旅館 公式サイト「有形文化財登録記念ページ」
- https://www.yutouya.com/cultural/
- ゆとうや旅館 公式サイト
- https://www.yutouya.com/
- 城崎温泉観光協会「ゆとうや」
- https://kinosaki-spa.gr.jp/stay/yutouya/
- 山陰海岸ジオパーク「玄武洞公園・赤石周辺」
- https://sanin-geo.jp/geosites/genbudo/
- 城崎温泉観光協会「外湯」
- https://kinosaki-spa.gr.jp/about/spa/
最終更新日: 2026.04.23