岡倉天心旧宅・庭園及び大五浦・小五浦――近代日本美術の発信地、太平洋を望む天心の聖地

太平洋の荒波が深く切り込む断崖に抱かれた茨城県北茨城市の五浦(いづら)海岸。その一角に、近代日本美術の思想的指導者・岡倉天心(1862〜1913)が自ら設計した邸宅と庭園、そして思索の場として知られる朱塗りの六角堂が今も残されています。眼下に広がる大五浦と小五浦の二つの入江は、点在する岩礁とともに庭園の借景として取り込まれ、建築・庭園・自然が一体となった希有な文化的景観を形づくっています。本遺跡は2014年(平成26)3月、国の登録記念物(名勝地・遺跡関係)に登録されました。

偶然の出会いから生まれた拠点

1903年(明治36)5月、画家・飛田周山に案内されて、岡倉天心はこの地を初めて訪れました。当初は福島県側の海岸を視察していたものの天心の心には響かず、東京への帰路、周山が近隣の景勝地として五浦を紹介したことが転機となります。一目見てこの土地に魅せられた天心は、即座に別荘を構えることを決意。同年7月に約922坪の土地が取得され、8月1日付で岡倉覚三(天心の本名)名義に登記されました。

1898年(明治31)に東京美術学校校長の職を辞した天心は、同年に日本美術院を創立。1904年(明治37)には1年間のボストン滞在を経て邸宅の大改造に着手し、1906年(明治39)11月には日本美術院そのものを五浦へ移設しました。横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山ら近代日本画を代表する画家たちが家族とともに移住し、この鄙びた漁村は、近代美術史に輝かしい一頁を刻む創作の拠点となったのです。

天心みずからが手がけた建築と庭園

居宅と長屋門

邸宅の設計は天心自身が行い、施工は地元の棟梁・小倉源蔵が担いました。建築には観浦楼(かんぽろう)と呼ばれる近隣の割烹で使われていた古材が活かされ、瀟洒(しょうしゃ)な数寄屋風の木造平屋として整えられています。海に向かって緩やかに傾斜する固い岩盤の上に建つため、敷地造成の一部にはダイナマイトが用いられたと伝わります。母屋の中心部分と長屋門は明治期当時の姿を今に伝えており、訪れる者は天心が暮らした空間に直接触れることができます。

六角堂――観瀾亭

1905年(明治38)、天心は断崖の突端に小さな六角形の堂を自ら設計して建てました。「瀾(大波)を観る亭(あずまや)」という意味を込めて「観瀾亭」と名づけられたこの堂は、思索と瞑想のための私的な空間でした。法隆寺夢殿、京都・頂法寺の六角堂、さらには杜甫の草堂への連想も指摘される独特の意匠は、寺院建築・茶室・文人の隠棲所の感覚を一身に併せもっています。土台は炭酸塩コンクリーションと呼ばれる極めて固い海中堆積岩で、海面のすぐ上に張り出すように建つ構造は、訪れる者を波打つ海にそのまま投げ出すかのような開放感に包みます。

大陸を越えた庭の意匠

長屋門から母屋へ続く小径は、苔むした土塁と松林の間を緩やかに下っていきます。母屋の前に広がる芝生は、天心がボストンから持ち帰った種を蒔いて育てたものと伝えられ、二つの文化の間を生きた天心の人生を象徴する一画となっています。庭園は奥に向かってさらに開け、大五浦・小五浦の岩礁群を借景として取り込んでいます。庭の終わりはそのまま太平洋に溶け込み、人工と自然の境界をやわらかに消し去る構成が、近代の造園文化における類例の少ない達成として高く評価されています。

登録記念物としての価値

本遺跡は、2014年(平成26)3月に国の登録記念物(名勝地関係および遺跡関係)に登録されました。建造物としての居宅・長屋門・六角堂は、すでに2003年(平成15)に国の登録有形文化財に指定されています。登録の意義は二つの軸に整理されます。第一に、近代日本美術の発展と文化財保護に多大な功績を残した岡倉天心が、その晩年の活動拠点とし、日本美術院の画家たちが集った歴史的な遺跡であること。第二に、邸宅・庭園・周辺の海岸景観が一体となって構成された明治期の造園例として、近代造園文化の発展に寄与した意義深い事例であることです。指定面積は約42,467平方メートルにおよびます。

見どころ

復興した六角堂

2011年(平成23)3月11日の東日本大震災では、押し寄せた津波により六角堂が流失し、台座のみが残されました。その後、全国からの支援と寄付により、福島県いわき市の杉、岡山県高梁市西江邸のベンガラ、愛知県の瓦、英国製のガラス、茨城県大子町産の御影石など各地から集まった素材によって忠実に復元され、2012年(平成24)4月に再建が完了しました。現在の六角堂は、天心の構想と被災地の復興という二重の意味を担う、東日本沿岸の象徴ともいえる建物となっています。

堂内からの眺め

六角堂の内部は約10平方メートル、一辺約1.8メートル、高さ約6.2メートルというごく小さな空間ですが、海側の窓から差し込む光と眼前の太平洋が、不思議なほどの広がりを感じさせます。天心がここで何を思索したのか、その息遣いを偲びながら静かに座ると、海の音だけが堂内を満たします。

天心記念館

同じ敷地内にある天心記念館では、天心の遺品、書簡、関連資料が展示されています。中心となるのは、昭和を代表する彫刻家・平櫛田中(ひらくし でんちゅう)の手になる「五浦釣人」の像で、海辺で釣りをする折の天心の姿を写した作品です。1963年(昭和38)の像の寄贈を機に記念館が整備され、以来、研究と顕彰の場として親しまれています。

大五浦・小五浦の景観

高さ50メートルにも及ぶ断崖と、波に削り出された岩礁が点在する大五浦・小五浦の景観は、「日本の渚百選」にも選ばれ、「関東の松島」とも称される五浦海岸の象徴です。庭園からも望めるこの自然のドラマは、天心の作庭が人為と自然の境を取り払うことを意図していたことを今も鮮やかに伝えます。

参観のご案内

本遺跡は茨城大学五浦美術文化研究所として管理されています。長屋門で入館料を支払い、敷地内の天心記念館・天心邸・六角堂を巡る形となります。所要時間は30〜40分が目安ですが、海を望みながらゆっくり過ごす方も少なくありません。

開館時間

  • 4月〜9月:8:30〜17:30(最終入館17:00)
  • 10月・2月・3月:8:30〜17:00(最終入館16:30)
  • 11月〜1月:8:30〜16:30(最終入館16:00)
  • 休館日:原則月曜日(祝日の場合は翌日)

入館料

  • 一般:400円
  • 団体(20名以上)/70歳以上:350円
  • 中学生以下:無料

アクセス

JR常磐線・大津港駅から約3km。徒歩約40分、タクシーで約10分(1,000円強)です。北茨城市コミュニティバス「六角堂入口」停留所が最寄りですが、運行日が限られているため、事前に最新の時刻表をご確認ください。駐車場は約10台分あり、満車の場合は近隣の市営無料駐車場が利用できます。

周辺の見どころ

少し足を延ばすと、五浦岬公園からは六角堂と大五浦・小五浦、そして太平洋を一望する絶景に出会えます。同公園内には、2013年公開の映画『天心』のロケセットとして再現された日本美術院研究所が残されており、当時の様子を偲ぶことができます。茨城県天心記念五浦美術館では横山大観をはじめとする五浦の画家たちの作品を鑑賞でき、近隣の平潟漁港は冬のあんこう鍋でも知られています。

Q&A

Q六角堂は当時のものですか、それとも再建ですか。
A現在の六角堂は、2011年3月11日の東日本大震災の津波で流失した後、2012年4月に復元再建されたものです。詳細な記録に基づき、全国から寄せられた素材によって忠実に再現されています。なお、津波に耐えた台座は当初のものです。
Q見学にどの程度の時間が必要ですか。
A研究所敷地内のみであれば30〜40分が目安です。近隣の五浦岬公園まで足を延ばす場合は、合計1時間半〜2時間程度を見込まれることをおすすめします。
Q天心邸や六角堂の中に入れますか。
A長屋門で入館料をお支払いいただいた後、六角堂内部の見学が可能です。天心邸は中心部分と長屋門が明治期当時のもので、外観や縁側からの拝観を中心にお楽しみいただけます。
Q天心はなぜ五浦のような遠隔地を選んだのですか。
A1903年5月、画家の飛田周山に案内されてこの地を訪れた天心は、断崖と松、太平洋が織りなす景観に心を奪われ、即座に別荘を構えることを決めました。1898年に東京美術学校校長を辞職し日本美術院を創立した天心は、東京の美術界から距離を置き、新たな創作と思索の拠点を求めていたのです。
Q公共交通機関でのアクセスは可能ですか。
A最寄りはJR常磐線・大津港駅で、徒歩約40分、タクシーで約10分です。北茨城市コミュニティバス「六角堂入口」停留所もありますが、運行日が限られているため、事前に時刻表をご確認のうえお出かけください。

基本情報

名称 岡倉天心旧宅・庭園及び大五浦・小五浦
指定区分 国登録記念物(名勝地関係・遺跡関係)/2014年(平成26)3月登録
所在地 〒319-1702 茨城県北茨城市大津町五浦727-2
設計 岡倉天心(邸宅・六角堂ともに自身の設計)
棟梁 小倉源蔵(地元の大工棟梁)
竣工 邸宅:1903年(明治36)/大改修:1904年(明治37)/六角堂:1905年(明治38)/六角堂再建:2012年(平成24)
指定面積 約42,467平方メートル
管理 茨城大学五浦美術文化研究所
電話 0293-46-0766

参考文献

文化遺産オンライン「岡倉天心旧宅・庭園及び大五浦・小五浦」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/376514
茨城県教育委員会「岡倉天心旧宅・庭園及び大五浦・小五浦」
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/bunkazai-registered-6625/
茨城大学五浦美術文化研究所 公式サイト
https://rokkakudo.izura.ibaraki.ac.jp/
北茨城市観光協会「国の登録記念物 岡倉天心旧宅・庭園及び大五浦・小五浦」
http://www.kitaibarakishi-kankokyokai.gr.jp/page/page000016.html
ウィキペディア「六角堂(北茨城市)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/六角堂_(北茨城市)

最終更新日: 2026.04.27