神奈川県・江戸
Edo神奈川県 の江戸時代(1603 – 1868)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
後陽成天皇の第九皇子で摂政・関白を務めた一条恵観が、京都西賀茂に自ら設計した数寄屋造の茶屋。昭和34年に庭石ごと鎌倉へ移築され、正保頃の皇族建築として現存する重要文化財です。桂離宮や修学院離宮と同時代の朝廷文化を伝えます。
川崎市の日本民家園にある旧伊藤家住宅は、17世紀末〜18世紀初めの名主の農家です。ヒロマの竹簀子の床、正面のシシ窓、床の間も天井もない12畳のデイなど、中層農家の古い姿を残し、民家園誕生のきっかけとなった重要文化財です。
遊行寺の石垣及び築地塀は、惣門の左右に矩折れにのびて門前の広場を区画する。石垣は安山岩切石を高さ約一・九メートルに布積し延石を廻らす。江戸末期の築造で、近世以来の門前の様相を保ち、歴史的景観に寄与するものとして登録された。
總持寺虎嘯窟は安政年間に建ち、明治44年(1911年)に山形県鶴岡市の総穏寺から移された貫首の住まい。15畳と17.5畳の座敷に床・棚・蟻壁・彫刻欄間を備えた書院造。平成17年に登録有形文化財に登録。
總持寺放光堂は安政年間に山形県鶴岡市の総穏寺本堂として建ち、明治44年(1911年)に移築された。移転後の總持寺で最初に法要が営まれた桁行30メートルの堂で、幕末の彫物が残る。平成17年に登録された。
龍口寺手水舎は藤沢市片瀬の龍口寺参道に建つ慶応3年建築の手水舎で、令和3年に登録有形文化財となった。1間四方に起りの切妻屋根を架け、出組詰組の組物、木鼻の波に亀、妻の丸彫り雲龍など幕末の技巧が細部に詰まっている。
龍口寺妙見堂は藤沢市片瀬の龍口寺参道西側に東面して建つ享保5年建築の仏堂で、令和3年に登録有形文化財となった。入母屋造妻入に向拝を付け、格天井の堂内奥に妙見菩薩像を祀る。寺は像を「光の松」の材で造ったと伝える。
国宝「紙本淡彩十宜図」は与謝蕪村が明和8年(1771)に描いた10図の画帖。四季や雨風など移ろう自然の宜しさを約18センチ四方の小画面に写し、池大雅の十便図と対をなす文人画の名品。川端康成旧蔵、川端康成記念会所蔵。
池大雅が明和8年(1771年)に描いた国宝「紙本淡彩十便図」を解説。李漁の詩に基づき山荘暮らしの十の便を表した全10図の画帖で、与謝蕪村筆「十宜図」と対をなす。川端康成旧蔵の来歴や鑑賞の機会も紹介する。
浦上玉堂が墨の濃淡のみで描いた国宝・凍雲篩雪図を解説。六十代末期の作と想定される雪景の名品で、川端康成が生涯愛蔵したことでも知られる。指定の理由、玉堂の生涯、鑑賞の機会、鎌倉・長谷の周辺情報まで紹介する。
東京国立博物館に寄託される国宝「馮子振墨蹟〈画跋〉」は、北宋の画家易元吉の草虫図巻に元の文人馮子振が記した跋文。絵は失われ書のみが残る。切断を戒めた千利休添状が附指定され、横幅約120センチの原形をとどめる。
旧矢箆原家住宅は横浜市の三溪園にある江戸時代後期の合掌造の民家で、重要文化財。岐阜県荘川村にあり、御母衣ダムの建設で水没する地域にあったため昭和35年(1960年)に移された。式台玄関や書院造の座敷を備え、現存する合掌造で最大級とされる。