大阪から運ばれてきた稲荷社
向日神社末社勝山稲荷神社本殿は、京都府向日市向日町北山にある大正期(1912年から1926年)の社殿で、平成27年(2015年)8月4日に登録有形文化財となった。木造平屋建、銅板葺、建築面積は3.3平方メートルである。
向日市の記録によれば、この社殿は昭和42年(1967年)に大阪から移されたものである。向日神社の境内にある登録建造物のなかでは、移された時期がもっとも新しい。江戸期の社殿が並ぶ境内に、大正期の建物が昭和の半ばに加わった。
位置は境内の東寄り、参道の北方で、南を向いて建つ。手水舎や天満宮社と同じ一角にあたる。
正面一間、背面二間
向日神社末社勝山稲荷神社本殿の平面は変わっている。正面が一間、背面が二間である。前と後ろで柱間の数が違う。
文化庁の解説はこれを流造社殿とし、向日市は二間社流造としている。どちらの呼び方をとるにせよ、前後で割り付けの違う社殿であることに変わりはない。正面を一間にまとめることで参拝する側の正面性を保ちながら、背面では二間に割って内部を二つに分ける、という構成と考えられる。
流造としてもう一つ通例から外れるのが柱である。ふつう流造の身舎柱は円柱とするが、ここでは角柱を用いる。柱の上には舟肘木を置くだけで、複雑な組物は組まない。
庇にだけ集まる装飾
向日神社末社勝山稲荷神社本殿は、全体としては簡素な造りである。ただし庇まわりだけは違う。
庇には絵様を彫り込んだ水引虹梁を架け、三斗組を組む。三斗は肘木の上に三つの斗を並べて軒を支える組物で、身舎が舟肘木だけなのに対して、庇には一段手の込んだ仕組みが入る。装飾は参拝者の目に近い前面に集中している。
三方には刎高欄付の縁を廻し、正面に木階を設ける。高欄の端が跳ね上がる刎高欄は、この規模の社殿では省かれることもあるが、ここでは三方に廻されている。屋根の銅板葺も含め、文化庁の解説はこれを近代神社建築の一例と位置づける。
向日神社末社勝山稲荷神社本殿の見学
向日神社末社勝山稲荷神社本殿は内部非公開で、建物への立ち入りはできない。ただし覆屋には入っていないため、外観は参道から直接見える。
正面は拝殿の背後にあたるので、本殿だけを正面から見るには拝殿の脇を回り込む必要がある。東西どちらかに寄ると、正面一間と背面二間の違いが側面の柱位置から読み取れる。角柱であることも、この位置からのほうが分かりやすい。
銅板葺の屋根は緑青が進んでおり、晴天の日は木部との色の対比が強く出る。庇の虹梁の絵様を撮るなら、正面のやや下から見上げる角度がよい。撮影は通常認められている。境内への行き方と拝観の条件は向日神社のページにまとめてある。
Q&A
- 向日神社末社勝山稲荷神社本殿はいつ移築されましたか?
- 向日市の記録によれば、昭和42年(1967年)に大阪から移されました。社殿自体は大正期の建立です。
- 向日神社末社勝山稲荷神社本殿の平面はどうなっていますか?
- 正面が一間、背面が二間という前後で柱間の数が違う平面です。文化庁は流造社殿、向日市は二間社流造としています。
- 向日神社末社勝山稲荷神社本殿の柱は何が特徴ですか?
- 流造の通例では身舎柱を円柱としますが、この社殿では角柱を用います。柱上には舟肘木を置くだけの簡素な形式です。
- 向日神社末社勝山稲荷神社本殿の装飾はどこにありますか?
- 庇まわりに集中しています。絵様付の水引虹梁を架けて三斗を組み、三方に刎高欄付の縁を廻して正面に木階を設けています。
- 向日神社末社勝山稲荷神社本殿の屋根は何葺きですか?
- 銅板葺です。建築面積3.3平方メートルの小規模な社殿で、近代神社建築の一例とされています。
基本データ
| 名称 | 向日神社末社勝山稲荷神社本殿 |
|---|---|
| 所在地 | 京都府向日市向日町北山65 |
| 指定区分 | 登録有形文化財 |
| 指定年 | 平成27年(2015年)8月4日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 建築面積3.3平方メートル、正面一間、背面二間 |
| 所有者 | 宗教法人向日神社 |
| 公開状況 | 内部非公開、外観のみ見学可 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 向日神社末社勝山稲荷神社本殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010654
- 向日市 向日神社本殿を取り囲む境内社13棟
- https://www.city.muko.kyoto.jp/site/rekishi/2443.html
- 向日市 向日神社
- https://www.city.muko.kyoto.jp/site/rekishi/1061.html
最終更新日: 2026.09.14