見世棚造としては大きい

向日神社末社御霊神社本殿は、京都府向日市向日町南山82-1にある江戸時代中期の社殿で、平成27年(2015年)8月4日に登録有形文化財となった。柿葺、建築面積2.3平方メートルで、正面に虹梁をもつ覆屋を架ける。

形式は一間社流見世棚造である。見世棚造は、社殿の床を高く上げず、正面に棚のように張り出した床板を設ける小型の社殿の形式をいう。ふつうは人の背丈ほどの小さな社に用いられる。

向日神社末社御霊神社本殿は、その見世棚造としては規模が大きい。2.3平方メートルという面積は、同じ境内の春日神社本殿の4倍にあたる。文化庁の解説も、見世棚造としては比較的規模が大きく境内の景観に寄与するとしている。

物集女村から来た社

この社殿も、向日神社の境内で建てられたものではない。向日市の記録によれば、もとは物集女村にあった社で、明治10年(1877年)に移された。翌年に森本村から春日神社本殿が移されており、二年続けて近村の社がこの境内へ集まったことになる。

社殿自体の建立は江戸時代中期、1661年から1751年の間と推定されている。移築の際に覆屋が架けられ、その正面には虹梁が渡された。覆屋に虹梁を使うのは丁寧な仕事で、受け入れる側がこの社殿をどう扱ったかがうかがえる。

位置は拝殿の南方で、北を向いて建つ。境内のほかの末社が本殿の北側や東側に集まるなかで、この社だけが南に置かれている。

箱棟と鬼板

向日神社末社御霊神社本殿の屋根はこけら葺で、棟には木製の箱棟を載せ、両端に鬼板を飾る。箱棟は棟を箱状の材で覆う納め方、鬼板は棟の端を塞ぐ板である。どちらも瓦ではなく木でつくられている。

小さな社殿で瓦を使わず木で棟を納めるのは、重さの問題でもあり、意匠の問題でもある。こけら葺の柔らかい面に木の箱棟が載ると、屋根全体が一材でできているように見える。境内の瓦葺の社殿と並べると、この違いはすぐに分かる。

組物は柱の上に舟肘木を置くだけの簡素な形式とする。見世棚の左右には板壁を張る。装飾を絞った分、屋根の納まりが目立つ構成になっている。

向日神社末社御霊神社本殿の見学

向日神社末社御霊神社本殿は覆屋に納まっており、建物への立ち入りはできない。内部は非公開である。

見る位置は覆屋の正面、つまり北側になる。北を向いた社殿なので、正面に立てば見世棚の張り出しと、その左右の板壁が見える。覆屋の正面に架かる虹梁も、この位置から見上げる形で確かめられる。

箱棟と鬼板を見るには、少し離れて屋根の高さに目線を合わせるとよい。覆屋の柱が視界を切るので、左右に動いて隙間を探すことになる。撮影は通常認められている。境内への行き方と拝観の条件は向日神社のページにまとめてある。

Q&A

Q向日神社末社御霊神社本殿の形式は何ですか?
A一間社流見世棚造です。床を高く上げず、正面に棚のように張り出した床板を設ける小型の社殿の形式で、覆屋が架けられています。
Q向日神社末社御霊神社本殿はいつ移築されましたか?
A向日市の記録によれば、物集女村にあった社を明治10年(1877年)に移したものです。社殿自体は江戸時代中期の建立と推定されています。
Q向日神社末社御霊神社本殿の見どころはどこですか?
Aこけら葺の屋根に載る木製の箱棟と、その両端を飾る鬼板です。瓦を使わず木で棟を納めることで、屋根が一材のように見えます。
Q向日神社末社御霊神社本殿はどこにありますか?
A拝殿の南方に北を向いて建っています。境内の末社の多くが本殿の北側や東側にあるなか、この社だけが南に置かれています。
Q向日神社末社御霊神社本殿の大きさはどのくらいですか?
A建築面積2.3平方メートルです。見世棚造としては比較的規模が大きく、境内の景観に寄与すると評価されています。

基本データ

名称向日神社末社御霊神社本殿
所在地京都府向日市向日町南山82-1
指定区分登録有形文化財
指定年平成27年(2015年)8月4日登録
員数1棟
寸法建築面積2.3平方メートル、一間社流見世棚造、覆屋付
所有者宗教法人向日神社
公開状況覆屋内のため内部非公開、外観のみ見学可

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 向日神社末社御霊神社本殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010651
向日市 向日神社本殿を取り囲む境内社13棟
https://www.city.muko.kyoto.jp/site/rekishi/2443.html
向日市 向日神社
https://www.city.muko.kyoto.jp/site/rekishi/1061.html

最終更新日: 2026.09.14