旧平田家住宅主屋とは
旧平田家住宅主屋(きゅうひらたけじゅうたくしゅおく)は、三重県四日市市千代田町にある明治3年(1870年)ごろ建築の木造平屋建の住宅で、平成27年(2015年)11月17日に登録有形文化財となった。大正10年(1921年)ごろに改修を受けている。
屋敷のほぼ中央に南を向いて建ち、建築面積は229平方メートル。登録された7件のうちで最も古く、最も大きい。書院はこの主屋の西に接続し、蔵はその背後に並ぶ。屋敷の建物は、この主屋を中心に配置されている。
大屋根と式台のかまえ
旧平田家住宅主屋の規模は桁行10間、梁間5.5間。切妻造の桟瓦葺の大屋根を架け、その四周に下屋をめぐらせている。大屋根の下に一段低い下屋の軒が回るので、正面から見ると屋根が二重に重なって見える。
正面には入母屋造の式台を張り出す。式台は客を迎えるための正式な玄関で、家族や使用人が日常に出入りする口とは分けてある。庄屋を務めた家にとって、公の来客を迎える構えは欠かせないものだった。
間取りは東側を土間とし、西側を六間取とする。表側、つまり南の列に座敷を並べ、奥に日常の部屋を置く。文化庁は、旧家らしい雄大なたたずまいを見せる大型の住宅と評している。
刀傷の跡と電話室
四日市市の解説によれば、旧平田家住宅主屋には、明治9年(1876年)の伊勢暴動で屋敷が襲われた際の刀傷を修復したといわれる跡が残る。伊勢暴動は地租改正への不満から三重県を中心に広がった大規模な農民の騒動で、村の有力者の家も標的になった。建築から6年ほどの新しい家が、その渦中に置かれたことになる。
三重県の資料は、主屋に当時最新の設備であった電話室が備えられていることを挙げている。いつ設けられたかは資料に書かれていない。襲撃の跡と電話室という、時代のちがう2つの痕跡が同じ家に同居している。
旧平田家住宅主屋の見学
旧平田家住宅主屋の内部が公開されるという情報は確認できなかった。屋敷の期間限定の公開は書院と庭園を対象としており、刀傷の跡や電話室を見られる機会があるかどうかは分からない。
位置としては、南の門柱を入った正面に主屋の式台がくる。公開の時期と屋敷への行き方は、旧平田家住宅のページにまとめてある。
Q&A
- 旧平田家住宅主屋はいつ建てられましたか。
- 明治3年(1870年)ごろの建築で、大正10年(1921年)ごろに改修されています。平成27年(2015年)11月17日に登録有形文化財となりました。
- 旧平田家住宅主屋の大きさと間取りを教えてください。
- 木造平屋建で建築面積229平方メートル、桁行10間、梁間5.5間です。東側が土間、西側が六間取で、南の列に座敷が並びます。
- 旧平田家住宅主屋に残る伊勢暴動の跡とは何ですか。
- 四日市市によれば、明治9年(1876年)の伊勢暴動で襲撃された際の刀傷を修復したといわれる跡が残っています。
- 旧平田家住宅主屋の式台とはどんなものですか。
- 主屋の正面に張り出した入母屋造の玄関で、客を迎えるための正式な出入口です。
- 旧平田家住宅主屋の中は見学できますか。
- 主屋の内部が公開されるという情報は確認できませんでした。旧平田家住宅の期間限定公開は書院と庭園が対象です。
基本データ
| 名称 | 旧平田家住宅主屋(きゅうひらたけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 三重県四日市市千代田町941 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 24-0220 |
| 指定年 | 平成27年(2015年)11月17日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積229平方メートル、桁行10間、梁間5.5間 |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 内部非公開(屋敷の書院と庭園は期間限定で公開) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース 旧平田家住宅主屋(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00010819
- 文化遺産オンライン 旧平田家住宅主屋
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/213544
- 旧平田家住宅主屋など全7件(四日市市)
- https://www.city.yokkaichi.lg.jp/www/contents/1001000002610/index.html
- 三重県関係で国の登録有形文化財(建造物)の新登録の答申が行われるものの概要(三重県)
- https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000371905.pdf
最終更新日: 2026.09.27