明治
Meiji明治時代(1868 – 1912)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
石垣市新川に明治44年頃建てられた木造平屋建、寄棟造瓦葺の農家の母屋。建築面積155平方メートルで、南の表側に4室、北に裏座と板間、西に広い台所をとる。篤農家の建て主がイヌマキやフクギなど島産の上質材を用いたと伝わる。
沖縄本島北西の伊是名島から移築された明治後期の民家。居住棟うふやと台所とんぐわを別棟とする分棟型の古い形式を残す登録有形文化財である。貫木屋の軸組や深い雨端も見どころで、現在は琉球藍の染め工房として公開されている。
旧具志頭村仲座から移築された明治後期の主屋で、城下町の古民家でも最大級の規模をもつ。整った沖縄民家の平面を残す登録有形文化財である。沖縄戦を越えて残り、一番座前の柱には砲弾の傷跡が今も見える。現在は紅型の工房として公開。
首里石嶺町にあった明治後期の民家で、那覇の御殿を解体した資材を用いて建てられたと伝わる。裏座を持たず東面に廊下を通す異例の間取りが特徴の登録有形文化財である。柱には戦中戦後の痕跡が残り、現在は紙すきの工房として公開されている。
琉球石灰岩の切石で築かれた、沖縄独特の便所兼豚小屋フール。子豚用の隔壁の開口や床の勾配などに、往時の使い方がうかがえる。衛生行政で姿を消した慣習を残し、再現することが容易でないものとして登録された貴重な一基である。
沖縄・黒島の神山家住宅を四周ほぼ囲うサンゴ石灰岩の石垣。明治42年(1909年)築、延長87.4メートルの野面積で、門部の切石や出隅の大石など、道からの見え方に配慮した積み方を見せる登録有形文化財です。
沖縄・黒島の神山家住宅、屋敷地南西隅に残る掘り抜き井戸。明治42年(1909年)築、深さ約4.2メートルで、サンゴ石灰岩を凹板形に削った三枚の井戸枠が、水に乏しい離島の暮らしを映す登録有形文化財です。
旧国頭農学校玄関は、沖縄県名護市の県立北部農林高等学校構内に建つ明治35年建築の登録有形文化財です。唐破風造の吹放ち玄関で正面柱間は3.6メートル、琉球赤瓦を葺いた沖縄でも数少ない明治期の貴重な遺構となっています。
旧名城家住宅石垣は伊是名島勢理客の屋敷を四方から囲む明治38年(1905年)頃の珊瑚石の石垣。高さ1.5メートル強、延長116メートルの野面積で、角を曲線に仕上げ、2016年に登録有形文化財となった。
旧名城家住宅主屋は伊是名島勢理客に明治38年(1905年)に建った琉球民家。座敷と台所を別棟にした赤瓦の屋根、深い雨端、二番座を前後2室に分ける上層民家の間取りが評価され、2016年に登録有形文化財となった。
沖縄県糸満市真壁の金城増治家住宅石垣は、屋敷の正面の境に築かれた明治24年(1891年)頃の石垣。琉球石灰岩の大きな石を長さ30m・高さ1.7mに組み、天端に切石を並べ、内側は生垣とする。2005年登録。
沖縄県糸満市真壁の金城増治家住宅井戸は、主屋の西、敷地の境近くにある明治24年(1891年)頃の掘り抜き井戸。直径約1.1mの円形の石積みで深さ約8.6m、汲む側を切石、背面を野面で積む。2005年登録。
糸満市真壁の金城増治家住宅主屋は明治24年(1891年)頃の赤瓦の木造平屋。東と南に雨端を廻し、8畳の一番座・二番座を並べる伝統の形を守る。幅1間を超す縁側が開放的で、2005年に登録有形文化財となった。
糸満市真壁の金城増治家住宅フールは、主屋の西側にある明治24年(1891年)頃の豚小屋兼便所。琉球石灰岩の2連の石囲いで長辺4.1m・短辺3.1m・高さ1.1m。屋根は失われたが石組みはよく残り、2005年登録。
久部良家住宅石垣は与那国町祖納の屋敷の東辺と南辺に積まれた明治後期の石垣。珊瑚石灰岩の野面積で延長39メートル、高さ1.3メートル。隅と門口に大きめの石を据え、主屋とともに2007年に登録有形文化財となった。
久部良家住宅主屋は与那国町祖納にある明治中期の木造平屋。石垣市の石垣殿内から昭和15年(1940年)に移したと伝わり、10畳の一番座・二番座が田の字型に並ぶ寄棟本瓦葺の家で、2007年に登録有形文化財となった。
北谷町うちなぁ家主屋(旧目取真家住宅主屋)は明治23年(1890年)建築の寄棟造本瓦葺の沖縄民家で、2005年に現在地へ移築。一番座・二番座・三番座と裏座、南面と東面の雨端を残し、靴を脱いで座敷に上がれる。
北谷町うちなぁ家ふーる(旧崎原家住宅ふーる)は明治前期の琉球石灰岩造の豚小屋兼便所で、2006年に玉上から移築。間口4m、奥行4.6mの2連式で、アーチ屋根の2室と石組みの飼育場が典型的な形をとどめる。
与那国町字与那国の東迎家住宅で主屋の東の小高い所にある石盥(イチタライ)。明治前期に砂岩を掘り込んで造った南北1.8メートル、東西1.4メートル、高さ0.94メートルの大型の水槽で、防火用に使われた。
与那国町字与那国の東迎家住宅で主屋の西南にある井戸。明治前期に琉球石灰岩を掘削して造った深さ13メートルの円筒井戸で、周りに洗い場と小型のイチタライを設け、農作物や農具を洗う場所としても使われていた。