高橋家住宅主屋とは
高橋家住宅主屋は、徳島県徳島市南矢三町にある寛政11年(1799年)建築の木造平屋建の民家で、平成11年(1999年)8月23日に国の登録有形文化財に登録された。高橋家住宅の登録6件のなかでもっとも古く、屋敷地の中央に建つ住まいである。
文化庁のデータベースは構造を「木造平屋建、瓦葺」、建築面積を138平方メートルと記す。建築年は推定ではなく、棟札によって寛政11年と確かめられている。高橋家がこの土地と家屋を買い取ったのは明治維新ののちと伝わるから、高橋家住宅主屋は前の持ち主の時代を含めて200年以上、同じ場所に建ち続けてきたことになる。
高橋家住宅主屋が登録された理由
高橋家住宅主屋の登録基準は「造形の規範となっているもの」である。同じ日に登録された6件のうち、この基準によるのは主屋だけだ。
文化庁が評価の中心に置くのは屋根の形である。茅葺の主体部の四方に瓦葺の庇を設ける形式で、徳島では「四方蓋(しほうぶた)」と呼ばれる。解説はこれを、この地方に特有の形式と位置づけている。
四方蓋造の家では、背の高い茅の屋根の裾を、ひと回り低い瓦の庇がぐるりと取り巻く。屋根が二段になり、茅の部分が住まいの核、瓦の部分がその外まわりを受け持つ。なお、構造欄は「瓦葺」とだけ記し、解説文は茅葺の主体部を記している。現在、茅が表に出ているのか、覆いを掛けているのかは、今回の調査では確かめられなかった。
高橋家住宅主屋の見どころ
注目したいのは、二つの屋根が切り替わる線である。四方蓋の家では、勾配と材料が変わる境目が建物を一周する。高橋家住宅主屋の場合、庇が四方すべてにまわっていることが、形式の要になる。
年代の差も見どころのひとつだ。藍寝床(東納屋)・西納屋・蔵は明治初期、表門と練塀は明治20年代(1887年〜1896年)の建築で、高橋家住宅主屋はそれらより70年から100年近く古い。屋敷のなかで、高橋家が来る前の江戸時代の農家の姿を受け持っているのが、この主屋ということになる。
高橋家住宅主屋の見学
高橋家住宅主屋は個人の住まいとして使われ、内部は公開されていない。2026年10月の時点で、見学会や特別公開の案内も見つからなかった。
主屋は屋敷地の中央にあり、正面は表門と練塀で閉じられている。そのため外から見えるのは、屋根の一部にとどまると考えられる。敷地には立ち入らず、写真を撮る場合も住人の暮らしが写り込まないよう気を配りたい。
Q&A
- 高橋家住宅主屋はいつ建てられましたか?
- 棟札により、寛政11年(1799年)の建築と分かっています。高橋家住宅の登録6件のなかでもっとも古い建物です。
- 高橋家住宅主屋の「四方蓋」とはどのような形式ですか?
- 茅葺の主体部の四方に、瓦葺の庇をめぐらせた屋根の形式です。文化庁は、高橋家住宅主屋がもつこの形をこの地方特有のものと解説しています。
- 高橋家住宅主屋は登録有形文化財ですか?いつ登録されましたか?
- はい。平成11年(1999年)8月23日に国の登録有形文化財に登録されました。登録番号は36-0022、登録基準は「造形の規範となっているもの」です。
- 高橋家住宅主屋の中は見学できますか?
- 高橋家住宅主屋は個人の住まいで、内部は公開されていません。2026年10月時点で見学会や特別公開の案内も見つかっていません。
- 高橋家住宅主屋の最寄り駅はどこですか?
- JR徳島線の蔵本駅です。高橋家住宅主屋のある屋敷は駅の北東、地図上の直線距離でおよそ700メートルの位置にあります。
基本情報
| 名称 | 高橋家住宅主屋(たかはしけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 徳島県徳島市南矢三町2-5-22 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)、登録番号36-0022 |
| 指定年 | 平成11年(1999年)8月23日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積138平方メートル |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 非公開(個人住宅)。一般公開の案内なし(2026年確認) |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「高橋家住宅主屋」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001300
- 文化遺産オンライン「高橋家住宅主屋」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/186030
- 徳島県「国・県指定文化財件数一覧(令和7年(2025年)9月26日時点)」
- https://www.pref.tokushima.lg.jp/file/attachment/1072671.pdf
最終更新日: 2026.10.02