功運寺庫裏とは

功運寺庫裏は、東京都中野区上高田にある曹洞宗寺院・功運寺(萬昌院功運寺)の庫裏で、大正8年(1919年)に建てられ、平成26年(2014年)に登録有形文化財(建造物)となった。木造平屋建、入母屋造の桟瓦葺で、建築面積は161平方メートルある。

庫裏は寺の台所や寺務の場を兼ね、住職と家族の暮らしの場ともなる建物である。功運寺庫裏は境内の中央から西寄りに、南を向いて建つ。萬昌院の本堂が大正6年(1917年)に焼けた2年後の建築で、功運寺が三田から移ってくる大正11年(1922年)の3年前にあたる。

功運寺庫裏が登録された理由

功運寺庫裏の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁の解説は、細部まで丁寧に手をかけてつくられた近代の和風建築と評価しており、中野区の資料も同じ言葉で評価をまとめている。

功運寺庫裏の評価は、構造の珍しさよりも、間取りの整い方と造作の丁寧さに向けられている。文化庁の解説は、奥の方丈を数寄屋造風の部屋と特記しており、寺の実用の建物に茶室風の軽やかな意匠を取り込んだところに、大正期の和風建築らしさが表れている。

功運寺庫裏の間取り

文化庁の解説に沿って、功運寺庫裏の中を南から北へたどってみる。入口は南の玄関で、上がると7畳の取次ぎの間がある。そこから中廊下が南北にまっすぐ通り、建物を東西に分けている。

中廊下の東側には、11畳の座敷と8畳の仏間が並ぶ。座敷は来客を迎え、仏間は仏事を営む部屋で、寺の表向きの部屋がこの東側にまとまっている。廊下を北の奥まで進むと、7畳の方丈がある。数寄屋風の造りで、ここだけ表の座敷とは趣を変えている。

座敷から方丈にかけては縁を回している。東側の座敷と北の方丈が縁でひと続きにつながり、表の部屋と奥の部屋を行き来できる。玄関から取次ぎ、中廊下、座敷と仏間、方丈と奥へ進む順は、来客を迎える表と奥の居室とを分けた配置と読める。

功運寺庫裏の見学方法

功運寺庫裏は寺の住まいと寺務の場を兼ねる建物で、内部を公開しているという案内はない。座敷や方丈は外からは見えにくく、間取りの特徴は文化庁の解説を手がかりに想像することになる。

外観を見られるかどうかも、寺は案内していない。境内に入れる場合でも、功運寺庫裏の玄関に近づきすぎたり、のぞき込んだりすることは控えたい。写真撮影の可否は事前に寺に確かめておく。境内への行き方と見学の心得は功運寺のページにまとめてある。

Q&A

Q功運寺庫裏はいつ建てられましたか?
A大正8年(1919年)の建築です。萬昌院の本堂が焼けた2年後、功運寺が三田から上高田へ移ってくる3年前にあたります。
Q功運寺庫裏の間取りはどのようになっていますか?
A南の玄関から7畳の取次ぎを経て中廊下が南北に通り、東に11畳の座敷と8畳の仏間が並び、北に数寄屋風で7畳の方丈があります。座敷から方丈にかけて縁が回ります。
Q功運寺庫裏はなぜ登録有形文化財になったのですか?
A丁寧な造作の近代和風建築として評価され、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」の基準で平成26年(2014年)に登録されました。
Q功運寺庫裏の中は見学できますか?
A庫裏は寺の住まいと寺務の場で、内部を公開しているという案内はありません。外観の見学についても、事前に寺に確かめてください。
Q功運寺庫裏の建物の規模はどのくらいですか?
A木造平屋建、入母屋造の桟瓦葺で、建築面積は161平方メートルです。

基本情報

名称功運寺庫裏
所在地東京都中野区上高田4-14-19
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成26年(2014年)登録
員数1棟
寸法建築面積161平方メートル
所有者宗教法人功運寺
公開状況内部公開の案内なし(外観の見学と撮影の可否は寺に要確認)

参考文献

国指定文化財等データベース「功運寺庫裏」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010123
文化遺産オンライン「功運寺庫裏」(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/273186
平成25年度国登録有形文化財「萬昌院功運寺(庫裏・鐘楼・山門)」「三岸家住宅アトリエ」(中野区)
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/kurashi/bunka/bunka/torokubunkazai/torokubunkazai.files/shiteir.pdf
萬昌院功運寺 歴史(萬昌院功運寺)
https://makotoyouchien.kids.coocan.jp/kounji/history.html

最終更新日: 2026.10.05