三仏寺投入堂とは

三仏寺奥院(投入堂)は、鳥取県東伯郡三朝町三徳にある平安時代後期の断崖の岩窟に建つ懸造の堂で、昭和27年(1952年)3月29日に国の国宝に指定された(文化庁)。読みは「さんぶつじおくのいん(なげいれどう)」。

文化庁の記録では、懸造、桁行一間、梁間二間、一重、流造で、両側面に庇屋根と隅庇屋根が付き、附として愛染堂1棟、棟札1枚、古材43点があわせて指定されている。指定番号は00071である。

文化庁の記録では、これに先立つ明治37年(1904年)2月18日の指定日も記されている。これは旧法による指定の日付である。

崖の岩窟に建てられた蔵王殿

文化庁の解説によれば、投入堂はもと三仏寺の鎮守の蔵王殿と呼ばれた堂で、建立年代は明らかでないが平安時代の様式をもつ。その後の沿革は、永和元年(1375年)に修理を行ったことが知られるだけである。三佛寺によれば、平成13年(2001年)の年輪年代測定で、平安時代後期(1086〜1184年)の建立と判明した。

堂は山腹の岩窟の中に崖にかかるように建てた小規模な建築で、床下はきわめて長い柱で支えられた懸造である(文化庁)。三佛寺によれば、三徳山の北面、標高約500メートルの断崖にあり、役行者が法力で岩窟に投げ入れたと伝えられることから投入堂と呼ばれる。

国宝としての価値

文化庁は、全体に木割が細く、柱・桁・梁・垂木などに大きく面をとり、垂木の勾配をゆるくし、流造の母屋の両側に庇屋根を付けるなどの変化に富んだ構造が、よく平安時代の特徴を表しているとする。山陰地方でもっとも古く、平安時代の優れた意匠と奇抜な構成をもつ類まれな遺構である。堂の右側にある附の愛染堂は、小さな建築だが投入堂と同時の建立と考えられている。

三徳山と三佛寺

鳥取県によれば、三佛寺は標高約900メートルの三徳山にある天台宗の古刹で、寺伝では慶雲3年(706年)に役小角が修験の行場として開いた。背後の急な北斜面に、文殊堂・地蔵堂・納経堂・投入堂などの建物が建てられている。

観光庁の解説によれば、三徳山は伯耆の山岳修験の霊山の一つで、山全体が神の住む聖地とされてきた。本堂から投入堂までは険しい修行の道が続き、寺の近くには望遠鏡で投入堂を遠く拝める場所がある。

見どころ

岩窟に収まる堂を床下の長い柱が支える懸造の構えと、流造の屋根の両側に付けた庇屋根が見どころである(文化庁)。

見学について

三仏寺が所有する(文化庁)。三佛寺によれば、本堂から投入堂へ登る参拝登山の受付は8時から15時で、16時30分までに下山する。必ず2人以上で登り、服装と靴の確認があって、スニーカーでは許可されないことがある。幼児は登れず、例年12月から3月ごろは積雪のため、雨や雪で危険なときも入山できない。志納金が必要で、金額は寺の公式サイトで確かめたい。堂はいずれも三仏寺のページにまとめている。

Q&A

Q投入堂はいつ建てられましたか?
A年輪年代測定により平安時代後期(1086〜1184年)の建立と判明しています(三佛寺)。
Qなぜ投入堂と呼ばれるのですか?
A役行者が法力で断崖の岩窟に投げ入れたと伝えられるためです(三佛寺)。
Q建物の特徴は?
A岩窟の中に崖にかかるように建て、床下を長い柱で支える懸造です(文化庁)。
Q誰でも登れますか?
A2人以上で登り、服装と靴の確認があり、幼児は登れません。冬期は閉山します(三佛寺)。
Q三仏寺奥院(投入堂)が国宝に指定されたのはいつですか?
A昭和27年(1952年)3月29日です(文化庁)。

基本情報

名称三仏寺奥院(投入堂)(さんぶつじおくのいん(なげいれどう))
所在地鳥取県東伯郡三朝町大字三徳
指定区分国宝(建造物)
指定年昭和27年(1952年)3月29日国宝指定
員数1棟(附 愛染堂1棟、棟札1枚、古材43点)
寸法懸造、桁行一間、梁間二間、一重、流造、両側面に庇屋根及び隅庇屋根付
所有者三仏寺
公開状況参拝登山受付 8:00〜15:00、2人以上・服装確認あり、冬期閉山(三佛寺)

参考文献

三仏寺奥院(投入堂)(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2940
三徳山三佛寺
https://www.mitokusan.jp/
三徳山を世界遺産へ 建造物(鳥取県)
https://www.pref.tottori.lg.jp/33901.htm
Mt. Mitoku(観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース)
https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/en/H30-00956.html

最終更新日: 2026.10.22