明治後期の土蔵 ― 湯町の通路沿いに残る荷の蔵
山城屋荷蔵は、山形県上山市湯町にある明治後期(1898〜1912年)建築の土蔵で、平成23年(2011年)10月28日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。国指定文化財等データベースは、桁行9.4メートル・梁間4.7メートル、土蔵造2階建、建築面積48平方メートルの建物として記録している。
建つ位置は、山城屋旧館の東側を抜ける通路の脇。通りに面する客室棟の背後にあたる。荷蔵という呼称は、金蔵や米蔵と区別して、荷を納める蔵を指す。旅館規模の商いには、寝具、什器、炭、漆器、季節の設えといった大量の物資を収める場所が要る。表通りではなく勝手口側の通路に面して建つ配置は、その用途をそのまま示している。
湯町はかみのやま温泉の最も古い層をなす地区である。長禄2年(1458年)の開湯伝承がこの一角に結びつき、共同浴場を軸に路地が組まれた。白い漆喰の蔵が道に近く並ぶ景観は、その履歴の一部として積み重なってきた。文化庁の解説文は、この蔵について「温泉街の景観に風情を添えている」と記す。登録の理由は、そこに尽きる。
土蔵造の技法を読む
土蔵造は、木の軸組に厚く土を塗り重ね、仕上げに漆喰を掛ける構法である。狙いは防火にある。隣家が燃えても中身が無事であること、それが蔵に求められた性能だった。木造家屋が密集する町では火事が繰り返し起こり、蔵は土でできた保険として機能した。
屋根は切妻造、そして妻入。棟と直交する妻面に出入口を設ける形式で、通路沿いの細長い敷地に据えるには理にかなう。文化庁の解説文はこれを置屋根式と記す。土壁の箱の上に、独立した小屋組を載せる方式である。両者のあいだに生じる空隙が空気を通し、雨を土壁から遠ざけ、屋根の葺き替えを壁に触れずに行えるようにする。蔵に固有の工夫で、軒先を近くから見上げると、屋根が壁体の上に「載っている」納まりが読み取れる。
外壁の腰回りは簓子下見板張。横に張った下見板の目地を、縁に合わせて刻みを入れた竪桟(簓子)で押さえる仕様である。雪が寄る足元は漆喰だけでは保たない。そこは板に受けさせ、それより上は窓枠まで含めて漆喰で仕上げる。文化庁の記録は、この窓枠まわりの仕上げの丁寧さをわざわざ書き留めている。北面の出入口には庇が付く。
ひとつ、台帳の記載に不整合がある。構造及び形式等の欄は屋根を鉄板葺とするが、同じページの解説文は置屋根式の瓦葺と書く。瓦葺の置屋根を後年に鉄板で覆ったと考えれば説明はつくものの、これを裏づける資料は見当たらない。現況の葺材は未確定として扱うのが正確である。
蔵を登録するということ
登録有形文化財の制度は平成8年(1996年)に発足した。重要文化財のような厳しい現状変更規制を課さず、外観の大幅な改変に届出を求める代わりに、税制優遇と修理の助言を与える。使い続けながら残すための仕組みで、街並みを構成する脇役的な建物を拾い上げる点にこの制度の意義がある。
山城屋荷蔵の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、登録番号06-0127、第71回登録。同じ日に、敷地中央の客室棟が山城屋旧館(06-0126)として登録された。二棟を揃えて登録したことには意味がある。表の建物が蔵王連峰の眺望を売り、裏の建物がその商いを成立させていた。旅館という業態の表と裏が、そのまま一組の登録として残された。
寸法にも読み取れるものがある。桁行9.4メートル・梁間4.7メートルというちょうど二対一の矩形は、荷車一台が北面の戸口で荷を下ろしても通路を塞がない程度の大きさである。見せるための建築ではない。
湯町を歩く
かみのやま温泉駅は山形新幹線の停車駅で、東京駅からおよそ2時間30分、山形駅からは普通列車で12分。湯町までは約900メートル、徒歩12〜15分である。道中には昭和57年(1982年)再建の上山城(郷土資料館)があり、寛永2年(1625年)に初代藩主・松平重忠が庶民に開放したと伝わる共同浴場「下大湯」も健在で、いまも硬貨数枚の入浴料で入れる。
荷蔵は山城屋敷地の東側通路に面した私有建築で、公開時間を持つ見学施設ではない。山形県の文化財データベースは山城屋を「公開の有無:有」とするが、実際に立ち入れるかどうかは所有者である株式会社葉山館がその時期に行っている事業次第となる。葉山館は平成22年(2010年)9月に旧旅館を取得し、夏季限定のかき氷店、平成27年(2015年)4月開業の飲食店、月一回の市、教室や撮影のための施設貸出といった形で建物を運用してきた。荷蔵の見学を目的に訪ねる場合は、事前に023-672-0885へ確認しておきたい。
外観は通路側から敷地に入らずとも見ることができる。内部の撮影規則は公表されていないため、撮る場合は所有者の許可を取る。漆喰壁に光が回るのは午後遅く、通路が影に沈んで壁の上半分だけが陽を受ける時間帯である。
上山には他にも登録された土蔵が残る。東へ徒歩二十分ほどの矢来地区、蟹仙洞として公開されている旧長谷川家住宅の敷地には東土蔵・南土蔵の二棟があり、いずれも山城屋の二棟と同じ日に登録されている。東土蔵は建築面積101平方メートルで、この荷蔵のおよそ倍。豪商の蔵と旅館の蔵を続けて見ると、同じ構法がどこまで振れ幅を持つかがよく分かる。
Q&A
- 山城屋荷蔵は見学できますか。拝観料はかかりますか。
- 私有地に建つ建物で、定まった公開時間も拝観料もありません。山形県のデータベースは山城屋を公開ありとしていますが、立ち入れるかどうかは所有者の運営状況によります。外観は隣接する通路側から見学できます。訪問前に葉山館(023-672-0885)へご確認ください。
- 山城屋荷蔵の「荷蔵」とはどういう意味ですか。
- 山城屋は平成22年(2010年)まで営業していた旅館の屋号です。荷蔵は、金蔵(貴重品)や米蔵(米穀)と区別して、荷物を納める蔵を指します。この建物が収めていたのは宝物ではなく、寝具や什器、炭といった旅館稼業の実務用資材でした。
- 山城屋荷蔵と山城屋旧館では、どちらが古いのですか。
- 荷蔵の方が古い建物です。国指定文化財等データベースは荷蔵を明治後期(1898〜1912年)とし、旧館を大正7年(1918年)としています。荷蔵は、それが支えることになる客室棟より少なくとも六年、場合によっては二十年ほど先に建てられたことになります。
- 山城屋荷蔵を外から見るとき、どこに注目すればよいですか。
- 三点あります。土壁の箱に屋根が載る置屋根式の納まりが読める軒先。雪の当たる足元を横板と竪桟で押さえた簓子下見板張の腰回り。そして文化庁の記録がその仕上げの丁寧さに言及している窓枠まわりの漆喰です。
- 山城屋荷蔵の屋根は瓦葺ですか、鉄板葺ですか。
- 台帳に両方の記載があります。構造及び形式等の欄は鉄板葺とし、同じページの解説文は置屋根式の瓦葺と記します。瓦葺の置屋根を後年に鉄板で覆ったと考えれば矛盾はありませんが、それを裏づける資料は確認できておらず、現況の葺材は未確定です。
基本データ
| 名称 | 山城屋荷蔵(やましろやにぐら) |
|---|---|
| 所在地 | 山形県上山市湯町277他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 06-0127 |
| 指定年 | 平成23年(2011年)10月28日登録(第71回) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 桁行9.4メートル、梁間4.7メートル/建築面積48平方メートル/土蔵造2階建、切妻造妻入 |
| 所有者 | 株式会社葉山館 |
| 公開状況 | 私有建築。外観は隣接通路から見学可。内部の可否は所有者の運営状況による。事前確認推奨(023-672-0885)。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)— 山城屋荷蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00008809
- 文化遺産オンライン — 山城屋荷蔵
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/226572
- 国指定文化財等データベース(文化庁)— 山城屋旧館(同日登録の客室棟)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00008808
- 山形の宝 検索navi(山形県)— 山城屋
- https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1819
- 葉山館 公式サイト — 革新的取り組み(山城屋取得の経緯)
- https://www.hayamakan.com/company/innovation/
最終更新日: 2026.08.10