窪八幡神社末社比咩三神本殿とは
窪八幡神社末社比咩三神本殿は、山梨県山梨市北の窪八幡神社の境内にある寛永2年(1625年)再建と伝わる江戸時代前期の本殿で、昭和24年(1949年)2月18日に重要文化財に指定された。形式は一間社流造、屋根は銅板葺である。
末社比咩三神(ひめさんじん)は、本社本殿などが並ぶ区画から一段下がった境内前部の池の中島に建つ。田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の三女神をまつり、江戸時代までは「弁財天」と呼ばれていた。
山梨市によれば、現在の社殿は寛永2年(1625年)に徳川忠長が再建したと伝えられる。文化庁のデータベースも時代を江戸前期、年代を寛永2年としている。窪八幡神社の重要文化財9件のうち、江戸時代の建物はこの1棟だけである。
窪八幡神社末社比咩三神本殿が重要文化財である理由
山梨市は窪八幡神社末社比咩三神本殿を、白・朱・黒と各部を塗り分け、金箔を施した総漆塗りのきわめて華麗な本殿と紹介し、江戸時代初期の様式の特色をよく示すとしている。素木や落ち着いた色調の室町時代の社殿が多い境内で、装飾の考え方が大きく変わった時代の社殿を並べて見られる。
屋根は現在は銅板葺だが、もとは檜皮葺であった。小さな一間社ながら、塗り分けと金箔で仕上げた外観は、桃山時代の華やかさを受け継ぐ江戸初期の社殿の姿をうかがわせる。
窪八幡神社末社比咩三神本殿の見どころ
神門をくぐってまず目に入る池の中島に、窪八幡神社末社比咩三神本殿は建つ。水面越しに見る朱や黒の塗り分けは、奥の石垣上に並ぶ檜皮葺の社殿群と色合いがまったく異なる。
近づけたら、柱や組物、扉まわりの色の切り替えを追ってみたい。白・朱・黒の3色を部材ごとに使い分け、要所に金箔を置いている。漆の艶が残る部分と、年月で落ち着いた部分の違いも見て取れる。
屋根の銅板は緑青を帯びており、檜皮葺の社殿が多い境内のなかで、ひときわ異なる質感を見せる。
窪八幡神社末社比咩三神本殿の見学方法
窪八幡神社末社比咩三神本殿は、神門を入った境内前部の池の中島に建つ。内部は公開されておらず、池の岸から外観を眺める形になる。社殿が小さいため、塗り分けや金箔の細部を見るには、岸のなかでも近い位置を選ぶとよい。
境内への行き方と参拝の条件は、窪八幡神社のページにまとめてある。
Q&A
- 窪八幡神社末社比咩三神本殿の「比咩三神」はどう読みますか?
- 「ひめさんじん」と読みます。文化庁のデータベースのふりがなも同じです。
- 窪八幡神社末社比咩三神本殿はいつ建てられたのですか?
- 寛永2年(1625年)に徳川忠長が再建したと伝えられています。文化庁のデータベースも時代を江戸前期、年代を寛永2年としています。
- 窪八幡神社末社比咩三神本殿には何がまつられていますか?
- 田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の三女神です。江戸時代までは「弁財天」と呼ばれていました。
- 窪八幡神社末社比咩三神本殿はほかの社殿とどう違いますか?
- 白・朱・黒に塗り分けて金箔を施した総漆塗りの華麗な社殿で、窪八幡神社の重要文化財のなかで唯一の江戸時代の建物です。屋根も銅板葺になっています。
- 窪八幡神社末社比咩三神本殿はどこから見られますか?
- 境内前部の池の中島に建っており、内部は非公開です。池の岸から外観を見学できます。
基本情報
| 名称 | 窪八幡神社末社比咩三神本殿 |
|---|---|
| 所在地 | 山梨県山梨市北654(窪八幡神社境内) |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) |
| 指定年 | 昭和24年(1949年)2月18日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 正面1間の流造 |
| 所有者 | 窪八幡神社 |
| 公開状況 | 境内は参拝自由(無料)。本殿内部は非公開 |
参考文献
- 窪八幡神社末社比咩三神本殿|国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/872
- 窪八幡神社末社比咩三神本殿|山梨市の文化財(山梨市)
- https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/site/cultural-assets/7890.html
- 大井俣窪八幡神社 公式サイト
- https://kubohachiman.com/
最終更新日: 2026.09.24