窪八幡神社末社高良神社本殿とは

窪八幡神社末社高良神社本殿は、山梨県山梨市北の窪八幡神社の境内にある明応9年(1500年)再建と伝わる本殿で、昭和24年(1949年)2月18日に重要文化財に指定された。形式は一間社隅木入春日造、屋根は檜皮葺である。

末社高良神社は本社拝殿の南側に建ち、高良明神(こうらみょうじん)をまつる。高良明神は筑後の高良大社の神で、八幡宮の境内に摂社・末社としてまつられる例が各地にある。社名の「高良」は「こうら」と読む。

『大井俣神社本紀』は、この本殿を明応9年(1500年)の再建と記す。文化庁のデータベースも時代を室町後期、年代を明応9年としている。本殿の南脇に建つ末社武内大神本殿も、同じ年の再建と伝わる。

窪八幡神社末社高良神社本殿が重要文化財である理由

山梨市は窪八幡神社末社高良神社本殿について、室町時代後期の手法をよく示す建物と説明している。武田氏による大規模な造営が進む前、15世紀末から16世紀初めの小社殿の姿を知るうえで手がかりになる。

窪八幡神社で重要文化財に指定された本殿5棟のうち、4棟は流造で、春日造はこの窪八幡神社末社高良神社本殿だけである。春日造は切妻造・妻入の身舎の正面に庇を付けた形式で、流造とは入口を設ける面が異なる。一つの境内で二つの形式を見比べられる点でも貴重である。

窪八幡神社末社高良神社本殿の見どころ

正面から見ると、屋根の三角形の妻が正面を向いている。これが妻入の春日造の特徴で、屋根の長い斜面が正面へ流れ出す流造の本殿とは、第一印象がまったく違う。

形式名にある「隅木入」は、正面の庇の屋根と身舎の屋根が取り合う部分に隅木を入れて納めたことを示す。斜め前から見ると、庇の屋根の両端が身舎の側面へ回り込むように収まっている様子がわかる。

素朴な一間社ながら、檜皮葺の屋根の厚みと軒の反りには室町時代後期らしい端正さがある。

窪八幡神社末社高良神社本殿の見学方法

窪八幡神社末社高良神社本殿は、本社拝殿に向かって左手、南側に建つ。内部は公開されておらず、外観を周囲から眺める形になる。南脇の末社武内大神本殿とは近く、春日造と流造を続けて見比べられる。

境内への行き方と参拝の条件は、窪八幡神社のページにまとめてある。

Q&A

Q窪八幡神社末社高良神社本殿の「高良」はどう読みますか?
A「こうら」と読みます。文化庁のデータベースのふりがなも「こうらじんじゃ」です。
Q窪八幡神社末社高良神社本殿はいつ建てられたのですか?
A『大井俣神社本紀』は明応9年(1500年)の再建と記しています。文化庁のデータベースも時代を室町後期、年代を明応9年としています。
Q窪八幡神社末社高良神社本殿には何がまつられていますか?
A高良明神をまつります。筑後の高良大社の神で、八幡宮の境内にまつられる例が各地にあります。
Q窪八幡神社末社高良神社本殿の「隅木入春日造」とはどのような形式ですか?
A切妻造・妻入の身舎の正面に庇を付けた春日造のうち、庇と身舎の屋根の取り合いに隅木を入れて納めたものです。窪八幡神社の重要文化財の本殿で春日造はこの1棟だけです。
Q窪八幡神社末社高良神社本殿の内部は見学できますか?
A内部は公開されていません。本社拝殿の南側で、外観を周囲から見学できます。

基本情報

名称窪八幡神社末社高良神社本殿
所在地山梨県山梨市北654(窪八幡神社境内)
指定区分重要文化財(建造物)
指定年昭和24年(1949年)2月18日
員数1棟
寸法正面1間の春日造
所有者窪八幡神社
公開状況境内は参拝自由(無料)。本殿内部は非公開

参考文献

窪八幡神社末社高良神社本殿|国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/871
窪八幡神社末社高良神社本殿|山梨市の文化財(山梨市)
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/site/cultural-assets/7887.html
窪八幡神社末社武内大神本殿|山梨市の文化財(山梨市)
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/site/cultural-assets/7889.html
大井俣窪八幡神社 公式サイト
https://kubohachiman.com/

最終更新日: 2026.09.24