窪八幡神社拝殿(庁屋)とは

窪八幡神社拝殿(庁屋)は、山梨県山梨市北の窪八幡神社にある弘治3年(1557年)ごろの拝殿で、昭和24年(1949年)2月18日に重要文化財に指定された。本殿の正面に向き合い、間口11間という横に長い姿で建つ。

規模は桁行11間、梁間3間。一重の切妻造で、屋根は檜皮葺である。名称に添えられた「庁屋(ちょうや)」は社務を執る建物のことで、今でいう社務所にあたる。

窪八幡神社拝殿(庁屋)の建立については、二つの記録がある。『大井俣神社本紀』は、天文22年(1553年)に武田晴信(信玄)が信濃の村上義清を攻めた際、祈願成就のために造り替えたと記す。一方、小屋組の束からは弘治3年(1557年)の墨書が見つかっており、文化庁のデータベースはこちらの年を年代としている。

窪八幡神社拝殿(庁屋)が重要文化財である理由

左右が対称でないこと、床が低いことは、神社の拝殿としては異例の特徴である。山梨市はこの点から、窪八幡神社拝殿(庁屋)はもともと庁屋として使われていたと考えられると説明している。参拝の場と社務の場を1棟に兼ねた戦国時代の社殿が残る例として、価値が高い。

重要文化財の指定には、附(つけたり)として鰐口1口が含まれる。鰐口の表には天文22年、裏には弘治3年の刻銘があり、本紀が伝える造替の年と、墨書に残る年とが一つの金具の表裏に並んでいる。

間口11間という寸法は、背後に建つ十一間社流造の本殿の幅に応じたものである。十一間の流造本殿そのものに類例がないとされる以上、本殿と拝殿が同じ11間で向かい合う構えも、ほかに例を挙げにくい。

窪八幡神社拝殿(庁屋)の見どころ

石段を上りきると、窪八幡神社拝殿(庁屋)の長い正面が視界いっぱいに広がる。柱間が11も続くので、正面から全体を一度に収めるには少し後ろへ下がる必要がある。

次に建物の両端へ回ってみたい。切妻造の妻側は屋根の三角形がそのまま見える単純な形で、北隣に建つ摂社若宮八幡神社拝殿の入母屋造と比べると違いがはっきりする。若宮の拝殿のほうが約20年早く建てられた。

床の低さも、外から見て確かめられる。縁が地面に近く、軒下の空間が低く抑えられている点が、一般的な拝殿との違いとして山梨市が挙げる特徴である。

窪八幡神社拝殿(庁屋)の見学方法

参拝は窪八幡神社拝殿(庁屋)の正面で行う。内部は祭典や祈祷に使われる場で、通常は外から拝観する。建物の周囲は境内の通路になっており、両端の妻側や背面の本殿との位置関係も歩いて確かめられる。

境内への行き方と参拝の条件は、窪八幡神社のページにまとめてある。

Q&A

Q窪八幡神社拝殿(庁屋)はいつ建てられたのですか?
A小屋組から弘治3年(1557年)の墨書が見つかっており、文化庁のデータベースもこの年を年代としています。『大井俣神社本紀』は天文22年(1553年)に武田信玄が造り替えたと記しています。
Q窪八幡神社拝殿(庁屋)の「庁屋」とは何ですか?
A社務を執る建物のことで、現在の社務所にあたります。左右非対称で床が低いという特徴から、もとは庁屋として使われていたと考えられています。
Q窪八幡神社拝殿(庁屋)はなぜ横に長いのですか?
A背後の本殿が十一間社流造で、その幅に応じて拝殿も間口11間につくられているためです。桁行11間、梁間3間の建物です。
Q窪八幡神社拝殿(庁屋)の鰐口には何が刻まれていますか?
A表に天文22年、裏に弘治3年の刻銘があります。この鰐口1口は附として重要文化財の指定に含まれています。
Q窪八幡神社拝殿(庁屋)の中に入ることはできますか?
A内部は祭典や祈祷に使われる場で、通常は正面から参拝し、外から拝観します。

基本情報

名称窪八幡神社拝殿(庁屋)
所在地山梨県山梨市北654(窪八幡神社境内)
指定区分重要文化財(建造物)
指定年昭和24年(1949年)2月18日
員数1棟(附 鰐口1口)
寸法桁行11間、梁間3間
所有者窪八幡神社
公開状況境内は参拝自由(無料)。内部は通常非公開

参考文献

窪八幡神社拝殿(庁屋)|国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/867
窪八幡神社拝殿|山梨市の文化財(山梨市)
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/site/cultural-assets/7853.html
窪八幡神社摂社若宮八幡神社拝殿|山梨市の文化財(山梨市)
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/site/cultural-assets/7884.html
大井俣窪八幡神社 公式サイト
https://kubohachiman.com/

最終更新日: 2026.09.24