主屋の背後に立つ小さな蔵

名古屋・文化のみちにあるオレンジ色の屋根の洋館。その裏手に、見過ごされがちな二階建ての小さな建物が立っている。建築面積はおよそ22平方メートルにすぎない。それでもこの建物は、主屋とは別に一棟として国の登録有形文化財に名を連ねている。日本で最初の近代的女優とされる川上貞奴が暮らした旧邸の蔵である。

構造には少し変わったところがある。外壁は鉄筋コンクリート造、その内側と小屋組は木造という組み合わせで、屋根は切妻造の桟瓦葺、小屋組にはキングポストトラスを用いる。外壁の腰の部分は他より一段厚く築かれ、大きめの鉢巻が帯のように建物を一周する。規模こそ小さいが背が高く、ただの物置ではない、意図をもって整えられた構えを見せる。

蔵が建てられたのは大正9年(1920年)頃。実業家・福澤桃介とともに貞奴が暮らした大邸宅の一部であった。昭和13年(1938年)に改造を受け、平成16年(2004年)に解体・移築されて、現在の東区橦木町へ移った。主屋を含む大がかりな移築復元事業の一環として、ここに建て直されている。

女優・貞奴と電力王・桃介

これほど丁寧に造られた蔵を読み解くには、それが仕えた家のことを知っておくとよい。川上貞奴は明治4年(1871年)に東京で生まれ、本名を小山貞という。芸者として育ち、「奴」の名で評判をとった。明治27年(1894年)、「オッペケペー節」で知られ新派劇の創始者の一人となる川上音二郎と結婚する。音二郎の一座が渡米した際、貞奴は舞台に立って各地で好評を得た。明治33年(1900年)のパリ万博での公演を機にフランス政府から勲章を授かり、「マダム貞奴」として海外で広く知られるようになった。

福澤桃介は教育者・福澤諭吉の娘婿で、木曽川に水力発電のダムを次々と築き、「電力王」と呼ばれた実業家である。貞奴とは若い頃からの知り合いで、桃介がまだ学生だった頃に野犬の群れから貞奴を助けたという逸話も残るとされる。二人は大正9年(1920年)から6年ほど名古屋で生活をともにし、その間、貞奴は自ら設立した絹織物の会社の経営にもあたっていた。

桃介が住宅会社「あめりか屋」に依頼して建てた屋敷は、2000坪を超える敷地に赤い屋根と芝生、噴水を備えていた。和洋を折衷した豪華な意匠から「二葉御殿」と呼ばれたという。鉄筋コンクリート造の蔵は、その大邸宅の実務を支える要であり、家財を守る場所であった。

なぜ登録されているのか

この建物は、登録有形文化財(建造物)として平成17年(2005年)2月に登録された。登録番号は23-0162である。国宝や重要文化財という言葉に慣れた人のために、少し補足しておきたい。登録有形文化財は平成8年(1996年)に設けられた、比較的ゆるやかな保護の仕組みである。明治以降の近代建築を主な対象とし、建物を凍結保存するのではなく、使い続けながら維持することを促す制度で、指定の各区分よりもはるかに多くの物件を対象とする。

蔵は、造形の規範となっているものという基準のもとで登録された。その価値は、もとの邸宅に過不足なく属している点にある。この規模の蔵を、鉄筋コンクリート造の外壁と木造の内部で構成し、主屋と同じ手間をかけて仕上げた事実は、大正期の富裕な家が新しい素材と伝統的な建築の理屈をどう組み合わせたかを示す資料となる。文化庁の解説も、この蔵を屋敷構えに欠かせない建物と記している。

主屋と蔵がともに登録されたことで、名高い邸宅だけでなく、その日々の暮らしを成り立たせていた付属の働く建物までが残された。これは案外めずらしいことである。

見どころ

多くの来館者の目当ては復元された主屋であり、視覚的な見せ場もそこに集まっている。大広間には、日本のグラフィックデザインの先駆者・杉浦非水の原画をもとにしたステンドグラスが光を落とし、まわり階段が高い天井へと吹き抜ける。各室には当時の調度品や照明器具が並び、二階は郷土ゆかりの文学資料の展示室となっている。

蔵はもう少しゆっくりとした見方に応えてくれる。主屋の裏手にまわり、この小さな建物がどのように地に足をつけて立っているかを見てほしい。腰を厚くした基部と一周する鉢巻が、控えめな建物に重みを与えている。前面の華やかな洋館と、飾り気のないコンクリートの外殻との対比は、この屋敷が実際にどう機能していたかを率直に語りかける。

復元された建物のおよそ8割は、丁寧に解体・保管されていた創建当時の古材を再利用して組み直されている。設計図が失われていた洋館部分は、写真と類似の現存建築をもとに再建され、和館部分は大正9年の姿に戻された。目の前にあるのは複製ではなく、本物の生き残りである。

周辺の楽しみ方

蔵は、平成17年(2005年)2月に開館した「文化のみち二葉館」の敷地内にある。一帯の「文化のみち」は、名古屋城から徳川園にかけて、起業家や陶磁器商などが暮らした近代の邸宅街を結ぶ地域である。

徒歩4分ほどの近さには、陶磁器商の旧邸である文化のみち橦木館があり、和館・洋館に加えて蔵や茶室、庭園を備えている。二葉館との共通券も用意されている。白壁・橦木の白壁づくりの通りは、急がずに歩いて回るのに向いている。池泉回遊式庭園のある徳川園まで足をのばせば、一日の行程としても組み立てやすい。

名古屋駅からは、地下鉄桜通線「高岳」駅で降りて徒歩10分ほど。あるいは、館の前に停まるなごや観光ルートバス「メーグル」を使うと直接たどり着ける。

Q&A

Q蔵の中に入れますか。
A蔵は主屋の裏手の敷地内に立っており、主に外観から見学する建物です。内部の見学は通常の観覧には含まれていないため、邸宅全体の構えの一部として眺めるのがよいでしょう。特定の場所を見たい場合は、事前に館の案内をご確認ください。
Qこの建物は国宝ですか。
Aいいえ。登録有形文化財です。これは主に近代の建築を対象とする区分で、国宝や重要文化財といった指定の区分とは別の枠組みです。主屋と蔵は平成17年(2005年)にあわせて登録されました。
Q開館時間と入館料を教えてください。
A二葉館は通常10時から17時の開館で、月曜は休館、大人の入館料はおおむね200円です。時間や休館日は変わることがあるため、特に祝日や年末年始の前後は事前にご確認ください。
Q川上貞奴とはどのような人物ですか。
A芸者から舞台に立ち、海外でも知られた女優で、日本で最初の近代的女優とされます。アメリカや欧州で公演し、フランスで勲章を受け、のちにこの名古屋の邸宅で実業家・福澤桃介とともに暮らしました。
Q名古屋駅からの行き方は。
A地下鉄桜通線で「高岳」駅まで行き、徒歩10分ほどです。館の前に停まる観光ルートバス「メーグル」も便利です。飯田町や白壁など、近くのバス停を通る市バスもあります。

基本情報

名称旧川上貞奴邸蔵(きゅうかわかみさだやっこていくら)
所在地愛知県名古屋市東区橦木町3-23
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録 平成17年(2005年)2月9日、告示 同年2月28日/登録番号 23-0162
員数1棟
構造木造及び鉄筋コンクリート造2階建、瓦葺、建築面積約22平方メートル/キングポストトラス、切妻造・桟瓦葺
年代大正9年(1920年)頃創建/昭和13年(1938年)改造/平成16年(2004年)移築
所有者名古屋市
公開状況文化のみち二葉館の一部として公開/通常10時から17時、月曜・年末年始休館/蔵は主に外観からの見学

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004559
文化のみち二葉館 名古屋市旧川上貞奴邸 公式サイト
https://www.futabakan.jp/
文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)名古屋市公式ウェブサイト
https://www.city.nagoya.jp/kankou/bunka/1034457/1016040/1016042/1017357/1017362.html
文化のみち二葉館 名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」
https://www.nagoya-info.jp/spot/detail/32/

最終更新日: 2026.06.17