桃介が貞奴のために建てた家
名古屋市東区の閑静な住宅街に、赤い瓦のマンサード屋根を載せた木造の建物が建つ。城下町よりも二十世紀初頭のヨーロッパを思わせる屋根の形が、まず目に入る。旧川上貞奴邸主屋である。大正9年(1920年)頃、当時の世間をにぎわせた一組の男女のために建てられた。
女優の川上貞奴(1871〜1946年)と実業家の福沢桃介(1868〜1938年)は、1920年から1926年頃までこの家で共に暮らした。桃介は福沢諭吉の娘婿であり、木曽川の水力発電を手がけて財をなし、世に「電力王」と呼ばれた人物である。彼が住宅専門会社「あめりか屋」に依頼して建てさせたこの邸宅は、もともと東二葉町に位置していたことと、和洋折衷の斬新で豪奢な外観とから、人々に「二葉御殿」と呼ばれた。
その邸宅のうち現存していた部分が、のちに約500メートル離れた橦木町へと移された。建物が名古屋市に寄贈されたのを機に、2004年から2005年にかけて解体・移築・復元され、平成17年(2005年)2月、「文化のみち二葉館」として一般公開が始まった。
登録有形文化財という位置づけ
主屋は国の登録有形文化財に登録されている。これは国宝や重要文化財の「指定」とは別の、より緩やかな保護の枠組みである。平成8年(1996年)に設けられたこの登録制度は、築後おおむね半世紀を超え、地域の景観を形づくってきた建物を対象とし、所有者が建物を使い続けたり手を加えたりすることを認めながら保存をはかる。主屋と敷地内の蔵は、いずれも開館翌日の平成17年2月9日に登録された。
この家の価値は、ひとつの建物のなかに二つの建築の世界を組み合わせた点にある。東側は玄関・応接室・食堂などを備えた洋館部で、その奥には貞奴の私室や茶の間といった和室が一階・二階ともに配される。赤瓦のマンサード屋根を切り上げて二階を設け、外壁は二階をドイツ壁、一階を木のシングル張りで仕上げており、見上げるにつれて表情と素材が移り変わる多彩な外観となっている。木造二階建て、建築面積はおよそ71平方メートルである。
館内の見どころ
多くの来館者の記憶に残るのが、色とりどりの光が床に落ちる大広間のステンドグラスである。この硝子は、近代日本のグラフィックデザインの先駆者である杉浦非水の図案をもとに製作された。すぐそばには高い天井へと立ち上がるまわり階段がある。桃介が電力を生業としていたため、当時の個人邸ではまだ珍しかった電気照明や装飾的な照明器具が早くから取り入れられた。各室には当時の調度品や照明が置かれている。
館内では貞奴の数奇な生涯も紹介される。東京・日本橋に生まれ、芳町の芸者として育った貞奴は、新派の俳優・川上音二郎と結婚し、一座とともに渡米・渡欧して女優として舞台に立った。1900年のパリ万国博覧会では多くの観客を集めてフランス政府から勲章を受け、彫刻家ロダンら現地の芸術家からも注目された。日本における最初の近代女優として広く記憶される人物である。パネルや写真、愛用の品々が、舞台から名古屋での晩年に至る歩みをたどっている。
建物の一部は別の役割も担う。名古屋市内で唯一の近現代文学の資料室として、坪内逍遙をはじめとする郷土ゆかりの文学者の資料や作品を収集・展示している。
周辺をめぐる
二葉館は、名古屋城から徳川園へと続く歴史的な町並み「文化のみち」の東端に位置する。江戸時代には武家屋敷が連なった一帯だが、明治以降は実業家や陶磁器商、ジャーナリストらの住まいが集まり、その邸宅のいくつかが今も残る。徒歩圏内には、陶磁器商の旧宅である文化のみち橦木館や、トヨタの源流となった一族にゆかりの旧豊田佐助邸がある。れんが造りの名古屋市市政資料館も近く、少し東には徳川園と隣接する徳川美術館が控える。
二葉館へは、地下鉄桜通線の高岳駅から徒歩約10分。観光ルートバス「メーグル」も建物のすぐ前に停まるため、文化のみちを歩く一日の出発点にも締めくくりにも組み込みやすい。
Q&A
- 建物の中に入れますか。料金はいくらですか。
- 入れます。文化のみち二葉館として公開されており、開館は10時から17時です。月曜日(祝日にあたる場合は翌平日)と年末年始は休館です。入館料は大人200円、中学生以下は無料です。
- これは創建当時の建物ですか、それとも復元ですか。
- もとの邸宅のうち現存していた部分です。市への寄贈を機に、その部分を丁寧に解体して約500メートル移し、2004年から2005年にかけて現在地で組み直しました。外観は1920年代の姿に復元されています。
- 川上貞奴と福沢桃介とはどのような人物ですか。
- 貞奴は、国際的な名声を得た日本最初の女優として広く知られ、ヨーロッパでは「マダム貞奴」と呼ばれました。桃介は木曽川の水力発電を手がけた代表的な実業家で、「電力王」の異名をとりました。名古屋で暮らした時期、二人は事業のパートナーであり伴侶でもありました。
- 行き方と所要時間を教えてください。
- 地下鉄桜通線の高岳駅から徒歩約10分が便利です。観光ルートバス「メーグル」も建物前に停まります。館内の見学はおおむね30〜45分、周辺の文化のみちもあわせれば半日ほど過ごせます。
- 「文化のみち」とは何ですか。
- 名古屋城から徳川園にかけて続く、歴史的な建物が残る一帯の呼び名です。かつては武家屋敷が並び、近代には実業家や商人の住まいとなりました。今では復元された邸宅や資料館が点在し、二葉館もその一つとして徒歩でめぐることができます。
基本情報
| 名称 | 旧川上貞奴邸主屋(きゅうかわかみさだやっこていしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県名古屋市東区橦木町3-23 |
| 指定区分 | 国登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0161、平成17年(2005年)2月9日登録 |
| 建築年 | 大正9年(1920年)頃/昭和13年改造/平成16年移築 |
| 構造・形式 | 木造2階建、瓦葺、建築面積約71平方メートル |
| 員数 | 1棟 |
| 所有者 | 名古屋市 |
| 公開施設名 | 文化のみち二葉館 |
| 開館時間 | 10:00〜17:00 |
| 休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日〜1月3日 |
| 入館料 | 大人200円、中学生以下無料 |
| アクセス | 地下鉄桜通線「高岳」駅から徒歩約10分 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(旧川上貞奴邸主屋)/文化庁
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004558
- 文化のみち二葉館 公式サイト
- https://www.futabakan.jp/
- 文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)/名古屋市公式ウェブサイト
- https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000011538.html
- 川上貞奴/ウィキペディア日本語版
- https://ja.wikipedia.org/wiki/川上貞奴
最終更新日: 2026.06.17