はじめに

名古屋市東区の閑静な白壁地区に佇む金城学院高等学校榮光館は、1936年(昭和11年)に竣工したスパニッシュスタイルの講堂建築です。赤いスペイン瓦の屋根と白い漆喰壁が織りなす清楚な外観は、白壁界隈のシンボルとして親しまれています。講堂と礼拝堂を兼ねるこの建物は、太平洋戦争中の名古屋大空襲において金城学院キャンパスで唯一焼け残った建物であり、信仰と学びの歴史を今に伝える貴重な近代建築です。1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録されました。

歴史的背景

榮光館の歴史は、金城学院の創立に遡ります。1889年(明治22年)、アメリカ南長老教会の宣教師アニー・E・ランドルフが名古屋区下竪杉町に女子専門冀望館を開設しました。1890年に私立金城女学校と改称し、1900年(明治33年)に名古屋市東区白壁町の現在地へ移転しました。

昭和に入ると学校の規模が拡大し、生徒が一堂に会せる大講堂の必要性が高まりました。教職員、生徒、同窓会、父兄会、米国南長老教会婦人会など学園関係者の寄付によって建設資金が集められ、1935年(昭和10年)1月頃に資金面の見通しが立つと、城戸武男を主任技師とする建設委員会が設立されました。

建築様式はゴシック式、アメリカン・スパニッシュ式、モダニズム式の3案が検討され、職員や生徒の投票も考慮してスパニッシュ式が採用されました。早稲田大学大隈講堂の設計にも携わった江口義雄に概略図面の作成を依頼し、名古屋高等工業学校教授で金城女子専門学校建築学講師の佐藤鑑が基本設計を、城戸武男が実施設計を担当しました。竹中組、大林組、清水組など6社への見積依頼の結果、廣瀬商会が施工を請け負いました。

1936年(昭和11年)2月11日に定礎式が行われ、同年12月11日に竣工。12月22日の落成式では讃美歌67番が謳われました。「新講堂の設立は各自が『神の御栄光を現させ給へ』と祈願した結果である」として、市村與市校長によって「榮光館」と命名されました。総工費は29万5795円でした。

文化財としての価値

榮光館の建築的・歴史的価値は複数の指定によって認められています。1993年(平成5年)10月12日、名古屋市によって名古屋市都市景観重要建築物等に指定されました。そして1998年(平成10年)12月11日、竣工からちょうど62年の日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。同年には東区の東海学園大講堂や昭和区の南山学園ライネルス館も登録されています。

文化財としての評価のポイントは、保存状態の良いスパニッシュスタイルの外観、礼拝堂を兼ねた講堂としての機能、そして学園関係者の寄付によって建設された共同体の精神です。名古屋大空襲で壊滅的な被害を受けた地域にあって、戦前の学校建築が残存している貴重な事例であり、昭和期の教育建築と近代建築の歴史を知るうえで欠かせない存在です。

建築の見どころ

榮光館は鉄筋コンクリート造3階建、建築面積約800平方メートルの建物です。最大の特徴は、赤いスペイン瓦を葺いた屋根と白系統に塗られた外壁によるアメリカン・スパニッシュスタイルの外観で、海老茶色の窓枠や扉が温かみのあるアクセントを添えています。

竣工当時としては先進的な設備を備え、スチーム暖房が導入されていました。さらに注目すべきは屋上に設置された天体観測室で、当時の名古屋市にはまだ天文台が存在しなかったため、大変珍しい施設でした。3階には祈祷室が設けられ、金城女子専門学校で英語や聖書を教えたマキルエン夫人を記念した銅板が設置されていました(現存せず)。

1993年(平成5年)の金城学院創立100周年を記念して、榮光館にパイプオルガンが設置されました。11月6日にはフランス人オルガニストのミシェル・シャピュイによる完成披露演奏会が催されました。1979年(昭和54年)には大成建設の施工により、床、天井、壁面、椅子、窓の大改修が行われましたが、建物の本質的な意匠は大切に保存されています。

戦争を乗り越えて

太平洋戦争中、空襲に備えて榮光館の白い壁面はタールで黒く塗りつぶされました。1945年(昭和20年)3月18日夜から19日未明にかけて、名古屋大空襲の一つとして雨のように降り注ぐ焼夷弾を受け、金城女子専門学校のキャンパスでは榮光館と門衛詰所を除くすべての建物が焼失しました。3月25日と30日にはさらに爆弾が投下され、榮光館も大きな損傷を受けましたが、倒壊は免れました。同年5月には応急処置が施され、榮光館を校舎として授業が再開されました。

同年8月15日、高等部1年生が榮光館に集まり玉音放送を聴きましたが、雑音がひどくほとんど聞き取れなかったと伝えられています。終戦後、タールで黒く塗られていた壁面は白色に戻されました。1948年(昭和23年)12月から大修理工事に着手し、1949年(昭和24年)4月に竣工。榮光館は再びその美しい姿を取り戻しました。

見学情報

榮光館は金城学院中学校・高等学校の敷地内にあり、現役の学校施設として使用されているため、一般公開は限定的です。ただし、2014年以降に開催されている愛知登文会主催の登録有形文化財特別公開「あいたて博」などのイベント時には内部が公開されることがあります。美しい外観は、学校敷地外からいつでもご覧いただけます。

最寄り駅は名鉄瀬戸線「東大手」駅(徒歩約10分)、名古屋市営地下鉄桜通線「高岳」駅(徒歩約12分)です。なごや観光ルートバス「メーグル」の「文化のみち二葉館」停留所も近くにあります。

周辺の見どころ

榮光館が立地する白壁地区は、名古屋を代表する歴史的町並み「文化のみち」の中核エリアです。江戸時代の武家屋敷の地割りが残り、明治から昭和初期にかけての近代洋風建築が点在する魅力的な散策スポットとなっています。

文化のみち二葉館は、日本初の女優・川上貞奴と発明王・豊田佐吉ゆかりの邸宅で、ステンドグラスが美しい大正期の洋館を公開しています。文化のみち橦木館は陶磁器貿易商・井元為三郎の邸宅で、和洋の建築様式が融合した空間でカフェを楽しむことができます。

名古屋市市政資料館は、1922年建築のネオ・バロック様式の旧裁判所庁舎を活用した国の重要文化財です。復原された会議室や法廷の見学が可能で、敷地内のオオカンザクラは早春の名所としても知られています。徳川園・徳川美術館では尾張徳川家の文化遺産に触れることができ、回遊式日本庭園の美しさは格別です。

Q&A

Q榮光館はどのような建築様式ですか?
Aアメリカン・スパニッシュスタイルの建築です。赤いスペイン瓦の屋根と白い漆喰壁、海老茶色の窓枠が特徴です。建設時にゴシック式、スパニッシュ式、モダニズム式の3案から、職員と生徒の投票も踏まえてスパニッシュ式が選ばれました。
Qなぜ榮光館は歴史的に重要なのですか?
A1945年の名古屋大空襲において、金城学院キャンパスで唯一焼け残った建物です。1936年竣工の鉄筋コンクリート造建築が焼夷弾の攻撃を耐え抜き、戦後は校舎として授業再開の場となりました。信仰と教育の継続を象徴する存在として、高い歴史的価値を持っています。
Q榮光館は見学できますか?
A榮光館は現役の学校施設のため、内部の一般公開は限定的です。愛知登文会主催の「あいたて博」などのイベント時に特別公開されることがあります。外観は学校敷地外からいつでもご覧いただけます。
Q榮光館の設計者は誰ですか?
A基本設計は名古屋高等工業学校教授の佐藤鑑、実施設計はスパニッシュスタイルやモダニズム建築を得意とした建築家の城戸武男が担当しました。施工は廣瀬商会が行いました。
Q「榮光館」という名前の由来は何ですか?
A竣工時の市村與市校長が命名しました。講堂の建設は関係者が「神の御栄光を現させ給へ」と祈願した結果実現したものであることから、「栄光」の名が冠されました。

基本情報

名称 金城学院高等学校榮光館(きんじょうがくいんこうとうがっこうえいこうかん)
指定区分 登録有形文化財(建造物)
登録年月日 1998年(平成10年)12月11日
竣工 1936年(昭和11年)12月11日
構造 鉄筋コンクリート造3階建、建築面積約800㎡
建築様式 アメリカン・スパニッシュスタイル
基本設計 佐藤鑑(名古屋高等工業学校教授)
実施設計 城戸武男
施工 廣瀬商会
所有者 学校法人金城学院
所在地 愛知県名古屋市東区白壁4-64
アクセス 名鉄瀬戸線「東大手」駅より徒歩約10分、地下鉄桜通線「高岳」駅より徒歩約12分

参考文献

金城学院高等学校榮光館 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191969
金城学院高等学校榮光館 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/金城学院高等学校榮光館
学院を象徴する施設 — 学校法人 金城学院
https://www.kinjo-gakuin.jp/about/building/index.html
金城学院榮光館 — 名古屋市公式ウェブサイト
https://www.city.nagoya.jp/kankou/kankouinfo/1013766/1013962/1034452/1013996.html
城戸武男 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/城戸武男
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00000969

最終更新日: 2026.04.05