街道に前庭を挟んで建つ
三宅家住宅主屋は、愛知県尾張旭市西大道町の旧瀬戸街道沿いに建つ明治前期の商家住宅で、2022年(令和4年)に登録有形文化財となった。木造平屋建、建築面積は210平方メートル。文化庁は年代を明治前期、1868年から1882年のあいだに置き、1948年(昭和23年)に改修を受けたと記す。
名古屋と瀬戸を結ぶ街道の途中、尾張旭の西大道町に、この屋敷はある。まず気づくのは、建物が道端に立っていないことだ。街道と主屋のあいだには前庭が挟まる。京や名古屋の町家であれば、建物は道の線にぴたりと揃う。土地の値が高く、間口の広さが税に直結する町では、そうするほかない。三宅家住宅主屋は違う。前に庭を取れるだけの余地がある土地に建っている。
この一点で、建物の性格がだいたい説明できてしまう。ここは町ではなく在郷町、つまり農村のなかにできた商いの集落だった。
町家の顔と、農家の間取り
正面から見た三宅家住宅主屋は、町家に見える。屋根は入母屋造の桟瓦葺で、棟と平行な長い面に出入口を開く平入。二階にはつし二階風の窓が並ぶ。天井の低い屋根裏を物置に使い、通りに面して小さな窓を開ける、あの形式である。壁は柱を見せる真壁造で、漆喰を塗る。四方には深い下屋が張り出す。街道を歩いてくる人が受け取るのは、商家の構えである。
ところが平面は違う。六間取、つまり6室を2列3行に並べる農家型で、町家に典型的な細長い形をとらない。間口が狭く奥へ伸びる町家の平面は、地価と課税が生んだ形だ。土地に余裕のある在郷町では、その制約が働かない。三宅家住宅主屋の設計者は、外観だけ街道向けに整え、内側は使いやすい農家の型のまま残した。
外観と平面が食い違っているのではない。二つの必要が同時に満たされているだけである。街道に面して商いの顔を見せ、内側では地主の家としての暮らしを続ける。三宅家住宅主屋の見どころは、この二重性が建物の形にそのまま出ている点にある。
土間に埋まった藍瓶
三宅家は江戸中期から、新居村を中心に田畑を持つ地主だった。江戸後期には木綿糸を染める藍染の紺屋業を始め、明治初期には造り酒屋も営むようになる。三宅家住宅主屋は、この紺屋業と醸造販売を兼ねた屋敷として明治前期に建てられた。
その生業が、いちばんはっきり残っているのが土間である。太い梁を組んだ土間の床には、藍瓶が埋め込まれたままになっている。藍染は瓶を土に埋めて発酵を進める。地中の温度は変化がゆるやかで、藍を建てるには床上に置くより都合がよい。土間は通り抜けの通路でも作業場でもあったが、ここではさらに、地面そのものが道具として使われていた。
文化庁のデータベースも尾張旭市の解説も、この藍瓶に触れている。建物の用途が図面や記録ではなく、床のくぼみとして残っている例は多くない。
三棟そろって残ったこと
三宅家住宅主屋に適用された登録有形文化財の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。登録は2022年(令和4年)2月17日、登録番号は23-0572。同じ日に、敷地の奥に建つ蔵(23-0573)と、庭門及び塀(23-0574)も登録された。3件はそれぞれ別の登録だが、評価の理由は共通している。
ここで言う「登録」は「指定」と別の制度である。1996年(平成8年)に始まった登録は、築後おおむね50年を過ぎた建造物を、使い続けながら残すための枠組みで、所有者は届け出によって登録し、大きな改変の前に届け出る。名の通った建築家の設計でも、内部の名品でもなく、街道沿いの屋敷構えが残っていることが価値の中心に置かれた。
門から主屋、その奥の蔵まで、在郷商家の屋敷が一式そろって残る例は、尾張旭では他に見当たらない。三宅家住宅主屋はその一式の中心にあたる建物である。
見学の実際
先に実際的なことを書いておく。三宅家住宅は現在も個人の住居として使われており、一般には公開されていない。敷地に立ち入ることはできず、内部を見る機会もない。三宅家住宅主屋を見るには、旧瀬戸街道から前庭越しに眺めることになる。撮影も、道路上から外観を撮る範囲にとどめたい。居住者の生活があることを前提に、門から先へは入らないでほしい。
それでも、外から見て取れるものは少なくない。入母屋の屋根と桟瓦の目地、つし二階の窓の並び、真壁に見える柱の割付、四方に伸びる下屋の深さ。前庭があるおかげで、道路からでも建物の全体が視野に入る。街道沿いにこれだけ引きの取れる場所は珍しい。
行き方は、名鉄瀬戸線の尾張旭駅から南西へ徒歩10分ほど。瀬戸線は一方が名古屋の栄町、もう一方が尾張瀬戸に通じており、旧瀬戸街道とほぼ並行して走る。愛知県には登録有形文化財の所有者による団体があり、県内の登録建造物を対象とした特別公開が行われることがある。内部の公開を望む場合は、そうした催しの開催情報を確かめるのが現実的な方法になる。
Q&A
- 三宅家住宅主屋の内部は見学できますか。
- できません。三宅家住宅は現在も個人の住居として使われており、一般公開されていません。敷地にも立ち入れないため、見学は旧瀬戸街道から前庭越しに外観を眺める範囲になります。
- 三宅家住宅主屋はいつ建てられたものですか。
- 文化庁は明治前期、1868年から1882年のあいだと位置づけています。1948年(昭和23年)に改修されました。登録有形文化財となったのは2022年(令和4年)2月17日です。
- 三宅家住宅主屋はどんな建築ですか。
- 木造平屋建で建築面積は210平方メートル。入母屋造桟瓦葺の平入で、つし二階風の窓を設け、真壁造漆喰塗とし、四方に深い下屋を張り出します。平面は六間取の農家型です。
- 三宅家はどんな家だったのですか。
- 江戸中期から新居村を中心に田畑を持つ地主で、江戸後期には木綿糸を染める藍染の紺屋業を、明治初期には造り酒屋も営んだ在郷商家です。三宅家住宅主屋の土間には、当時の藍瓶が埋め込まれたまま残っています。
- 三宅家住宅主屋へはどう行けばよいですか。
- 名鉄瀬戸線の尾張旭駅から南西へ徒歩10分ほどです。屋敷は西大道町の旧瀬戸街道沿いにあります。個人の住居なので、道路から眺めるにとどめてください。
基本情報
| 名称 | 三宅家住宅主屋(みやけけじゅうたくおもや) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県尾張旭市西大道町五輪塚3676 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 2022年2月17日登録(登録番号 23-0572) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 建築面積210平方メートル、木造平屋建、入母屋造桟瓦葺平入 |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 現在も個人の住居であり非公開。旧瀬戸街道から外観のみ見学可 |
参考文献
- 三宅家住宅主屋 — 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014167
- 三宅家住宅主屋 — 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/520887
- 三宅家住宅主屋 — 尾張旭市デジタルミュージアム
- https://www.city.owariasahi.lg.jp/site/digitalmuseum/39392.html
- 三宅家住宅 — 尾張旭市公式ホームページ
- https://www.city.owariasahi.lg.jp/kurasi/kyouiku/bunka/bunkazai/shiseki/miyakekejuutaku.html
- 愛知県国登録有形文化財建造物所有者の会
- https://www.aichi-tobunkai.org/
最終更新日: 2026.09.03