全国の登録有形文化財
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与那国町字与那国の東迎家住宅で主屋の東の小高い所にある石盥(イチタライ)。明治前期に砂岩を掘り込んで造った南北1.8メートル、東西1.4メートル、高さ0.94メートルの大型の水槽で、防火用に使われた。
与那国町字与那国の東迎家住宅で主屋の西南にある井戸。明治前期に琉球石灰岩を掘削して造った深さ13メートルの円筒井戸で、周りに洗い場と小型のイチタライを設け、農作物や農具を洗う場所としても使われていた。
与那国町字与那国の東迎家住宅主屋。昭和28年(1953年)建築の桁行7間・梁間4間の寄棟造で琉球赤瓦葺、正面に雨端を設ける。一番座・二番座と裏座の間取りで、チャーギ材とダイミョウ竹を用いる八重山の民家。
与那国町字与那国の東迎家住宅で主屋の台所西面に接する昭和28年(1953年)の水タンク。東西1.7メートル、南北2.9メートル、高さ1.6メートルのコンクリート造で、樋の雨水を隅の簡易な濾過装置を通して溜める。
當山紀念館は沖縄県国頭郡金武町金武の中心部にある昭和10年(1935年)の鉄筋コンクリート造平屋建の記念館で、登録有形文化財。内部は一室で、玄関ポーチのアーチと北端の八角形の窓のほかは装飾のない平明な意匠。
石垣市大川の渡久山家住宅の門口に築かれた昭和初期の石垣。地元産の粟石を高さ約2mまで布積みにし、主屋正面の延長15mの石垣とコの字型の石垣を組み合わせ、角地に合わせた独特の構えをつくる。道路から見える。
石垣市大川の渡久山家住宅の主屋脇にある明治27年(1894年)の井戸で、昭和初期に増設。直径1.2mの琉球石灰岩の井戸枠にコンクリート製の滑車受けと3m四方の洗い場が付き、井戸水を使った暮らしを示す。非公開。
石垣市大川の渡久山家住宅の中心に建つ大正14年(1925年)の赤瓦の主屋。郵便局勤めの建築主が潮乾した島の木で建て、棟木に除災招福の墨書が残る。一番座・二番座の境の柱を省いた開放的な間取り。内部は非公開。
石垣市大川の渡久山家住宅の主屋の裏手に残る明治27年(1894年)頃の便所兼豚小屋。琉球石灰岩と粟石の切石で築き、3区画に仕切る。屋根は失われたが、区画ごとに豚の餌桶トーニが残る。個人の敷地内で非公開。
竹富島西集落の赤山公園に昭和28年(1953年)に建てられた鉄筋コンクリート造の物見塔。集落の連絡を伝える放送台として住民が建て、のちに島を見渡す展望台として親しまれた。老朽化のため現在は登降禁止とされる。
竹富島西海岸に昭和13年(1938年)に築かれた延長105メートル、幅4.4メートルの桟橋。石灰岩の乱積みの両側にコンクリート壁を打ち、先端は干潮時の荷揚げ用に斜路状とする。西表島の水田へ通う舟が発着した。
北大東村港にある昭和15年(1940年)の木造平屋建。燐鉱採掘事業で宿泊や娯楽に使われた建物で、切妻造と入母屋造の妻入の棟を工の字形につなぎ、正面はガラス戸。昭和57年から民宿二六荘として営業している。
沖縄県南大東島の西港を見下ろす高台に建つ、大正13年(1924年)頃に築かれた石造のボイラー小屋。台風時に漁船を陸地へ引き揚げるウインチの動力源として使われた施設で、島の珊瑚石灰岩を乱積にして築かれた壁体が今も残ります。1900年に玉置半右衛門率いる開拓団が上陸した地点を望むこの遺構は、無人島から砂糖の島へという南大東島の開拓の歩みを今に伝える貴重な近代化遺産であり、2000年に国の登録有形文化財に登録されました。
石垣やいま村にある大正12年(1923年)築の病院兼住宅の住宅部分で、1980年に字大川から移築。間柱を省いた天井の高い座敷と、病院棟から移した彫刻入りの玄関が見どころ。民謡ショーの時刻と見学・撮影の決まりも紹介。
石垣やいま村にある明治42年(1909年)築の士族住宅で、1984年に字大川から移築。表に三つの座敷、裏に裏座が並ぶ2列の間取りと突き出した玄関、棟木の「天官賜福紫微鑾駕」の墨書が残る。登録の理由と見学方法を紹介。
屋宜家住宅アサギは八重瀬町大頓の屋敷に昭和30年頃建てられた離れ。主屋の東南に建つ25平方メートルの寄棟造セメント瓦葺で、西と南に雨端をまわす。当初は米や大豆を納める蔵で、いまは沖縄そば店の予約席として使われる。
屋宜家住宅石垣は八重瀬町大頓の屋敷の南辺を囲む琉球石灰岩の石垣。昭和27年に築かれ、延長50メートル、4段積みで高さ1.3メートル。東西から延びて中央で北へ折れ、主屋とヒンプンへ向かう通路をつくる。際の花木と赤瓦が調和する。
屋宜家住宅井戸は八重瀬町大頓の屋敷に昭和27年に造られた石造の井戸。地面を円く掘って雨水をため、モルタル仕上げの縁を港川産琉球石灰岩の切石がL字に囲む。水道の遅れた旧具志頭村で暮らしを支え、正月には若水を供えた。
屋宜家住宅主屋は八重瀬町大頓に昭和27年に建てられた赤瓦葺の民家。寄棟屋根に目漆喰、南と東に雨端をまわし、一番座の床と棚、二番座の仏壇まで伝統の間取りを守る。玄関はなく縁側から上がり、いまは沖縄そば店の座敷となっている。
屋宜家住宅ヒンプンは八重瀬町大頓の屋敷で主屋の正面に立つ目隠し塀。昭和27年に港川産琉球石灰岩の切石を5段積み、高さ1.6メートル・長さ3.6メートル。各段2、3枚の長い石で組み、男性は右、女性は左を通ったと伝わる。