いまも働いている洋館

愛媛蚕種株式会社事務室・玄関は、愛媛県八幡浜市保内町川之石にある明治後期建築の木造2階建洋館で、平成11年(1999年)6月7日に登録有形文化財となった。木造モルタル塗、屋根は鉄板葺で一部にスレートを用い、建築面積は約209平方メートルである。

この建物のいちばんの特徴は、様式でも古さでもない。いまも会社の事務所として使われていることだ。蚕種、つまり蚕の卵を生産する事業がこの建物の背後で続いており、玄関は今日も社員と取引先が出入りする入口である。文化財として保存された空間ではなく、稼働中の職場の顔にあたる。

呉服商が始めた蚕の卵づくり

事業の出発点は明治17年(1884年)にさかのぼる。川之石の呉服商だった兵頭寅一郎が蚕種製造業を始め、屋号を「麓屋(ふもとや)」とした。これがのちの「日進館」である。生糸と絹製品の輸出が国の主要産業になっていく時期で、その川上にあたる蚕種の供給は、産地の質を左右する仕事だった。

寅一郎は技術に踏み込んだ。明治39年(1906年)、全国の視察をもとに蚕種の冷蔵法を考案する。愛媛県では初、全国でも3番目の取り組みで、長浜町の浄心山に天然氷の氷室を設けて卵の孵化時期を制御した。大正2年(1913年)には会社の敷地内に大型の氷庫を新設し、昭和36年(1961年)から電気冷蔵へ切り替えている。大正元年(1912年)には、全国の蚕種製造業者のなかで出荷額第7位に達した。

明治38年(1905年)に合資会社日進館、大正8年(1919年)に株式会社日進館へと改組し、蚕室棟が建てられた。戦時中の統合による解散を経て、昭和21年(1946年)に愛媛蚕種株式会社として再出発する。愛媛蚕種株式会社事務室・玄関は、この百四十年におよぶ事業の、最初期からの居場所である。

隅切りに置かれた玄関

敷地は南北に細長い。愛媛蚕種株式会社事務室・玄関はその南東寄りに建ち、北へ向かって蚕室棟が接続する。工場の配置としては、事務が街路に面し、生産が奥へ延びるという素直な組み立てである。

見どころは玄関の位置だ。建物の南東端は角を斜めに落とした隅切りになっており、そこに玄関が据えられている。二方向の街路のどちらから歩いてきても正面になる置き方で、近代の街角建築が好んだ手法だが、地方の産業建築でこれを実行している例は多くない。玄関の上部には浅いポーチが張り出す。

外壁は木造にモルタルを塗って仕上げ、階下の窓の上には三角形のペディメントが載る。窓ひとつひとつに小さな切妻を与える処理で、正面全体に一定の律動が生まれている。屋根が瓦ではなく鉄板とスレートである点も、この建物が住宅ではなく明治後期の産業施設として構想されたことを示している。

登録の位置づけ

愛媛蚕種株式会社事務室・玄関の登録年月日は平成11年(1999年)6月7日、官報での告示は同年7月19日である。文化庁の記録では登録番号38-0004、第17回の登録にあたる。適用された登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」だった。

同じ日、北に続く第1蚕室と第2蚕室も、それぞれ別の登録有形文化財として登録されている。保内ボランティアガイドの会の資料によれば、この一連の登録は愛媛県で4番目、民間所有としては県内初のものだった。行政や公共施設が先に並びがちな登録制度のなかで、稼働中の民間企業がこの段階で名乗り出た例である。

同会は現在、同社を西日本で唯一の蚕種製造会社と紹介している。生産の現場が続いているからこそ、事務室・玄関という地味な用途の建物が、書き割りではない姿のまま残った。

見学方法

愛媛蚕種株式会社事務室・玄関は稼働中の民間企業の施設であり、常時の一般公開は行われていない。八幡浜市が公表している一般公開施設の一覧にも含まれていないため、内部を自由に見学することはできない。所有者の業務を妨げないよう配慮したい。

外観は隣接する街路から見ることができる。玄関まわりのペディメントや隅切りの構えは、路上からでも十分に読み取れる。撮影は公道からの外観に限るのが無難で、敷地内への立ち入りや内部の撮影は所有者の許可が必要である。

建物の背景を聞きながら歩きたい場合は、川之石地区交流拠点施設「みなせ」を拠点とする保内ボランティアガイドの会が、予約制のまちなみガイドを実施している。案内の可否や範囲は同会と所有者の調整によるため、事前に問い合わせてほしい。

アクセスは、JR八幡浜駅から伊方・三崎方面の路線バスで川之石方面へ向かうか、車でおよそ10分。八幡浜港からも近い。

Q&A

Q愛媛蚕種株式会社事務室・玄関は見学できますか。
A内部の一般公開は行われていません。稼働中の民間企業の事務所であり、八幡浜市の一般公開施設の一覧にも含まれていないためです。外観は隣接する街路から見ることができます。敷地内に入る場合や内部を撮影する場合は、所有者の許可が必要です。
Q愛媛蚕種株式会社事務室・玄関の指定区分と登録年は?
A登録有形文化財(建造物)で、登録年月日は平成11年(1999年)6月7日、官報告示は同年7月19日です。登録番号は38-0004、第17回の登録にあたり、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」が適用されました。
Q愛媛蚕種株式会社事務室・玄関の建築上の見どころはどこですか。
A建物南東端の角を斜めに落とした隅切り部分に玄関を据えている点です。二方向の街路のどちらから見ても正面になります。玄関の上には浅いポーチが張り出し、階下の窓の上には三角形のペディメントが並びます。外壁は木造にモルタルを塗った仕上げです。
Q愛媛蚕種株式会社事務室・玄関へはどう行けばよいですか。
AJR八幡浜駅から伊方・三崎方面の路線バスで川之石方面へ向かうか、車でおよそ10分です。八幡浜港からも近い位置にあります。川之石地区交流拠点施設「みなせ」を拠点とする保内ボランティアガイドの会が予約制のまちなみガイドを行っており、案内の可否は事前の問い合わせが必要です。
Q愛媛蚕種株式会社事務室・玄関の「蚕種」とは何ですか。
A蚕(かいこ)の卵のことです。養蚕農家に供給される種であり、その品質が繭と生糸の出来を左右します。この建物を建てた会社は、明治39年(1906年)に天然氷を使った蚕種の冷蔵法を考案し、卵の孵化時期を制御することで供給を安定させました。

基本情報

名称愛媛蚕種株式会社事務室・玄関(えひめさんしゅかぶしきがいしゃじむしつ・げんかん)
所在地愛媛県八幡浜市保内町川之石3-70
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成11年(1999年)6月7日登録
員数1棟
寸法木造2階建、鉄板葺一部スレート葺、建築面積約209平方メートル
所有者愛媛蚕種株式会社
公開状況非公開。稼働中の民間企業の事務所のため内部の一般公開はなし。外観のみ街路から見学可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):愛媛蚕種株式会社事務室・玄関
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001145
文化遺産オンライン:愛媛蚕種株式会社事務室・玄関
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/147755
八幡浜市:文化財について(一般公開施設と文化財の紹介)
https://www.city.yawatahama.ehime.jp/doc/2022103100010/
八幡浜市:国登録有形文化財一覧(PDF)
https://www.city.yawatahama.ehime.jp/doc/2022103100010/file_contents/2022103100010_docs_2014091600054_files_touroku.pdf
保内ボランティアガイドの会:保内町の紹介(産業の歴史)
https://www.honaimachinami.com/town-introduction/

最終更新日: 2026.09.04