川べりに建つ木造モダニズムの校舎
日土小学校は、愛媛県八幡浜市日土町にある小学校で、昭和31年(1956年)竣工の中校舎と昭和33年(1958年)竣工の東校舎が、平成24年(2012年)12月28日に国の重要文化財に指定された。
谷の道は何も予告しない。八幡浜の市街から喜木川に沿って北へ入り、みかん畑の段々と、次第に狭まる道路を過ぎたあたりで、川の北岸に細長い木造二階建が二棟現れる。水平に連なる窓が端から端まで途切れず走り、二階のベランダが川面へ張り出している。
設計者は市の職員だった。松村正恒は八幡浜市役所土木課建築係に勤務しており、この校舎は業務として設計されたものである。
松村正恒という設計者
松村正恒は大正2年(1913年)、愛媛県喜多郡新谷村、現在の大洲市新谷町に生まれた。武蔵高等工科学校(現在の東京都市大学)で蔵田周忠に学ぶ。蔵田はヨーロッパの近代建築と民藝運動の双方に深く関わった建築家である。昭和10年(1935年)、松村は土浦亀城建築設計事務所に入所した。土浦は帝国ホテルの現場でフランク・ロイド・ライトのもとにあり、後に日本で最も鋭い近代住宅を手がけた人物である。
昭和22年(1947年)10月、松村は八幡浜市役所に採用される。以後13年ほどのあいだに、豊後水道に面した地方都市のために学校、図書館、病院などの公共建築を設計した。地元の記録には、昭和35年(1960年)に雑誌で日本を代表する建築家10人の一人に挙げられたと伝えられる。市役所勤務の技術者としては異例の評価である。同年、松山市に設計事務所を開き、平成5年(1993年)に没するまで民間で活動した。
この経歴の面白さは制約の側にある。公共予算、地元の大工、木材、そして子どもという使い手。そこから生まれたものが、いま国際的に研究されている。
どう造られているか
両棟とも木造二階建で、緩勾配の切妻屋根をスレート葺、一部を鉄板葺とする。建築面積は中校舎375.80平方メートル、東校舎394.53平方メートル。どちらも大きな建物ではない。
構造は混構造である。木造軸組が基本にあり、木だけでは足りない箇所に鉄骨が入る。中校舎では二階の床梁に鉄骨トラスを用いて天井高を確保し、柱間には丸鋼材を中央の円環で引いた筋交いを入れて剛性を高めている。その上の小屋組は木造トラス。東校舎は鉄骨トラスの棟桁に登り梁を掛ける構造をとり、二階ベランダは木製円柱の斜柱3本で支持されている。
そして窓である。松村は窓枠を柱の間にはめ込まず、構造体の外側から取り付けた。これによって窓の連なりから柱の分断が消え、立面の全長にわたる水平連続窓が成立する。東校舎の南面では軸組から約36センチメートル離して枠を設け、窓下に生まれた奥行きへベンチを造り付けた。子どもの背丈の高さである。中校舎の二階では、廊下屋根と本屋屋根のあいだも窓とする。一階南側の窓上にはスレート葺の庇、二階南面の窓の中段には木製ルーバー庇がつく。
東校舎のクラスター型平面
国際的な注目を集めたのは東校舎の平面である。教室を片廊下沿いに並べる日本の標準形をとらず、松村は廊下と教室のあいだに中庭を置き、各教室の戸口を前室を介して廊下へ接続した。当時としては新しい考え方だったクラスター型であり、東校舎はこれを木造で実現した日本最初の例と理解されている。
中庭は実務的に働く。奥行きのある平面の内側へ、採光と通風を引き込む。前室は社会的に働く。共用の動線に直接扉を開くのではなく、学級ごとの敷居を与える。
造作は時間をかけて見る価値がある。昇降口の下足棚は細い支柱で床から浮かせてある。教室の収納棚も同じく床から離して壁に造り付ける。前室脇の飾棚は支柱一本で支えられている。図書室では梯子状の鉄製縦枠に棚板を渡して書架とし、間仕切壁の上部には輪切りにした竹を並べて星座を表している。相談室の南壁は、伊予絣と金紙を市松に貼り分けたものである。中校舎では、階段脇の職員室の角を三角にくぼめ、そこに小さな飾棚を設けている。
床は縁甲板張、廊下の壁は縦板張、教室は腰壁を縦板張として上部を合板張、天井はボード張。高価な材料はどこにもない。すべてが考え抜かれている。
指定と受賞、そして保存再生
学校の起源は明治8年(1875年)創立の啓蒙学校にさかのぼる。明治42年(1909年)に日土尋常小学校と改称、翌年現在地に校舎を新築移転した。昭和30年(1955年)に日土村が八幡浜市と合併して市立となり、改築計画はすぐに動き出す。中校舎は昭和30年11月18日に工事契約、翌31年4月30日竣工。東校舎は昭和33年5月1日契約、同年10月25日竣工である。
評価は時間をかけて追いついてきた。平成11年(1999年)、ドコモモ・ジャパンの日本の近代建築20選に選定。平成19年(2007年)9月6日、八幡浜市の有形文化財に指定。平成20年(2008年)には西校舎残部の改築とあわせて中校舎・東校舎の保存再生工事が行われ、平成21年(2009年)6月に完成した。平成24年(2012年)11月にはワールド・モニュメント財団とノールによるモダニズム賞を受賞し、同年12月28日、指定基準「意匠的に優秀なもの」により国の重要文化財に指定された。設計図面42枚が附として指定されている。
訪問の実際
日土小学校は現役の小学校であり、平日には子どもたちがいる。訪問を計画する際に最も重要なのはこの一点である。
八幡浜市は年に3回ほど、夏・冬・春の長期休暇の期間に校舎見学会を実施している。入場無料、駐車場は運動場が使われる。この日は廊下や教室を歩くことができ、回によっては学芸員やボランティアガイドの案内があり、総合学習で学んだ内容を児童自身が説明する回もある。校長室、職員室、保健室などは立ち入りが制限される。
それ以外の日は、遠方から訪れても校舎内の見学は断られ、外観のみの見学となる。学校自身のページにその旨が明記されている。実際に遠方から来て引き返す人がいるということでもある。訪問前に八幡浜市のウェブサイトで当年度の日程を確認してほしい。
所在地は八幡浜市街の北方、喜木川中流の谷間にあたり、公共交通の便は限られる。学校周辺の道路は狭く、路上駐車は認められていない。マイクロバス以上の大型車で訪れる場合は事前に市へ連絡することとされている。八幡浜は九州へのフェリー港でもあり、豊後水道を渡る旅程に組み込みやすい位置にある。
Q&A
- 日土小学校の校舎内部は見学できますか。
- 見学会の日に限られます。八幡浜市が夏・冬・春の長期休暇中に年3回ほど実施しており、入場無料、駐車場は運動場です。それ以外の日は授業中のため外観のみの見学となります。日程は八幡浜市のウェブサイトで確認してください。
- 日土小学校を設計したのは誰ですか。いつ建てられましたか。
- 八幡浜市役所土木課建築係に勤務していた建築家、松村正恒の設計です。中校舎は昭和31年(1956年)4月、東校舎は昭和33年(1958年)10月に竣工しました。
- 日土小学校はなぜ重要文化財に指定されたのですか。
- 平成24年(2012年)12月28日、指定基準「意匠的に優秀なもの」により指定されました。合理的な木造と鉄骨の混構造、創意に富んだ平面計画、工業製品と身近な材料による意匠が評価され、木造で実現したモダニズム建築の優品とされています。
- 日土小学校のクラスター型平面とはどのようなものですか。
- 東校舎で採用された平面で、廊下と教室のあいだに中庭を設け、各教室へは前室を介して入る形式です。採光と通風を平面の奥まで導く効果があり、木造によるクラスター型としては日本最初期の例と理解されています。
- 日土小学校の重要文化財は何棟ありますか。
- 中校舎と東校舎の2棟です。あわせて設計図面42枚が附として指定されています。西校舎は後の改築によるもので、指定の対象には含まれません。
基本情報
| 名称 | 日土小学校 中校舎・東校舎 |
|---|---|
| 所在地 | 愛媛県八幡浜市日土町二番耕地851番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) 指定番号 02592 指定基準「意匠的に優秀なもの」 |
| 指定年 | 平成24年(2012年)12月28日 指定 |
| 員数 | 2棟(附 設計図面42枚) |
| 寸法 | 中校舎:木造二階建、建築面積375.80平方メートル。東校舎:木造二階建、建築面積394.53平方メートル。いずれも切妻造、スレート葺一部鉄板葺 |
| 所有者 | 八幡浜市 |
| 公開状況 | 現役の小学校。内部は年3回程度の校舎見学会のみ公開、それ以外の日は外観のみ |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 日土小学校 中校舎
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00004619
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 日土小学校 東校舎
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00004620
- 八幡浜市 日土小学校校舎見学会
- https://www.city.yawatahama.ehime.jp/doc/2022080200017
最終更新日: 2026.08.06
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