群馬県・明治
Meiji群馬県 の明治時代(1868 – 1912)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
群馬県太田市新田溜池町、旧溜池村名主の片山家の屋敷正面に建つ明治6年(1873年)頃の長屋門。桁行10間の切妻造で、2つの門口のあいだに蚕を飼うカイコヤを配し、主屋玄関に対応した門口の構成に特色がある。
群馬県太田市新田溜池町、旧溜池村名主の片山家の屋敷で、主屋の西北に南北棟で建つ明治18年(1885年)頃の衣裳蔵。土蔵造2階建の置屋根で、東面に下屋、南妻面2階に窓を開け、北の蔵とともに主屋の裏庭を構成する。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷地西南隅に祀られた明治中期頃の屋敷神の社殿。切石積基壇に建つ総欅造の一間社流造で、向拝の三斗組、身舎の絵様肘木、二軒繁垂木、擬宝珠高欄付きの縁と浜床を備える正統的なつくりである。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷の東面に開く正門。袖塀を備えた1間1戸の薬医門で、総欅造、二軒の繁垂木をもち、外側を鏡天井、内側を格天井とする。明治中期頃の建築とみられ、平成13年に国の登録有形文化財となった。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷南西隅に建つ明治中期頃の2階建の土蔵。切妻造・桟瓦葺で、主屋側の東面に蔵前の庇と観音扉の入口を設け、両妻に観音扉の2階窓を開け、軒先に蛇腹をめぐらすなど、全体に丁寧なつくりをもつ。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷西面、質蔵の北に建つ明治中期頃の木小屋。屋敷内で間伐した樹木を保管するための南北に細長い平屋で、東面を吹放し、他を土壁とする。豪農の屋敷の構成要素として欠かせない建物である。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷西側で奥蔵の背後に並ぶ明治中期頃の2階建の土蔵。両妻に観音扉の窓を上下に設け、東面の庇の南端を出入り口、残りを畳敷の前座敷とするなど、質蔵としての性格がつくりによく表れている。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷西側の敷地境を区切る延長約44.9mの高塀。構造形式や高さは南塀と同じだが、上部の漆喰壁と下部の縦板張の比例が異なる。明治43年の水害で相当に破損したが、南塀と同様に同じ形式で復旧された。
群馬県藤岡市の川端家の大門北側に建つ明治中期頃の畳敷きの建物。敷地外側は漆喰塗に簓子下見板張、内側は真壁造に引違い建具とし、門側の妻に鉄格子窓を設ける。大門を挟んで東穀蔵と対をなし、屋敷の入口を構成する建物である。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷東面に建つ明治中期頃の穀物用の土蔵。切妻造・桟瓦葺の平屋で、漆喰壁の腰を簓子下見板張とし、外側に鉄格子入りの窓を2つ設ける。大門を挟んで番頭部屋と対をなし屋敷の入口を構成する。
群馬県藤岡市の川端家が生糸関係で財を成した明治中期に建てた接客用の離れ。総2階建・入母屋造の堂々たる外観と、良材を用いた質の高い造作をもつ建築面積131㎡の近代和風建築で、平成13年に登録有形文化財となった。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷東面、番頭部屋の北に接して建つ明治前期頃の2階建の土蔵。切妻造・桟瓦葺で、外側は漆喰壁の腰を簓子下見板張とし、敷地内の西面に吹放しの庇を設ける。東面の構えで際立つ存在である。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷南面の東半分を占める明治中期頃の長大な土蔵。東西棟で東妻を寄棟造、西妻を切妻造とし、漆喰壁の腰を外側は簓子下見板張、内側は煉瓦積とする。ほかの蔵に比べて背が低いのも特徴である。
群馬県藤岡市の川端家の敷地南面の西半分を囲う延長約15.1mの高塀。玉石の基礎に地覆石を据え、真壁造の軸部を立て、腕木で板軒を受けて桟瓦を葺く。明治43年の水害で相当に破損したが、同じ形式で復旧された構成要素である。
群馬県藤岡市の川端家の屋敷東面のほぼ中央に建つ明治前期頃の物置。切妻造・桟瓦葺の平屋で、長柱を用いて和小屋を高い位置に組み、内部を板敷きとして多様な物を収納する。味噌蔵などとともに屋敷東面の構えをつくる。
群馬県伊勢崎市の旧相川家住宅稲荷社は、明治15年(1882年)に建てられた金物商相川家の屋敷神。建築面積5.1平方メートルの小社ながら土蔵造で、両開きの掛子塗の戸と、神紋を飾り高く積み上げた大棟を持つ珍しい社である。
群馬県伊勢崎市の旧相川家住宅表門及び塀は、明治33年(1900年)建築の薬医門と板塀。起り付きの本瓦葺屋根に七宝繋の透積の大棟を載せ、白漆喰の板塀とともに西町の通りに面した屋敷の表構えをつくっている。
旧勝山社煉瓦蔵は、群馬県前橋市本町にある明治期の煉瓦造2階建ての蔵で、平成20年に登録有形文化財となった。イギリス積みの煉瓦に土蔵風の意匠を見せ、軒が高く重厚な外観をもつ。
光恩寺客殿は群馬県千代田町の光恩寺にある明治時代後期の離れ座敷。庫裏の北東端につながる切妻造の平屋で、南の庭園側に縁側を張り出す上質な造り。建築面積62平方メートル、平成11年に国の登録有形文化財となった。
桐生市東1丁目、後藤織物の正面に建つ明治前期の木造2階建の主屋。大正14年頃の増築で帯地を仕上げる8部屋の仕事場を広げ、住まいから事務所兼作業場へ変わった。明治33年と大正14年の家相図が残る登録有形文化財。