廣田家住宅主屋とは

廣田家住宅主屋は、兵庫県尼崎市上坂部2丁目にある明治41年(1908年)建築の茅葺の大型民家で、令和3年(2021年)6月24日に国の登録有形文化財(建造物)となった(文化庁)。読みは「ひろたけじゅうたくおもや」。

文化庁の記録では、構造は木造平屋建、茅葺(銅板仮葺)、建築面積240平方メートルで、昭和51年(1976年)に改修されている。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」とされる。登録番号は28-0759である。

廣田家住宅主屋は、敷地の北寄り、東側に南を正面として建つ。廣田家は代々庄屋を務めた家で、6件が登録された屋敷のうち、この主屋が中心の建物である。

構造と間取り

規模は桁行9間、梁間6間。屋根は入母屋造の平入で、茅葺を銅板で仮に葺いている。四周に桟瓦葺の下屋を付け、東側には付属屋を配する。

内部は東と西で大きく性格が分かれる。東側は土間で、炊事や農作業の場にあたる。西側の床上部は、部屋を縦横に整然と並べた整形の六間取とする。6室を格子状に配するこの間取りは、座敷を重ねて客を迎える必要のあった上層の農家に見られる形である。

登録有形文化財としての価値

文化庁は、廣田家住宅主屋を、代々庄屋を務めた旧家の明治期の住まいの姿をよく残す大型民家として評価している。茅葺の大屋根、整った六間取、式台という三つの要素がそろい、明治末の上層農家の家がどのような構えであったかを具体的に示している。

尼崎市の北部はいまでは住宅街になっており、茅葺の主屋がこの規模で残っていること自体が、地域の景観のなかで目立つ存在になっている。

見どころ

廣田家住宅主屋でまず目に入るのは屋根の形である。中央に高く立ち上がる入母屋造の大屋根は、茅葺の勾配をそのまま残している。いまは茅の上を銅板で覆っているため、遠目には金属屋根に見えるが、急な傾きと厚みのある軒先の線は茅葺の家のものである。

その大屋根の裾を、四方から桟瓦葺の下屋が取り巻く。茅の大屋根と瓦の下屋という二段の構成は、明治の大型民家によく見られる形で、文化庁のデータベースに載る南側外観の写真でもこの二段がはっきり分かる。

南面の中央に構えた式台は、来客を迎える正式な入口である。庄屋の家には役人や村の寄り合いの客が訪れたため、家族が日々使う土間の入口とは別に、格式のある玄関を設けた。廣田家住宅主屋の式台の西柱からは庭門及び塀が延び、奥座敷前の庭を囲んでいる。

見学について

廣田家住宅主屋は個人の住宅で、尼崎市は一般公開を行っていないとしている。内部の間取りを見学することはできない。南側の外観は文化庁の国指定文化財等データベースに掲載された写真で確かめられる。

Q&A

Q廣田家住宅主屋はいつ建てられましたか?
A文化庁のデータベースによれば明治41年(1908年)の建築で、昭和51年(1976年)に改修されています。
Q廣田家住宅主屋の屋根は茅葺ですか?
A文化庁は「茅葺(銅板仮葺)」と記録しています。入母屋造の茅葺屋根を銅板で覆った状態で、四周に桟瓦葺の下屋が付きます。
Q廣田家住宅主屋の間取りはどうなっていますか?
A東側が土間、西側の床上部が整形の六間取で、南面の中央に式台を構えています。東には付属屋が付きます。
Q廣田家住宅主屋は見学できますか?
A見学できません。個人の住宅で、尼崎市は一般公開を行っていないとしています。外観は文化庁データベースの写真で見られます。
Q廣田家住宅主屋が登録有形文化財になったのはいつですか?
A令和3年(2021年)6月24日です(文化庁)。

基本情報

名称廣田家住宅主屋(ひろたけじゅうたくおもや)
所在地兵庫県尼崎市上坂部2丁目162
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年令和3年(2021年)6月24日登録
員数1棟
寸法木造平屋建、茅葺(銅板仮葺)、建築面積240平方メートル、桁行9間・梁間6間
所有者文化庁データベースに記載なし(個人の住宅)
公開状況非公開(個人の住宅)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「廣田家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013856
文化遺産オンライン「廣田家住宅主屋」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/553435
尼崎市「廣田家住宅(ひろたけじゅうたく)」(尼崎の登録文化財、歴史博物館)
https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/manabu/bunkazai_0/1028308/1028313/1028798.html

最終更新日: 2026.10.19