宿の第一印象を決める門

西村屋本館では、庭にも棟にも至らぬうちに、客はまず門をくぐる。城崎の敷地の南正面に構えるのは、二本の本柱と二本の控柱をもつ大型の薬医門である。左右には袖塀が張り出し、そこから塀が折れ曲がって敷地をめぐる。門と塀は、訪れる者が最初に読み取る一行であり、その示す印象は、古く落着いた構えのそれである。

門と塀の年代は昭和前期にさかのぼる。大正十四年(一九二五)の北但大震災が先代の宿を失わせ、その後の再建の一環として整えられた。平成二十七年(二〇一五)十一月十七日、登録有形文化財に登録された。登録番号は28‐0623、基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。

そのつくり

門はゆっくり眺める価値がある。男梁を舟肘木で受け、屋根には平らな線ではなく緩い起りをもたせている。このわずかな調整が、構え全体を優雅な方へと引き上げる。西側には供待が附属する。供の者が待つために設けられたもので、客が供を連れて訪れた時代の名残をとどめる設えである。

塀は竪板張で、総延長はおよそ三十三メートルに及ぶ。その基礎の前面には、暗い色の石が並ぶ。地元産の玄武岩である。この選択は、見た目以上に含みがある。玄武岩という和名は、明治十七年(一八八四)に、同じ豊岡市を流れる円山川沿いの柱状節理の岩壁・玄武洞から名づけられた。ここで切り出された石は川を下って塀や護岸に用いられ、城崎温泉の街を流れる川の護岸にも同じ石が見られる。宿の塀の足元にこの石を据えることは、建物をその立つ土地に結びつける営みでもある。

訪ねる人の目に留まるもの

この物件は公道から眺められる点で、宿の内部空間とは異なる。通りの向かいに立って、構図を受け止めたい。中央の大きな門、左右に踏み出す袖塀、敷地の線に沿って折れ去る塀。門には日常の出入りのための潜り戸が組み込まれており、一人の到着のたびに大きな開口を使う必要はない。

空を背にした屋根の起りに目をやり、暗い玄武岩の基礎が上の淡い竪板をどう支えているかを見てほしい。浴衣に下駄で外湯をめぐる客が行き交うこの町では、このような門は障壁というより町並みの一部として映る。車で訪れる客は開口を抜けて玄関へ進み、徒歩の客は町そのものの構えとしてこれに向き合うことになる。

Q&A

Qこれはどのような門ですか。
A大型の薬医門です。本柱二本と控柱二本からなる形式で、間口は約3.3メートル。左右の袖塀と潜り戸を備えます。
Q塀の基礎に並ぶ暗い石は何ですか。
A地元産の玄武岩です。豊岡には、明治十七年(一八八四)に玄武岩という和名の由来となった玄武洞があり、その周辺で産する石です。
Q塀の長さはどのくらいですか。
A竪板張で、総延長はおよそ三十三メートルです。敷地の南面から側面へと折れ曲がってめぐります。
Q宿泊しなくても見られますか。
A見られます。門と塀は公道に面しているため、温泉街を歩く人は通りから眺めることができます。
Q門と塀はいつ建てられ、いつ登録されたのですか。
A昭和前期、一九二五年の震災後の再建期の建築です。平成二十七年(二〇一五)十一月十七日に登録有形文化財(登録番号28‐0623)となりました。

基本情報

名称西村屋本館門及び塀
所在地兵庫県豊岡市城崎町湯島字御所469
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号28‐0623
登録年月日平成二十七年(二〇一五)十一月十七日
構造(門)木造、瓦葺、間口約3.3m、左右袖塀及び潜り戸付
構造(塀)木造、瓦葺、総延長約33m、供待付
年代昭和前期(1926〜1945)
所有者株式会社ライフ西村屋
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの

参考文献

国指定文化財等データベース 西村屋本館門及び塀
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00010853
西村屋本館 公式サイト
https://www.nishimuraya.ne.jp/honkan/
玄武洞 豊岡市観光公式サイト
https://toyooka-tourism.com/recommend/culture/gembudo/
玄武洞 山陰海岸ユネスコ世界ジオパーク
https://sanin-geo.jp/geosites/genbudo/

最終更新日: 2026.07.11