三木屋西館 ― 城崎温泉復興期の姿を今に伝える木造旅館建築
兵庫県北部、日本有数の温泉街として名高い城崎温泉の中心部に、静かな佇まいを保ちながら約一世紀の時を刻み続けてきた木造二階建ての旅館建築があります。それが、国の登録有形文化財に指定されている「三木屋西館(みきやにしかん)」です。平成26年(2014年)10月7日、隣接する三木屋東館とともに、昭和初期の温泉旅館建築の貴重な遺構として登録されました。
創業約300年を誇る老舗旅館「三木屋」は、文豪・志賀直哉が名作「城の崎にて」を執筆した宿としても広く知られており、明治から昭和にかけて多くの文化人が訪れた文学の舞台でもあります。西館は、その歴史と文化の薫りを今も身近に感じられる、いわば「生きた文化財」です。
歴史的背景
三木屋は、その歴史を安土桃山時代にまで遡ることができるともいわれ、江戸期以来およそ300年にわたって営業を続けてきた但馬きっての老舗旅館です。現在の主人は10代目を数え、歴代当主が受け継いできた建物・庭園・そして客をもてなす気風が、長い時間の層となって今日の三木屋を形づくっています。
城崎温泉そのものの歴史はさらに古く、1,300年以上前に遡ります。コウノトリが傷ついた脚を湯に浸して癒したという開湯伝説が残り、江戸時代には天下一の湯とまで称され、全国から湯治客が訪れる一大温泉地として栄えました。
志賀直哉と『城の崎にて』
三木屋の名を文学史に刻んだのは、白樺派を代表する小説家・志賀直哉(1883〜1971)です。大正2年(1913年)、30歳の志賀は東京の山手線にはねられて大怪我を負い、その療養のために城崎温泉を訪れ、三木屋に約3週間逗留しました。
滞在中、彼は蜂・ネズミ・イモリという三つの小さな生き物の死を静かに観察し、九死に一生を得た自らの体験と重ね合わせて思索を深めました。そこから生まれた短編「城の崎にて」は、生と死という大きなテーマを澄み切った文体で描き切り、今も日本近代文学を代表する名作として広く読み継がれています。
志賀直哉はその後も生涯にわたって三木屋を贔屓にし、白樺派の仲間や家族とともに繰り返し訪れました。三木屋には他にも、民俗学者・柳田國男、画家の山下清や小磯良平など、多くの文人墨客が足を運んでおり、まさに近代日本文化史の舞台の一つといえます。
北但大震災と復興
しかし、志賀が滞在した当時の建物は、現在のものではありません。大正14年(1925年)5月23日、この地方を襲った北但大震災(北但馬地震)は、城崎温泉の街並みの大部分を倒壊・焼失させました。三木屋もまた、この災禍で一度は倒壊してしまいます。
復興にあたって城崎の人々は、近代的な不燃建築ではなく、あえて従来通りの木造建築で町を再建する道を選びました。三木屋が再建されたのは昭和2年(1927年)で、西館もこの時に東館と並んで建てられた建物です。その後、昭和21〜40年(1946〜1965年)に一部改修が加えられ、さらに平成25年(2013年)には内装の大規模なリニューアルが行われましたが、外観の意匠や全体の構成は今も丁寧に保たれています。
登録有形文化財としての価値
三木屋西館は、平成26年(2014年)10月7日、東館とともに国の登録有形文化財(建造物)として登録されました。文化庁の登録解説では、大正14年の北但地震後の城崎温泉復興期の姿を良く留める建物であることが評価されています。
文化財としての価値を支える要素は主に三点あります。第一に、昭和初期における温泉旅館建築の典型的な意匠を今に伝える木造二階建てであること。第二に、隣接する三階建ての東館と一体化した複合的な構成をとり、当時の旅館が段階的に増築されていった姿を示していること。そして第三に、城崎温泉という町全体の歴史的景観の一部を構成していることです。震災後に木造で町を作り直したという城崎の決断が、現在の情緒ある温泉街の景観を作り上げており、西館もまたその景観を支える重要な建物の一つとして位置づけられています。
建築の見どころ
西館は木造二階建て、建築面積は約202平方メートル。三階建ての東館より建ちがわずかに低く、二棟が並んで建つ様子は、ゆるやかなリズムを持つ美しいシルエットを描きます。
入母屋造桟瓦葺の屋根と南面ガラス窓
屋根は伝統的な入母屋造(いりもやづくり)で、桟瓦葺(さんがわらぶき)で仕上げられています。関西圏の上質な住宅建築や旅館建築に広く用いられた様式で、格式と柔らかさを兼ね備えた佇まいを生み出しています。
庭園に面する南側には、一階・二階ともに長くガラス窓が連なっており、二階部分にはバルコニー状に手摺(てすり)が設けられています。この手摺の意匠は、建物全体の重さを視覚的に和らげる繊細なアクセントとなっており、客室から庭を望む景色に軽やかさを添えています。
客室を中心とした内部構成
東館が一階にロビーと宴会場、二階に客室、三階には舟底天井を見せる大宴会場を配した複合的な機能を持つのに対し、西館は一階・二階ともに客室を中心に構成されています。畳敷きの客室からは縁側越しに日本庭園を望むことができ、ゆっくりと四季の移ろいを味わえる静かな空間となっています。
また三木屋には、志賀直哉が昭和2年の再建後に好んで逗留した客室や、当館主人に宛てた直筆の葉書などが今も大切に保存されており、宿泊されたお客様は、日本近代文学の名作が生まれた空気を肌で感じることができます。
約300坪の池泉回遊式庭園
庭園そのものは文化財の対象ではありませんが、西館の建築体験と切り離すことはできません。敷地には約300坪(およそ990平方メートル)に及ぶ池泉回遊式庭園が広がり、背後の大師山を借景として取り込みつつ、旅館の裏手を流れる大谿川から水を引き込んだ池が中心に配されています。志賀直哉の長編小説『暗夜行路』にも描かれたとされるこの庭は、春の桜、夏のサルスベリ、秋の紅葉とツワブキ、冬の雪景色と、一年を通じて表情を変え、客室の縁側やロビーの月見台から存分に楽しむことができます。
訪問のご案内
三木屋西館は博物館ではなく、現役で営業している旅館の一部です。建物の魅力を最も深く体験していただくには、ご宿泊をおすすめいたします。宿泊されるお客様は、客室・庭園・ライブラリーラウンジ、そして旅館の内湯に加え、城崎温泉名物である七つの外湯を無料で利用できる「ゆめぱ」パスもお受け取りいただけます。
日帰りで外観のみをご覧になる場合も、西館は城崎温泉のメインストリート沿いに建っていますので、温泉街散策の途中に気軽にその佇まいを楽しむことができます。ただし、建物内部は宿泊のお客様の生活空間でもありますので、ご予約のない方の館内見学はご遠慮いただいております。
JR城崎温泉駅からは徒歩約13分。ご宿泊のお客様には、駅前に旅館の無料送迎がございます(18時までの特急到着に対応)。
周辺の見どころ
三木屋にご宿泊いただくと、城崎温泉のほぼすべての名所が徒歩圏内という理想的な立地を実感していただけます。城崎はしばしば「町全体が一つの大きな旅館」と称され、通りが廊下、外湯が大浴場、宿が客室という感覚で過ごすことができます。
七つの外湯めぐり
城崎温泉の最大の魅力は、浴衣と下駄で町を歩きながら巡る七つの外湯です。それぞれに建築の個性と、古くから伝わるご利益があります。
- 一の湯 ― 江戸時代の名医に「天下一」と賞されたと伝わる名湯。
- まんだら湯 ― 城崎温泉の開湯伝説にちなむ由緒ある湯。
- 御所の湯 ― 縁結び・火伏せの湯として知られる華やかな外湯。
- 鴻の湯 ― コウノトリ伝説発祥の地とされる最も古い外湯。森を望む露天風呂が魅力。
- 柳湯 ― 柳の木の下に湧き出たと伝わる、こぢんまりとした情緒ある湯。
- 地蔵湯 ― 駅から近く家族連れにも親しまれる外湯。
- さとの湯 ― 駅前に位置する最大規模の外湯で、多彩な浴槽とサウナを備える。
文化と自然を楽しむスポット
徒歩圏内には、志賀直哉をはじめ城崎ゆかりの文人たちの作品や資料を展示する「城崎文芸館」、温泉街の鎮守として古くから信仰を集める「温泉寺」(城崎温泉ロープウェイで山上にも登れます)、柳並木と石橋が織りなす風情あふれる「大谿川遊歩道」などがあります。冬には松葉ガニ料理、そして一年を通して但馬牛といった、但馬ならではの美食も城崎滞在の大きな楽しみです。
Q&A
- 宿泊せずに三木屋西館を見学することはできますか。
- 西館は現役の旅館の一部ですので、内部の見学はご宿泊のお客様に限らせていただいております。建物の外観につきましては、城崎温泉の町歩きの中で通り沿いから自由にご覧いただけます。他のお客様や近隣の方へご配慮のうえ、散策をお楽しみください。
- 東館と西館の違いは何ですか。
- いずれも北但大震災後の復興期、昭和2年(1927年)に建てられた登録有形文化財です。東館は木造三階建てで、玄関・ロビー・宴会場を備え、三階には舟底天井が美しい大宴会場があります。対して西館は木造二階建てで、主に庭園を望む客室で構成されています。
- 志賀直哉が使った客室は今も残っているのですか。
- 大正2年の滞在当時の建物は、大正14年の北但大震災で倒壊しました。現在の建物は昭和2年の再建ですが、志賀が再建後に好んで使った客室や、当館主人宛ての直筆葉書などは大切に保存されております。ご覧いただける条件などはご予約状況によりますので、詳しくは宿に直接お問い合わせください。
- タトゥーが入っていても温泉に入れますか。
- はい。城崎温泉は国内でも珍しく、七つの外湯すべてがタトゥーのあるお客様を受け入れていることで知られています。三木屋の内湯も同様にご利用いただけますので、海外のお客様にも安心してお楽しみいただけます。
- ベストシーズンはいつですか。
- 四季それぞれに異なる魅力があります。冬(11〜3月)は松葉ガニ料理の季節で、雪化粧の木造建築が幻想的です。春は木屋町通りの桜、秋は庭の紅葉、夏は長い夕暮れの浴衣散歩と、どの季節に訪れても城崎ならではの風情を味わえます。
基本情報
| 名称 | 三木屋西館(みきやにしかん) |
|---|---|
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録年月日:平成26年(2014年)10月7日 |
| 構造 | 木造2階建、入母屋造桟瓦葺、建築面積 約202㎡、1棟 |
| 建築年代 | 昭和2年(1927年)/昭和21〜40年(1946〜1965年)一部改修/平成25年(2013年)内装改修 |
| 所有 | 株式会社三木屋 |
| 所在地 | 兵庫県豊岡市城崎町湯島字御所487 |
| アクセス | JR城崎温泉駅より徒歩約13分/ご宿泊者向けの無料送迎あり |
| 利用形態 | 現役の温泉旅館/外観は通りから見学可/内部はご宿泊のお客様に限る |
参考文献
- 文化遺産オンライン「三木屋西館」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/262372
- 文化遺産オンライン「三木屋東館」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/234331
- 国指定文化財等データベース「三木屋西館」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010219
- 城崎温泉 三木屋 公式サイト
- https://kinosaki-mikiya.jp/
- 三木屋について ― 宿の歴史と志賀直哉
- https://kinosaki-mikiya.jp/about/
- Japan Guide ― Kinosaki Onsen Hot Spring Baths
- https://www.japan-guide.com/e/e3527.html
最終更新日: 2026.04.23