重要文化財
Important Cultural Property日本の重要文化財を一覧で検索できます。都道府県、時代、カテゴリーで絞り込み、詳しい解説を読み、地図や旅行のヒントで訪問計画を立てましょう。
京都府亀岡市本梅町の延福寺にある花崗岩製の石造十三重塔は延文三年(一三五八)の刻銘を持ち、昭和三十二年に重要文化財に指定された。丹波で中世まで遡る唯一の十三重石塔とされ、初重には四方仏が半肉彫される。
京都市左京区大原、三千院の有清園に建つ往生極楽院阿弥陀堂は久安四年(一一四八)の年代を持ち、明治三十年に重要文化財として指定された。国宝の阿弥陀三尊を納めるため天井を舟底型に折り上げた平安後期の仏堂である。
京都市北区の大徳寺塔頭・黄梅院本堂は、桁行19.1メートル、入母屋造本瓦葺の方丈建築で、大正11年に重要文化財に指定された。雲谷等顔筆の障壁画四十四面と前庭の破頭庭を伝え、春秋の特別公開時のみ拝観できる。
京都府南丹市園部町大河内の大山祗神社本殿は、応永26年(1419年)建立の一間社流造・こけら葺。屋根の細部手法が残り、造営に用いた形板12枚も附として指定されている。愛媛県今治市の同名社とは別の旧村社である。
旧岡花家住宅は江戸中期の茅葺民家。船井郡瑞穂町質志から綾部市の大本梅松苑へ移築復原され、妻入縦割り型の摂丹型民家として現存最古の遺構とされる。現在は木の花庵と名を改め、大本の神苑内で茶席に使われている。
京都市右京区嵯峨、大覚寺門前の塔頭覚勝院に建つ室町前期ごろの石造宝篋印塔。基壇の上に建ち、昭和35年に重要文化財に指定された。覚勝院は正平年間に建立された真言宗大覚寺派の寺で、境内は自由に参拝できる。
京都・山科の勧修寺書院は、宮中の旧殿を江戸時代に移したと伝わる重要文化財。上段の間の違い棚「勧修寺棚」や極彩色の障壁画で知られる。内部は非公開ながら、氷室池を中心とした庭園からその端正な外観を望める。
木津川市加茂町岩船の岩船寺五輪塔。鎌倉時代後期の高さ2メートル余りの石造五輪塔で、寺伝では東大寺別当平智僧都の墓と伝わる。地輪の下に返花座を備えた大和式の代表例とされ、昭和12年ごろに現在地へ移された。
木津川市加茂町岩船の岩船寺三重塔。三間三重塔婆・本瓦葺で高さ約18メートル。昭和18年の解体修理で丸桁から嘉吉2年(1442年)の銘が見つかった。大型連休と秋の土日祝には塔の初層が特別公開されている。
木津川市加茂町岩船の岩船寺十三重塔。鎌倉時代後期の花崗岩の石塔で高さ5.5メートル、正和3年の建立と伝わる。初重の四面に金剛界四仏の梵字を刻み、昭和18年の積み直し修理で水晶の五輪舎利塔が見つかった。
木津川市加茂町岩船の岩船寺石室。応長2年(1312年)の銘をもつ花崗岩の仏龕で、前面に2本の角柱を立て一枚岩の寄棟屋根を架けた珍しい様式。奥壁に薄肉彫りの不動明王と、願主盛現の名を含む銘を刻んでいる。
京都府京丹波町下粟野に建つ観音堂は、桁行・梁間ともに五間の寄棟造・茅葺の仏堂で、地元の下粟野区が守り伝えてきた。棟札などの記録から天文8年(1539年)以前の建立と判明し、地方的特色が認められて平成7年に国の重要文化財に指定された。
京都市下京区の西本願寺の門前に建つ旧真宗信徒生命保険の社屋、現在の本願寺伝道院。伊東忠太設計の明治44年(1911年)の煉瓦造で、英国風の外壁にインド風ドームや六角塔屋、中国風高欄を組み合わせている。
東寺の伽藍南西に建つ灌頂の道場。寛永期再建の双堂形式の大堂と鎌倉前期の北門・東門の3棟が重要文化財。毎年1月の後七日御修法の会場で、北門は4月21日だけ開く。ふだん非公開の堂を外から見るための日程と見どころを紹介する。
東寺の寺域の北側、八条通に面して建つ鎌倉時代前期の四脚門。平安時代の道幅を残す櫛笥小路の入口にあたり、北大門まで一直線に見通せる。明治43年の重要文化財指定の経緯、6本の柱で組む四脚門の構造、京都駅からの行き方を解説。
東寺の南大門から金堂・講堂・食堂へ続く南北軸の北端に立つ桃山時代の八脚門。慶長6年頃の建立で、12本の柱で屋根を支える。伽藍と子院の区域の境に立つこの門の役割、軸線を確かめる見方、京都駅からの行き方を紹介する。
東寺の北東、大宮通に面する鎌倉時代前期の八脚門。毎年5月3日には伏見稲荷大社の神輿5基がこの門に到着する。北大門と同じ形式でありながら300年以上古いこの門の見方と、市バスや京都駅からの行き方を解説する。
東寺の伽藍中央に建つ室町時代の講堂。文明18年の焼失からわずか5年後の延徳3年に再建され、空海構想の立体曼荼羅21体を納める。仏像の並び方の読み方、拝観時間と料金、2026年秋の須弥壇北面の特別公開も紹介する。
東寺の大師堂内陣に納められ、昭和30年の修理で見つかった高さ約1.6メートルの五重塔。延応2年に宣陽門院が寄進し、屋根まで精巧に作られた。文化庁解説文の年代表記の誤りと、宝物館の特別公開での展示状況を詳しくまとめた。
東寺の東側に建つ八脚門で、南北朝時代に足利尊氏の軍が扉を閉ざして難を逃れたことから不開門と呼ばれる。文化庁は慶長10年の建物と記録し、東寺は矢の痕が残ると紹介する。文化庁と東寺で異なる年代の記録も整理して紹介する。