白山社奥社本殿とは―風越山の山頂近くに建つ室町後期の本殿
白山社奥社本殿(はくさんしゃおくしゃほんでん)は、長野県飯田市上飯田の風越山の山頂近くに建つ室町時代後期、永正6年(1509年)の神社本殿で、昭和9年(1934年)に重要文化財に指定された。
風越山は「かざこしやま」と読み、飯田の市街地から北西に見上げる標高1,535メートルの山である。白山社はこの山の飯田市側に広がる神社で、山麓の滝の沢にある里宮と、山上の奥社とに分かれている。奥社の本殿が建つのは標高約1,490メートルの平坦地で、里宮から登ると標高差はおよそ800メートルになる。
祭神は菊理姫命・伊弉諾命・大己貴命の三柱。社伝では養老2年(718年)に加賀白山を開いた泰澄がこの社を開いたとされるが、飯田市は詳しいことは分かっていないとしている。平安時代から「風越」の峯が和歌に詠まれており、古くから霊峰としてあがめられた山に社が置かれたと考えられている。
白山社奥社本殿は三間社流造、柿葺の建物である。正面の柱間は三つで、身舎は桁行4.80メートル、梁間1.882メートル。前に張り出す向拝は梁間1.60メートルある。
正面には江戸時代に建てられた幣殿と拝殿がつながっている。
建立年代と重要文化財としての価値
白山社奥社本殿の建立年代は、昭和14年から15年(1939〜1940年)にかけての修理工事で判明した。向拝の実肘木から永正6年(1509年)の墨書が見つかり、建物の特徴とも食い違わないことが確かめられている。飯田市は、細部の様式が15世紀中頃の建物とほぼ一致すると説明している。
山頂近くにこれだけの社殿を建てられたのは、当時の有力者だったとみられる。永正6年ごろ飯田郷を治めていたのは坂西氏で、江戸時代に書き写された白山権現の鰐口の銘文には「大旦那源政満」と永正8年(1511年)の年紀があった。飯田市は、この源政満が坂西氏の有力者で、本殿の造営にかかわった人物とみている。
坂西氏が滅んだ後も社殿は守られた。棟札から、天正20年(1592年)以降は歴代の飯田城主が修理を重ねたことが分かっている。とくに飯田藩主の堀家は、享保16年(1731年)に幣殿と拝殿を、安永4年(1775年)に随身門を建てている。平成16・17年度(2004〜2005年度)にも保存修理が行われた。
折衷様と、並べて置かれた桁
白山社奥社本殿の骨組みは和様を主体とし、そこに大仏様と禅宗様の手法を加えた折衷様である。目を引くのは軒を支える桁の扱いで、身舎では2本、向拝では3本の桁を隣り合わせに並べている。この形式は全国的には珍しいが、長野県内では室町時代後期の建物のいくつかに見られるという。
向拝柱の上に入る手挟も独特の形をしており、松本市の筑摩神社本殿のものと同じ形である。飯田市は、両者の大工に関係があったことがうかがえるとしている。縁をめぐる高欄を持たないことも、この本殿の特徴に数えられる。
見どころ―弁柄の赤と扉に描かれた霊獣
白山社奥社本殿は、身舎の内部を除く全体が弁柄で赤く塗られ、正面の一部には黒漆が使われている。腰板には唐獅子が描かれる。山上の針葉樹の中で、この赤はよく目立つ。
扉の内側には竜・亀・鳳凰・麒麟・虎・白沢という霊獣の絵がある。白沢は人の言葉を解し、よい政治が行われる世に現れると伝わる想像上の獣である。飯田市は、これらの扉絵は室町時代より新しいものと考えている。
正面の彩色が保存状態よく残ったのには理由がある。飯田市美術博物館の解説によれば、享保16年(1731年)に幣殿と拝殿が建てられた際、向拝の側面も板壁と板戸でふさがれ、本殿の正面が外気から守られることになった。拝殿と幣殿が本殿を風雪から守る形になったことは、飯田市の解説でも触れられている。
参拝者が白山社奥社本殿を見られるのは側面と背面からである。横に回ると、本殿の屋根が幣殿の屋根と一体になっている様子と、軒下に2本並んだ桁の線が分かる。石段の正面には安永4年(1775年)の随身門が建ち、本殿・幣殿・拝殿と同じく弁柄で塗られている。幣殿・拝殿と随身門は飯田市指定有形文化財である。
飯田市は、白山社奥社本殿を全国で3番目に高い位置にある重要文化財の建造物として紹介している。
見学方法―登山で訪ねる奥社
白山社奥社本殿の見学は外観のみである。本殿の内部は公開されておらず、手前の拝殿にも通常は入ることができない。飯田市の案内には拝観料や拝観時間の記載はなく、撮影の制限についても示されていない。現地に掲示があればそれに従いたい。
奥社までは山道を歩いて登る。飯田市によれば標高差は約800メートル、登りは2.5時間前後かかり、登山に適した服装と装備が必要である。
表参道(滝の沢)の入口へは、信南交通の市民バス大休線「砂払」または「西中入口」で降りて徒歩15分ほど。押洞の登山道入口へは、JR飯田線の飯田駅から歩いて30分ほどである。車の場合は、平成記念こどもの森公園の駐車場などが使える。
山頂近くは天候が変わりやすい。白山社奥社本殿を訪ねるなら、時間に余裕を持った計画を立てておきたい。
Q&A
- 白山社奥社本殿はいつ建てられ、いつ重要文化財に指定されましたか?
- 室町時代後期の永正6年(1509年)の建物です。昭和14年から15年(1939〜1940年)の修理で向拝の実肘木から墨書が見つかり、建立年代が分かりました。重要文化財の指定は昭和9年(1934年)です。
- 白山社奥社本殿は中に入って見学できますか?
- 外観のみの見学です。本殿の正面には幣殿と拝殿がつながっているため、本殿の姿は側面と背面から見ることになります。拝殿にも通常は入れません。
- 白山社奥社本殿まではどうやって行けますか?所要時間は?
- 風越山を歩いて登ります。表参道入口は市民バス大休線「砂払」または「西中入口」から徒歩15分、押洞の登山道入口はJR飯田駅から徒歩30分ほどです。飯田市によれば標高差は約800メートル、登りは2.5時間前後です。
- 白山社奥社本殿の建築上の特徴は何ですか?
- 三間社流造、こけら葺で、和様に大仏様と禅宗様を交えた折衷様です。軒の桁を身舎で2本、向拝で3本並べる珍しい形式をとり、全体を弁柄で赤く塗っています。
- 白山社奥社本殿の扉にはどんな絵が描かれていますか?
- 扉の内側に竜・亀・鳳凰・麒麟・虎・白沢の霊獣が描かれています。飯田市は、扉絵は室町時代より新しいものと考えています。腰板には唐獅子の絵があります。
基本情報
| 名称 | 白山社奥社本殿 |
|---|---|
| 所在地 | 長野県飯田市上飯田(風越山の山頂付近、標高約1,490メートル) |
| 指定区分 | 重要文化財 |
| 指定年 | 昭和9年(1934年) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 身舎 桁行4.80メートル、梁間1.882メートル/向拝 桁行4.80メートル、梁間1.60メートル |
| 所有者 | 白山社 |
| 公開状況 | 外観のみ見学可(側面と背面から)。登山で到達(登り2.5時間前後) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)白山社奥社本殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/940
- 白山社奥社本殿(飯田市ホームページ 文化財保護いいだ)
- https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/hakusansha.html
- 白山社奥社幣・拝殿、随身門(飯田市ホームページ 文化財保護いいだ)
- https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/heihaiden.html
- 指定文化財一覧(国・県・市指定別)(飯田市ホームページ)
- https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/shitei-list.html
- 白山社奥社本殿(飯田・下伊那の文化財検索 飯田市美術博物館)
- https://bunkazai.iida-museum.org/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E7%A4%BE%E5%A5%A5%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E6%AE%BF/
最終更新日: 2026.10.04