屋敷で1棟だけ年代が違う

久恒家住宅オンドル部屋は、大分県中津市大字上宮永にある昭和20年(1945年)頃建設の木造平屋建で、平成13年(2001年)に登録有形文化財となった。建築面積は51平方メートルある。

久恒家住宅の15件のうち、14件は大正13年(1924年)の建設である。年代が離れているのはこの1棟だけで、およそ20年後に建て増された。屋敷の完成後に新しい設備を持つ棟が加わった、その記録にあたる。

建つのは屋敷の北面、東側の物置と西側の米蔵に挟まれた位置である。屋根は切妻造桟瓦葺。西半は6畳ほどの座敷で浅い床を備え、東半が玄関になる。離れのような性格の、規模の小さい建物である。

オンドルとは何か

久恒家住宅オンドル部屋の名は、床下に煙道を通して部屋を温める暖房方式に由来する。オンドルは朝鮮半島で長く用いられてきた方式で、焚口で燃やした煙を床下の通り道に導き、床面から熱を伝える。空気を温める火鉢や暖炉と違い、体が触れる床そのものが熱を持つ。

日本の住宅に取り入れられた例は多くない。畳と床下換気を前提とする日本の在来構法とは相性が悪く、床下に煙道を設けるには構造から考え直す必要がある。それを既存の屋敷の一角で実行したことになる。

なぜ久恒家がこの方式を選んだのか、その理由を記した一次資料は確認できていない。文化庁データベースも建設の経緯には触れていない。

見どころ

久恒家住宅オンドル部屋の外観で目を引くのは、棟をずらした構成である。西半の座敷と東半の玄関で棟の位置を前後させ、雁行風の輪郭をつくる。雁行とは、雁の群れが斜めに連なって飛ぶ形になぞらえた言い方で、建物を少しずつずらして配する手法を指す。

小さな建物にこの手法を使う必要はない。まっすぐな長方形で十分足りるところを、あえてずらしている。文化庁の解説が屋敷後方の存在感のある付属施設と評するのは、この輪郭の効果を指していると読める。

西半の座敷には浅い床が付く。床は床の間のことで、浅いというのは奥行きが小さいという意味である。簡略な形ではあるが、座敷として整えようという意図は明確に示されている。

屋根は瓦葺で、両隣の物置が鉄板葺であるのと対照的である。付属施設でありながら、母屋側の格式に寄せた仕上げになっている。

見学方法

久恒家住宅オンドル部屋は屋敷の北面にあるため、北側の公道から屋根と壁面の上部が見える。棟のずれによる輪郭の変化も、位置によっては外から読み取れる。

内部は非公開で、オンドルの焚口や床下の煙道を見る手立ては案内されていない。敷地に立ち入ることもできない。

北面は東から物置、オンドル部屋、米蔵の順に並ぶ。北側の道を東から西へ歩けば3棟を続けて見られ、鉄板葺の物置、瓦葺のオンドル部屋、巨大な米蔵という順に屋根の性格が変わっていくのが分かる。

撮影は公道からに限る。屋敷への行き方と見学の条件は、久恒家住宅のページにまとめてある。

よくある質問

Q久恒家住宅オンドル部屋はいつ建てられましたか。
A昭和20年、西暦1945年頃です。屋敷の他の14件は大正13年、西暦1924年の建設で、年代が異なるのはこの1棟だけです。
Q久恒家住宅オンドル部屋のオンドルとはどんな暖房ですか。
A床下に煙道を通し、焚口で燃やした煙の熱を床面から伝える方式です。朝鮮半島で長く用いられてきました。
Q久恒家住宅オンドル部屋はどこにありますか。
A屋敷の北面で、東側の物置と西側の米蔵に挟まれた位置です。北側の公道から屋根が見えます。
Q久恒家住宅オンドル部屋はなぜ雁行風の外観なのですか。
A西半の座敷と東半の玄関で棟の位置をずらしているためです。小さな建物ながら輪郭に変化がつき、屋敷後方で存在感のある付属施設になっています。
Q久恒家住宅オンドル部屋の内部は見学できますか。
Aできません。非公開で、焚口や床下の煙道を見る手立ては案内されていません。敷地にも立ち入れません。

基本データ

名称久恒家住宅オンドル部屋
所在地大分県中津市大字上宮永3-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成13年(2001年)8月28日登録
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦葺、建築面積51平方メートル
所有者個人
公開状況非公開。公道からの外観見学のみ

参考文献

国指定文化財等データベース 久恒家住宅オンドル部屋(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002335
中津市の文化財について(中津市)
https://www.city-nakatsu.jp/doc/2024101700025/
国指定・選定等文化財一覧(大分県)
https://www.pref.oita.jp/kyoiku/tmp/bunka/post-101/1.pdf

最終更新日: 2026.09.14