守隨家住宅(旧山田家住宅)石積護岸とは

愛知県東海市名和町の伊勢湾岸、聚楽園公園のすぐ北西に、ひっそりと一軒の邸宅を取り囲む長く古びた石積の壁があります。何気なく通り過ぎれば、ただの古い擁壁にしか見えないかもしれません。しかし、この壁は近代日本の土木技術史を語るうえで欠かすことのできない貴重な遺構です。正式名称を「守隨家住宅(旧山田家住宅)石積護岸」といい、大正時代初期に伊勢湾岸の埋立地を囲うために築かれた延長76mの護岸で、明治・大正期に活躍した愛知県碧海郡(現碧南市)出身の土木技術者・服部長七が考案した「人造石工法(じんぞうせきこうほう)」の貴重な遺例です。

2024年(令和6年)3月6日、文化審議会の答申を経て国登録有形文化財建造物に登録され、東海市内における初の国登録有形文化財建造物の4件のひとつに数えられました。一見地味な構造物ですが、近代日本の港湾・河川・水路の整備を支えた独自の工法が、ほぼ手つかずのまま現地に残る稀有な例として、海外からの旅行者にとっても見ごたえのある近代産業遺産です。

どのような護岸なのか

本護岸は、伊勢湾の沿岸に造成された小規模な埋立地を、海から守るために築かれた石積の防護壁です。文化庁の登録概要では「石造、延長76m、防潮堤付」「1基」と記録されており、敷地の北西・北・南の三面を取り囲むように築かれています。

外観上のもっとも大きな特徴は、目地幅が極端に広いことです。割石(不規則な形に割られた石)を積み上げた石と石のあいだに、淡い色合いをしたたたき(叩き締めた充填材)が太い帯のように見えており、城郭の石垣のような緻密な空積みとも、後年のコンクリート擁壁とも異なる独特なリズムを生み出しています。この目地に詰められたたたきこそが、本護岸を文化財たらしめている決定的な要素です。

背景:実業家・山田才吉と聚楽園

この護岸が築かれた経緯を理解するには、施主である山田才吉(やまだ さいきち、1852–1937)の存在を知る必要があります。美濃国(現在の岐阜市)出身の山田は、明治・大正期の名古屋を代表する起業家のひとりで、漬物の名品「守口漬(もりぐちづけ)」の考案者として今も知られています。漬物・缶詰を扱う「喜多福(きたふく)」、現在の東邦ガスにつながる愛知瓦斯株式会社、料亭「東陽館」「南陽館」など、多方面の事業を手掛けた人物です。

1916年(大正5年)、山田は知多郡上野村砂崎(現在の東海市名和町砂崎)の海を望む丘に料理旅館「聚楽園」を開業します。建物は伊勢神宮外宮前にあった大旅館「宇仁館」をわざわざ移築したものでした。「聚楽園」という名は、山田が敬愛していた豊臣秀吉が京都に建てた聚楽第にちなんで自ら命名したと伝えられます。

聚楽園は名古屋近郊有数の保養地として大いに賑わいました。山林に囲まれた丘の上では四季の庭園と料亭料理を、丘を下れば伊勢湾の浜遊びをという、当時としても贅沢な複合保養施設だったのです。山田は来客の便を図るため、自ら土地を寄付して愛知電気鉄道(後の名古屋鉄道)に「聚楽園駅」を設けさせ、駅前の海岸沿いには旅館の浜辺保養施設を建てました。本護岸が囲うのは、まさにこの浜辺保養施設のために伊勢湾岸に造成された埋立地です。

山田の没後、聚楽園の敷地は次第に名古屋の企業に渡り、戦後は東海市の都市公園として整備されていきました。一方、海岸側の埋立地は山田家・守隨家の私有地として残り、後に山田の三女・守隨幾久子の家系である守隨家の所有となります。これが「守隨家住宅(旧山田家住宅)」という現在の正式名称の由来です。

なぜ国登録有形文化財になったのか

文化庁の登録説明によれば、本護岸は「聚楽園公園北西に位置し、実業家が伊勢湾岸に造成した埋立地を囲う石積の護岸。敷地の北西南面に廻り、消石灰と真砂土を固練りしたたたきを、割石の間に充填して積上げ、目地幅の広い特徴的な外観を呈する。服部長七の考案にかかる人造石工法の貴重な遺例」と評価されています。

明治から大正期にかけて、人造石工法は全国各地の港湾・河川・運河・橋梁など大規模な土木工事に広く用いられましたが、その多くは戦後の臨海部開発や護岸の改修により失われ、本来の姿を保つ大規模遺構は今やごくわずかしか残っていません。延長76mにわたる本護岸は、服部長七が生まれ育ったこの愛知県の海岸線に、ほぼ当時の姿のまま残されているという点で極めて稀少です。文化財登録は、こうした技術史的価値と立地の希少性が評価された結果でした。

なお、登録有形文化財の制度は、国宝や重要文化財に比べると緩やかな保護を与える制度で、所有者の活用を妨げず、近代以降の建造物を守るために整えられたしくみです。本護岸の登録は、近代の土木遺産を未来に伝えていくうえでも意義の大きいものといえます。

服部長七と「人造石工法(長七たたき)」

本護岸を語るうえで欠かせない人物が、土木技術者・服部長七(はっとり ちょうしち、1840–1919)です。三河国碧海郡棚尾村西山(現在の愛知県碧南市西山町)に左官職人の家に生まれた長七は、正規の工学教育を受けたわけではありませんが、家業の左官技術を基礎に、古くから民家の土間や流し場に用いられてきた「たたき(三和土)」を改良し、土木構造物を築ける強度を持つ工法へと発展させました。

改良された工法は、後に長七の名をとって「長七たたき」と呼ばれます。花崗岩が風化して生じる真砂土(マサ土/サバ土)に消石灰を加えて固練りし、割石のあいだに詰めて叩き締めると、コンクリートに匹敵する強度と耐水性を発揮する一方、コストはセメントよりも格段に安かったといわれます。明治11年頃から明治末期にかけて、長七たたきは広島県の宇品築港、愛知県豊橋市の神野新田堤防、現在の豊田市にある明治用水頭首工など、近代日本を代表する数々の土木事業に採用され、宇品築港の功績により長七は緑綬褒章を授かりました。

明治末から大正期にかけて鉄筋コンクリートが普及するにつれ、人造石工法は急速にその役割を譲っていきます。本護岸が築かれたのは大正初期(1912〜1918年)と推定されており、まさに人造石工法が現役技術として最後の輝きを放った時期にあたります。技術史的にも象徴的な時期に、生地・愛知の海岸線に築かれた本護岸は、人造石工法の到達点を伝える貴重な物証なのです。

見どころ:壁から読み取る大正の海岸風景

道路や公園の外周から本護岸を観察するとき、ぜひ注目したい点が三つあります。第一は、すでに述べた目地幅の広さがつくり出す独特の外観です。普通の石積みは目地を最小限に抑えますが、本護岸では淡い色のたたきが大胆に見えており、潮風と歳月のなかで地衣類や苔が薄く乗ることで、年月を経た重厚な質感が育まれています。

第二は、敷地の角を巡る石積みの納まりです。明治・大正期の海岸護岸は、不規則な海岸線に沿って築かれることが多く、北西・北・南と三面を取り回す本護岸の角の処理には、当時の石工と人造石職人の確かな技量が表れています。

第三は、この壁が「もう存在しない海岸線」のかたちを今に伝えているという事実です。築造当時、伊勢湾はこの石積護岸のすぐ足元まで迫っていました。聚楽園旅館の海岸側保養施設の利用者たちは、ここから直接砂浜に降り、波打ち際まで歩いていたのです。戦後、愛知製鋼や名古屋港の臨海工業地帯が拡大し、海岸線は遥か西方へと押し出されましたが、護岸そのものはいまも山田才吉が築いた当時の場所にとどまっています。失われた風景の輪郭を、いま地上に残された数少ない手がかりとして読み取ることができる構造物です。

見学にあたって:マナーとアクセス

本護岸を見学するうえで、重要な前提があります。守隨家住宅は現在も人が住む個人の邸宅であり、護岸も含めて私有地です。屋敷内に立ち入ることはできず、見学施設や公開イベントもありません。護岸を眺める際は、必ず公道や聚楽園公園の外周など、公にアクセスできる場所からに限ってください。

敷地内に入ったり、塀越しに覗き込んだり、壁面に触れたりすることは厳に避け、住民の方々の生活への配慮を最優先にお願いします。落ち着いた住宅地のなかにある建造物ですので、声量や駐車にも十分に気を配り、できれば公共交通機関での訪問が望ましいでしょう。

最寄駅は名古屋鉄道常滑線の聚楽園駅で、名鉄名古屋駅から特急で15〜20分ほど。聚楽園駅から東に徒歩約5分で聚楽園公園に到達し、公園の北西端を回り込んだ名和町砂崎一帯が護岸の所在地です。具体的なアクセスや見学のマナーについては、東海市の観光案内所や聚楽園公園の管理者に事前に問い合わせると安心です。

周辺情報:聚楽園エリアを一日で楽しむ

本護岸は、それ単独で見るよりも、山田才吉が築いた聚楽園の全体像のなかに位置づけて訪れたほうがはるかに豊かに楽しめます。徒歩圏内には数多くの見どころがあります。

まず必見は、聚楽園公園の高台に鎮座する聚楽園大仏(しゅうらくえんだいぶつ)です。1924年(大正13年)着工、1927年(昭和2年)に昭和天皇のご成婚を記念して開眼供養された高さ18.79mの阿弥陀如来坐像で、日本最初の鉄筋コンクリート製大仏として、また完成当時は鎌倉や奈良の大仏をも凌ぐ日本最大の大仏として知られます。施主はもちろん山田才吉。近年の調査では、大仏や仁王像の基礎、大灯籠、常香炉、参道の手すりの一部にも服部長七の人造石工法が用いられている可能性が指摘されており、聚楽園エリア全体が日本でも屈指の人造石遺産の集積地となっています。

大仏前に立つ一対の仁王像(東海市指定文化財)、ヤカン池、平成8年に建てられた市民茶室「嚶鳴庵(おうめいあん)」、保健福祉センターを含む「東海市しあわせ村」も同じ敷地内にあり、東海市が誇る健康・文化・歴史の複合エリアを形成しています。とくに秋の紅葉の季節は美しく、約500本のもみじが色づく「もみじまつり」では大仏のライトアップも行われ、近代の保養地が現代の市民の憩いの場として息づく姿を見ることができます。

これらを巡ったうえで、最後にもう一度本護岸の前に立ってみると、ひとりの起業家の壮大な構想が、現代の都市と海岸線にいかに影響を残しているかが立体的に見えてくるはずです。

Q&A

Q守隨家住宅の敷地内に入って、護岸を間近で見ることはできますか?
Aいいえ。守隨家住宅は現在も住居として使われている個人の邸宅であり、護岸を含む敷地全体が私有地です。一般公開や見学施設はありません。鑑賞は必ず公道や聚楽園公園の外周など、公にアクセス可能な場所から行ってください。塀を越えて覗いたり、壁に触れたりすることはお控えください。
Q「人造石工法」とは具体的にどのような技術ですか?
A明治期に愛知県出身の土木技術者・服部長七が、伝統的な左官技術である「たたき(三和土)」を改良してつくり出した独自の工法です。花崗岩が風化した真砂土に消石灰を加えて固練りした材料を、割石のあいだに詰めて叩き締めることで、コンクリートに匹敵する強度をもつ構造物を、安価に築くことができました。明治から大正期にかけて全国の港湾・河川・水路工事で広く採用され、後に鉄筋コンクリートの普及により次第に姿を消しました。
Qなぜこの石積護岸が国の登録有形文化財に指定されたのですか?
A服部長七が考案した人造石工法を用いた大規模土木構造物のうち、現地にほぼ当時の姿のまま残るものは今では極めて少なくなっています。本護岸は延長76mにわたり、長七の生地である愛知の海岸線に大正初期の姿を伝える稀少な遺構であることが評価され、2024年(令和6年)3月6日に国登録有形文化財建造物として登録されました。
Q聚楽園大仏や聚楽園公園との関係は?
Aいずれも実業家・山田才吉が手掛けた事業に由来します。本護岸は山田の料理旅館「聚楽園」の海岸側保養施設のために伊勢湾岸に造成された埋立地を囲う護岸であり、聚楽園公園は同じ聚楽園の山側部分を市が公園として整備したものです。1927年完成の聚楽園大仏は山田の最大の事業のひとつで、近年の研究では大仏まわりの基礎や付随物にも人造石工法が用いられている可能性が指摘され、聚楽園エリア全体が人造石遺産の集積地として再評価されつつあります。
Q名古屋方面からのアクセスを教えてください。
A名鉄名古屋駅から名鉄常滑線で聚楽園駅まで、特急利用で15〜20分ほどです。聚楽園駅から東へ徒歩約5分で聚楽園公園に到着し、公園の北西端を回り込んだ名和町砂崎一帯が護岸のある場所です。住宅地に位置するため、訪問の際は静かに、駐車にも配慮し、可能な限り公共交通機関を利用してください。

基本情報

正式名称 守隨家住宅(旧山田家住宅)石積護岸(しゅずいけじゅうたく(きゅうやまだけじゅうたく)いしづみごがん)
文化財種別 国登録有形文化財(建造物)/登録年月日:2024年(令和6年)3月6日
建造年代 大正前期(1912〜1918年頃)/昭和48年(1973年)・令和4年(2022年)に改修
構造・規模 石造/延長76m/防潮堤付/1基
工法 服部長七考案による人造石工法(長七たたき)/消石灰と真砂土を固練りしたたたきを割石の間に充填
原施主 山田才吉(1852–1937)/名古屋を拠点とした実業家、聚楽園創設者
所在地 愛知県東海市名和町砂崎86
所有形態 個人所有(守隨家)/屋内非公開
最寄駅 名古屋鉄道常滑線「聚楽園駅」
見学について 公道および聚楽園公園の外周から外観のみ眺めることが可能。住民の生活に配慮し、敷地内への立ち入り・塀越しの覗き込み等はご遠慮ください。

参考文献

守隨家住宅(旧山田家住宅)石積護岸 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/553888
国登録有形文化財建造物の登録について — 東海市公式ウェブサイト
https://www.city.tokai.aichi.jp/bunka/1002738/1007733.html
聚楽園 — Wikipedia(日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/聚楽園
山田才吉 — Wikipedia(日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/山田才吉
服部長七 — Wikipedia(日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/服部長七
聚楽園大仏 — Wikipedia(日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/聚楽園大仏
聚楽園大仏について — 聚楽園大仏を次の世代に伝える会 公式サイト
https://shurakuen.org/about/
聚楽園大仏 — Aichi Now(愛知県公式観光サイト)
https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/111/
人造石工法(たたき)の遺産の調査とその保存 — J-Stage 学術論文
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/11/0/11_0_309/_article/-char/ja/
しあわせ村・聚楽園大仏 — 東海市公式ウェブサイト
https://www.city.tokai.aichi.jp/shisei/1003593/1003640/1003656.html

最終更新日: 2026.04.28