春江院本堂 ― 文政十三年の端正な方丈

春江院の本堂は北を正面とする。南面して建つことの多い仏堂のなかでは珍しい向きで、堂は陽の側ではなく、かつての大高城の方角へと顔を向けている。この一点に、寺を開いた一族との結びつきがあらわれている。

現在の本堂は文政十三年(一八三〇年)に再建されたものである。木造平屋建、建築面積はおよそ四二四平方メートル。屋根は本瓦葺の入母屋造で、正面に向拝が付く。堂内には本尊として多宝如来を安置する。多宝如来は法華経に説かれる仏で、曹洞宗の寺院の本尊としては数の少ない例にあたり、地域の禅寺のなかでも春江院に独自の位置を与えている。

春江院は曹洞宗の寺で、山号を大高山という。寺伝では弘治二年(一五五六年)、大高城主の水野大膳が父の菩提を弔うために創建したとされ、寺号は父の法名「春江全芳禅定門」に由来すると伝わる。創建の四年後、周辺の丘陵は永禄三年(一五六〇年)の桶狭間の戦いの舞台の一部となり、若き松平元康、後の徳川家康が包囲下の大高城へ兵糧を運び入れた。

本堂が登録された理由

本堂は平成十七年(二〇〇五年)七月、境内の他の六棟とともに国の登録有形文化財となった。登録は、国宝や重要文化財のような厳格な指定とは別に、地域の景観を形づくり、日常の使用を続けながら保護に値する建造物を対象とする制度である。春江院の七棟は登録番号を連ねてひとまとまりに扱われており、地方の禅寺が江戸後期から二十世紀初頭にかけてどのように整っていったかを示す、まとまりのよい記録となっている。

本堂の評価は、その平面の明快さにある。内部は禅寺の方丈に通有な六間取とし、正面には広縁を設け、北と東には切目縁を廻す。来迎柱を除いて軸部は角柱で、長押と貫によって横に結ばれる。装飾は要所にとどめられ、全体としては簡明で端正なつくりに収まっている。

訪れて見るべきところ

堂内に入る前に、妻側の高い部分を見上げたい。蟇股、湾曲する虹梁、破風を飾る懸魚には、江戸後期らしいやや量感のある絵様の彫りが見てとれる。下地の素朴な壁面を圧することのない、控えめな飾りである。

境内はゆっくり歩く価値がある。春江院は太平洋戦争の空襲を免れており、本堂は戦後の建て替えではなく、創建以来の建物に囲まれて立つ。境内には茶人下村実栗の作と伝わる庭があり、広縁・切目縁・瓦屋根の連なりは、正面の前庭から眺めると一つのまとまりとして読める。参拝者は多くなく、観光地というよりも日々の務めが続く寺としての静けさが保たれている。

よくある質問

Q本堂はいつ建てられたのですか。
A現在の本堂は江戸後期の文政十三年(一八三〇年)に再建されました。寺自体の創建は弘治二年(一五五六年)です。
Qなぜ北を正面としているのですか。
A仏堂としては珍しい北向きで、開基の水野家や近接する大高城跡との関わりを反映したものと考えられます。
Q本尊は何ですか。
A本尊は法華経に説かれる多宝如来で、曹洞宗の寺院の本尊としては比較的珍しい例です。
Q本堂は国宝ですか。
Aいいえ。国の登録有形文化財で、二〇〇五年に境内の他の六棟とともに登録されました。
Qどのように行けばよいですか。
A名古屋市緑区にあり、JR東海道本線の大高駅から徒歩圏、大高城跡公園の近くです。

基本情報

名称春江院本堂(しゅんこういんほんどう)
所在地愛知県名古屋市緑区大高町字西向山5
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録 2005年7月12日
員数1棟
年代文政13年(1830年)
構造及び形式木造平屋建、瓦葺、建築面積約424平方メートル
所有者宗教法人春江院
アクセスJR東海道本線・大高駅から徒歩圏

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「春江院本堂」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004763
文化財ナビ愛知(愛知県)
https://pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunitouroku/1208.html
名古屋市緑区 史跡散策路
https://www.city.nagoya.jp/midori/page/0000001953.html

最終更新日: 2026.06.25