春江院山門 ― 北に面して建つ江戸後期の門

春江院の山門は境内の北入口に建ち、背後の本堂と同じく、南ではなく北に面する。文政十三年(一八三〇年)の建築で、本堂が再建されたのと同じ年にあたり、門と堂は年代と感覚を共にする。参詣者はこの門をくぐって街道を後にし、寺の境内へ入る。

形式は薬医門で、柱の配し方と棟の位置に特徴をもち、ここでは一間一戸として建てる。屋根は本瓦葺の切妻造で、疎らに配した垂木を二軒に組む。正面の控柱は当初のものではない。後年に補強として加えられたもので、おそらく門の安定を高めるためのものだが、よく収まっているために、後補と気づかせることは少ない。

春江院は弘治二年(一五五六年)、大高城主の水野大膳が父の菩提を弔って創建した曹洞宗の寺である。境内は太平洋戦争の戦火を免れ、山門は二〇〇五年七月に登録された七棟の一つである。

山門が登録された理由

登録は、年代も性格も寺によく合った、保存のよい江戸後期の薬医門として評価したものである。組物はあえて簡素で、凝ったものではなく素朴な三斗を用いる。組物の控えめさは手抜きではなく設計の一部であり、造り手が目を向けさせたい場所へと装飾を集めている。

その場所が妻飾である。妻飾には大柄の板蟇股を用い、ゆったりと寸法をとって、門全体の意匠の要として据える。虹梁・木鼻・蟇股の絵様はいずれも時代の特徴を帯び、やや量感のある江戸後期の手つきが、同じ年に建った本堂と門とを結びつけている。

訪れて見るべきところ

くぐる前に立ち止まりたい。妻を見上げ、その中央の幅広い板蟇股を見つけたい。造り手が意匠の核として扱った部材である。続いて虹梁の彫りと、その脇に突き出す木鼻の絵様を読めば、絵様の線に江戸後期の好みが見てとれる。

正面の控柱にも目をとめたい。これが当初の文政の作ではなく、後年の修補に属するものだと知ることである。山門は入口を画するため、多くの参詣者が七棟のなかで最初に出会う建物であり、その先の静かで人少なな境内の調子を定めている。門は屋外にあっていつでも見られ、境内を歩き始めるのによい場所である。

よくある質問

Q薬医門とは何ですか。
A柱の配し方と棟の位置に特徴をもつ門の形式です。この門は一間一戸として建てられています。
Q門はいつ建てられたのですか。
A文政十三年(一八三〇年)で、本堂の再建と同じ年です。いずれも江戸後期にあたります。
Q正面の柱は当初のものですか。
Aいいえ。正面の控柱は後年に補強として加えられたものですが、当初の構造によく馴染んでいます。
Q主な見どころの意匠は何ですか。
A妻飾の大柄の板蟇股で、門の意匠の要として据えられ、近くに江戸後期らしい絵様の彫りが見られます。
Q自由に見られますか。
Aはい。北入口に屋外で建っており、いつでも見ることができます。

基本情報

名称春江院山門(しゅんこういんさんもん)
所在地愛知県名古屋市緑区大高町字西向山5
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録 2005年7月12日
員数1棟
年代文政13年(1830年)
構造及び形式木造、瓦葺、間口3.2メートル、一間一戸薬医門
所有者宗教法人春江院
アクセスJR東海道本線・大高駅から徒歩圏

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「春江院山門」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004768
文化財ナビ愛知(愛知県)
https://pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunitouroku/1208.html
名古屋市緑区 史跡散策路
https://www.city.nagoya.jp/midori/page/0000001953.html

最終更新日: 2026.06.25