春江院茶室 ― 地元の茶人が結んだ竹の庵

書院の西に、春江院でもっとも小さな登録建造物が建つ。床を入れてようやく四畳ほどの草庵風の茶室である。明治後期、尾州久田流の祖で西行庵と号した下村実栗(みつよし)の作と伝わる。実栗は天保四年(一八三三年)に大高の生まれで、この茶室は京から持ち込まれたものではなく、土地の手になる作だといえる。

実栗が受け継いだ久田流の茶は、京都の千家と縁戚で結ばれた一流で、彼は明治維新後に多くの茶家が後ろ楯を失った困難な時期にこれを支えた。彼はまた画筆をとり、茶庭を好んで設えた茶人でもあった。境内の庭も実栗の作と伝わり、茶室と庭は一つの感性の両面として読める。

春江院は弘治二年(一五五六年)、大高城主が父の菩提を弔って創建した曹洞宗の寺である。境内は太平洋戦争の戦火を免れ、茶室は二〇〇五年七月に登録された七棟の一つである。

茶室が登録された理由

建築面積はおよそ十五平方メートル、木造平屋建で皮葺を交えた屋根をいただく。その登録は、名の知られた茶人が自らの作風で建てた、小規模ながら保存のよい尾張の茶室を評価したものである。内部は床を加えておよそ四畳。慎ましいのは設計の意図であって、草庵風は誇示よりも控えめを尊ぶ。

この茶室を際立たせているのは、徹底した竹の用い方である。皮葺の屋根は格子状に組んだ竹で押さえられる。竹は屋根にとどまらない。棹縁天井の棹も竹であり、化粧屋根裏の垂木や木舞もまた竹とする。一つの素材が構造から仕上げまで貫かれ、小さな空間に一貫した調子を与えている。

訪れて見るべきところ

竹は、どこを見ても目で追う価値がある。屋根を押さえる格子から、頭上の細い棹、開いた軒の垂木へと、その流れをたどってみたい。多くの茶室では竹は差し色として現れる。ここでは竹が室内全体の調子を定めており、その効果は派手ではなく静かである。

訪れる際は、茶室と庭を併せて味わいたい。いずれも実栗の作と伝わり、本来は一体として体験されるべきものだからである。室は小さく、常時公開ではないため、事前に寺へ確認するとよい。大きな堂宇と並べて見れば、禅寺がその境内の端に、私的な茶の世界をどのように抱え得たかが見えてくる。

よくある質問

Q茶室は誰の作ですか。
A尾州久田流の祖で大高出身の茶人、下村実栗(みつよし)の作と伝わり、明治後期に建てられました。
Q設計上の特色は何ですか。
A竹を一貫して多用する点です。屋根を押さえる格子から棹縁天井の棹、化粧屋根裏の垂木・木舞まで竹を用います。
Qどのくらいの大きさですか。
A建築面積は約15平方メートル、内部は床を入れておよそ四畳の小規模な茶室です。
Q庭と茶室は関係がありますか。
Aはい。境内の庭も下村実栗の作と伝わり、茶室と庭は一体のものとして構想されました。
Q内部を見学できますか。
A小規模で常時公開ではありません。訪問前に春江院へお問い合わせください。

基本情報

名称春江院茶室(しゅんこういんちゃしつ)
所在地愛知県名古屋市緑区大高町字西向山5
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録 2005年7月12日
員数1棟
年代明治後期(1868〜1911年)
構造及び形式木造平屋建、瓦葺一部檜皮葺、建築面積約15平方メートル
所有者宗教法人春江院
アクセスJR東海道本線・大高駅から徒歩圏

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「春江院茶室」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004766
尾州久田流 公式サイト
https://www.bisyuhisada.com/11about/
名古屋市緑区 史跡散策路
https://www.city.nagoya.jp/midori/page/0000001953.html

最終更新日: 2026.06.25