春江院本玄関及び書院 ― 移築された住まい
春江院の書院は、初めから寺の建物だったわけではない。地元の伝えによれば、この接客の棟は明治十二年(一八七九年)、有松絞の祖とされる竹田庄九郎の邸宅から解体して運ばれたものという。近隣の宿場町・有松を名高くした絞り染めの担い手の住居が、禅寺の客殿として生まれ変わった。その継ぎ目は、いまも建物の各所に読みとることができる。
書院は本堂の西に建つ平屋建で、建築面積はおよそ一八二平方メートル、瓦葺の屋根をいただく。本堂との間を本玄関が繋ぎ、玄関は廊下と和室からなって、北面の中央に式台を設ける。式台は格式ある出迎えの印であり、かつて身分ある客を迎えた場所である。
春江院は弘治二年(一五五六年)、大高城主の水野大膳が父の菩提を弔って創建した曹洞宗の寺である。境内は太平洋戦争の戦火を免れ、本玄関及び書院は二〇〇五年に登録された七棟の一つとして残されている。
本玄関及び書院が登録された理由
平成十七年(二〇〇五年)七月の登録は、江戸後期から明治にかけての住宅建築が寺院用途に転じた、保存状態のよい例として評価したものである。価値は、移築という来歴と、内部がよく残されている点の双方にある。接客の構えは、床・棚・付書院を備えた十二畳間と、床付の十八畳間からなり、L字型に広縁が付く。
各室の見どころの多くは、寸法ではなく細部にある。襖の建具や欄間の透かし彫りは繊細に仕上げられ、当初の絵画装飾もよく残って、襖絵や建具の板絵がいまに伝わる。持ち主が替わり用途も変わった住まいで、これだけ内部の仕上げを残す例はそう多くない。
訪れて見るべきところ
まずは襖の上の欄間を見たい。この材を所有した有松の商人は、真に繊細な彫りを手に入れられる立場にあり、寺のために組み直した大工たちも、その品位を損なわずに据え直している。襖絵のうち、白鷺を描いた一面は狩野永秀の筆と伝えられる。古くから付された伝承であるが、確かな記録に裏づけられたものではない。
書院は、規模よりも細部を読むためにこそ歩みを緩めたい場所である。本堂が均整によって見る者を引きつけるのに対し、接客の棟は、尾張の富裕な町人がどのように最上の部屋を整えたか、そしてその部屋が大高城にほど近い寺のなかでどのような第二の生を得たかを、近くに寄って味わわせてくれる。内部は常に公開されているとは限らないため、訪問前に寺へ確認するとよい。
よくある質問
- 書院は元から寺の建物だったのですか。
- いいえ。有松絞の祖とされる竹田庄九郎の邸宅から、明治十二年(一八七九年)に移築されたと伝わります。
- 式台とは何ですか。
- 格式ある玄関に設ける一段高い板敷で、身分ある客を迎える場です。本玄関の北面中央に設けられています。
- 白鷺の襖絵は誰の作ですか。
- 狩野永秀の筆と伝わります。古くからの伝承で、確実な記録に基づくものではありません。
- 建物の規模はどのくらいですか。
- 木造平屋建で建築面積は約182平方メートル。十二畳間と十八畳間をL字の広縁が結びます。
- 内部の見学はできますか。
- 現役の寺院のため、内部は常時公開ではありません。事前に春江院へお問い合わせください。
基本情報
| 名称 | 春江院本玄関及び書院(しゅんこういんほんげんかんおよびしょいん) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県名古屋市緑区大高町字西向山5 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録 2005年7月12日 |
| 員数 | 1棟 |
| 年代 | 江戸後期/明治12年(1879年)移築・増改造 |
| 構造及び形式 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積約182平方メートル |
| 所有者 | 宗教法人春江院 |
| アクセス | JR東海道本線・大高駅から徒歩圏 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「春江院本玄関及び書院」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004764
最終更新日: 2026.06.25