出雲大神宮本殿とは
出雲大神宮本殿(いずもだいじんぐうほんでん)は、京都府亀岡市千歳町の出雲大神宮に建つ室町前期の社殿で、貞和2年(1346年)の建築とされ、明治39年(1906年)4月14日に重要文化財に指定された。
形式は三間社流造、屋根は檜皮葺。正面の柱間が3つある流造の社殿で、前に長く延びた屋根の下に参拝のための空間を設ける。神社の案内では建坪が十四坪弱とされる。
出雲大神宮本殿は境内の中軸のいちばん奥、拝殿・中門・祝詞舎の先に南を向いて建ち、背後には神体山の御蔭山がせまる。
建築年代と重要文化財としての価値
文化庁のデータベースは出雲大神宮本殿の年代を貞和2年(1346年)とする。神社は、鎌倉末期の元徳年間あるいは貞和元年(1345年)に足利尊氏が修造したことが当時の史料から知られると説明しており、年に1年の開きがある。本記事では文化庁の記載を採り、社伝を併記した。
神社の説明によれば、近年3枚の棟札が見つかり、そのうち文安2年(1445年)11月26日の1枚には「御願主源右京大夫殿」と記されていた。これを室町幕府の管領として力をもった細川勝元に結びつけ、15世紀の造営への関与を考えるべきだとする見方を神社は示している。
出雲大神宮本殿は、京都府下に残る中世の流造社殿の一つである。明治39年(1906年)4月14日の指定は、当時の古社寺保存法による指定を引き継いだもので、現在は重要文化財として保護されている。平成21年(2009年)には修復を終えている。
平面と外観の見どころ
出雲大神宮本殿の平面は、奥へ進むほど格が上がるように区切られている。正面に1間の向拝を付け、前の庇の部分を外陣、身舎(もや)を内陣と内々陣にあてる。
外陣と内陣のまわりには高欄付きの縁がめぐる。身舎の側面では中央の柱の位置に脇障子を立てて縁を止め、身舎の後半には縁をまわさない。側面から見ると、縁が途中で切れて壁だけになる境目がはっきり分かる。
この平面は、東の山中にある上之社本殿が小さな規模で倣った形でもある。出雲大神宮本殿と上之社本殿の脇障子の位置を見比べると、両者の関係が読める。
出雲大神宮本殿の見学
出雲大神宮本殿は中門と透塀の内側にあり、立ち入ることはできない。内部も公開されていない。拝殿の前から中門越しに正面の向拝と屋根を、透塀に沿って歩けば側面の縁と脇障子を見ることができる。
檜皮葺の厚い屋根は、透塀の東側から見上げると曲線がよく分かる。境内への行き方と参拝の条件は出雲大神宮のページにまとめた。
Q&A
- 出雲大神宮本殿はいつ建てられましたか。
- 文化庁のデータベースは室町前期の貞和2年(1346年)とします。神社は足利尊氏が貞和元年(1345年)に修造したと伝えています。
- 出雲大神宮本殿はどんな形式の建物ですか。
- 三間社流造、檜皮葺の社殿です。正面に1間の向拝を付け、外陣・内陣・内々陣と奥へ格を高める平面をもちます。
- 出雲大神宮本殿はいつ重要文化財になりましたか。
- 明治39年(1906年)4月14日の指定で、現在は重要文化財です。
- 出雲大神宮本殿の棟札には何が書かれていますか。
- 神社によれば3枚の棟札が見つかっており、文安2年(1445年)のものに「御願主源右京大夫殿」とあります。神社はこれを細川勝元との関係で考える見方を示しています。
- 出雲大神宮本殿の中に入れますか。
- 入れません。本殿は中門と透塀の内側にあり、拝殿の前や透塀の外から外観を見学します。
基本データ
| 名称 | 出雲大神宮本殿(いずもだいじんぐうほんでん) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府亀岡市千歳町 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) 指定番号 00350 |
| 指定年 | 明治39年(1906年)4月14日指定 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 三間社流造、檜皮葺 |
| 所有者 | 宗教法人出雲大神宮 |
| 公開状況 | 外観のみ。中門・透塀の内側で立ち入り不可 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース 出雲大神宮本殿(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1979
- 出雲大神宮(ぶらり亀岡 亀岡市観光協会)
- https://www.kameoka.info/seeing/izumodaijingu.php
- 出雲大神宮(森の京都)
- https://morinokyoto.jp/spot/spot-478/
最終更新日: 2026.09.27