五流尊滝院宝塔とは ― 後鳥羽上皇の一周忌に結びつく石の塔
五流尊滝院宝塔は、岡山県倉敷市林にある鎌倉時代前期の石造の宝塔で、仁治元年(1240年)の造立と伝わり、昭和31年(1956年)に重要文化財に指定された。所有する寺は旧字を用いて「五流尊瀧院」と書かれることが多く、読みはどちらも「ごりゅうそんりゅういん」である。
文化庁の国指定文化財等データベースは、この塔を員数1基、構造「石造宝塔、基壇付」、時代「鎌倉前期」として登載している。宝塔は円筒形の塔身に四角い笠を重ねた仏塔の形式で、木造の多層の塔とは姿がまったく異なる。五流尊滝院宝塔は花崗岩で組まれ、総高は約3.8メートル。基壇ごと地面から測ると約5メートルになるとする案内もある。
建てた事情は寺伝が伝える。承久の乱ののち隠岐へ移された後鳥羽上皇は、その地で世を去った。当時この寺にいた皇子の桜井宮覚仁親王と冷泉宮頼仁親王が、父の一周忌の供養として翌年に建てたのがこの塔だとされる。
寺と、すぐ近くの熊野神社は、もとは熊野権現として一体の信仰の場だった。明治時代の神仏分離で寺と神社に分かれ、五流尊滝院は修験道の寺院として続いている。五流尊滝院宝塔は、その分離より600年以上前から同じ場所に立ってきたことになる。
五流尊滝院宝塔が重要文化財とされる理由
五流尊滝院宝塔が昭和31年(1956年)6月28日に重要文化財に指定された背景には、年代の確かさがある。寺伝の仁治元年という年は、それだけでは伝承にとどまる。倉敷市教育委員会の解説は、石塔の様式から見ても仁治のころに造られたことはほぼ確かだとしており、伝承と形式の両面から年代を押さえられる点がこの塔の強みになっている。
決め手の一つが笠である。形そのものは一般的な宝塔の笠だが、軒口の厚みの取り方と、四隅へ向かって持ち上がる軒反りに鎌倉時代の特徴がはっきり出ている。岡山県の文化財解説は、この塔を鎌倉時代の石造宝塔の傑作と評価している。
供養塔としての性格も具体的に確かめられている。塔身には舎利を納める孔が穿たれ、そこから火葬した骨、歯、香木、鉄片が見つかった。誰の遺骨かを示す銘は知られていないが、死者を弔うために建てたという寺伝と食い違わない内容である。
塔身には焼けた跡が多く残る。応仁の乱の兵火で受けたものとされ、室町時代の戦乱をくぐり抜けたことが石の表面から読み取れる。修理工事も行われており、その報告書は昭和46年(1971年)にまとめられている。
五流尊滝院宝塔の見どころ ― 基壇から笠の四隅まで
五流尊滝院宝塔は、下から順に見上げていくと構成がよく分かる。
壇上積の基壇と格狭間
いちばん下は方形の基壇で、切石を組んだ壇上積基壇になっている。倉敷市の解説が「見事な」と形容するとおり、石の据え方が整っており、塔全体を堂々と見せている。その上の基礎の側面には、格狭間と呼ばれる曲線の枠が彫り出されている。
円筒の塔身と正面の坐像
基礎の上に円筒形の塔身がのる。正面には坐った仏の姿が刻まれているが、手の形がはっきりせず、どの尊格かは定まっていない。背面にはかつて梵字が刻まれていたといわれる。塔身の表面に残る変色や欠けは、先に触れた焼損の痕跡と重ねて見てほしい。
首部の天女と高欄
塔身の上の細くくびれた首部と、その上の高欄は一つの石から彫り出されている。首部の中ほどには帯がめぐり、その下に天女(飛天)が線で刻まれている。線刻は浅いため、光が正面から当たる時間帯より、斜めに差す朝や夕方のほうが輪郭を追いやすい。
笠の軒反りと四隅の小孔
最後に笠を見る。軒の先が四隅へ向けてゆるく反り上がる線が、年代を判断する手がかりになった部分である。軒端の四隅には小さな孔があり、風鐸などを吊るすためのものと考えられている。塔を斜め下から見上げると、軒の角ごとに孔が穿たれているのが確かめられる。
五流尊滝院宝塔の見学方法とアクセス
五流尊滝院宝塔は屋外に立つ石塔で、外から見学する。建物のように中へ入る構造ではない。倉敷市や岡山県の観光案内には拝観料の記載がなく、撮影を制限する記載も見当たらない。参拝の人がいるときは、塔の正面をふさがないように気を配りたい。
探すときに注意したいのが位置である。五流尊滝院宝塔は、寺の本坊や御庵室のそばではなく、熊野神社の入り口付近に立っている。熊野神社と五流尊滝院の本坊とは路地を500メートルほど隔てているので、先に寺へ向かった場合は神社の方向へ戻る形になる。
五流尊滝院の受付は午前9時から午後5時までで、休みはない(倉敷市の観光公式サイトによる)。問い合わせ先は五流尊滝院(086-485-0027)。
公共交通では、JR瀬戸大橋線の木見駅から歩いて約20分。下電バスを使う場合は「林」バス停で降り、徒歩約10分である。車なら瀬戸中央自動車道の水島インターチェンジから約5分で、無料の駐車場がある。
木見駅の方向へ約800メートル進むと、塔を建てたと伝わる冷泉宮頼仁親王の墓所がある。宮内庁が管理する墓で、五流尊滝院宝塔の由来をたどるなら、駅との行き帰りに立ち寄れる位置にある。
Q&A
- 五流尊滝院宝塔はいつ、誰が建てたのですか?
- 寺伝では、仁治元年(1240年)に、後鳥羽上皇の皇子である桜井宮覚仁親王と冷泉宮頼仁親王が、隠岐で亡くなった父の一周忌の供養として建てたとされます。石塔の様式からも、このころの造立はほぼ確かと考えられています。
- 五流尊滝院宝塔はどこにありますか?寺の本堂の近くですか?
- 所在地は岡山県倉敷市林です。塔は熊野神社の入り口付近に立っており、五流尊滝院の本坊とは500メートルほど離れています。寺だけを探すと見落としやすいので注意してください。
- 五流尊滝院宝塔の拝観料や拝観時間は?写真は撮れますか?
- 屋外の石塔で、外から見学します。観光案内に拝観料の記載はありません。五流尊滝院の受付時間は午前9時から午後5時までで、休みはありません。撮影を制限する記載は見当たりませんが、参拝者への配慮はお願いします。
- 五流尊滝院宝塔へ電車やバスで行くには?
- JR瀬戸大橋線の木見駅から徒歩約20分です。下電バスなら「林」バス停から徒歩約10分。車の場合は瀬戸中央自動車道の水島インターチェンジから約5分で、無料駐車場があります。
- 五流尊滝院宝塔の中からは何が見つかったのですか?
- 塔身に設けられた舎利孔から、火葬した骨、歯、香木、鉄片が見つかっています。供養のために建てたという寺伝を裏づける発見です。
基本情報
| 名称 | 五流尊滝院宝塔(ごりゅうそんりゅういんほうとう) |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県倉敷市林 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) |
| 指定年 | 昭和31年(1956年) |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 総高約3.8メートル(花崗岩製、基壇付) |
| 所有者 | 五流尊滝院 |
| 公開状況 | 屋外にあり外観を見学可(五流尊滝院の受付は午前9時から午後5時) |
参考文献
- 五流尊滝院宝塔 — 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3007
- 五流尊瀧院宝塔(ごりゅうそんりゅういんほうとう) — 倉敷市公式ホームページ(文化財保護課)
- https://www.city.kurashiki.okayama.jp/culture/art/1007596/1007597/1011206/1007603/1007611.html
- 五流尊瀧院宝塔 — 岡山県 文化財解説(PDF)
- https://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/260693.pdf
- 五流尊瀧院 — 倉敷観光WEB(倉敷市公式観光サイト)
- https://www.kurashiki-tabi.jp/see/see-234/
- 五流尊瀧院 — 岡山観光WEB(岡山県観光連盟)
- https://www.okayama-kanko.jp/spot/10314
- 熊野神社&五流尊瀧院どっちも巡ってみた — 岡山観光WEB おか旅
- https://www.okayama-kanko.jp/okatabi/726/page
- 五流尊瀧院 宝塔 — 児島観光情報 こじまさんぽ
- https://www.kojima-sanpo.jp/monozukuri/m_sightseeing/m_sightseeing_shop/houtou.html
最終更新日: 2026.09.25