江戸
Edo江戸時代(1603 – 1868)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
蓮華峰寺八祖堂は佐渡市小比叡の蓮華峰寺の金堂北側の丘に立つ江戸時代中期の三間堂で、国登録有形文化財。異例の五手先の組物と茅葺形銅板葺の入母屋屋根が、小さな堂に不釣り合いなほどの大屋根の姿をつくり出している。
蓮華峰寺密厳堂は佐渡市小比叡の蓮華峰寺の金堂西方に建つ天保15年(1844年)の三間堂で、国登録有形文化財。佐渡四国六番札所で、小規模ながら出組の組物と内部の支輪などの彫刻に密度の高い仕事を見せている。
蓮華峰寺無明橋は佐渡市小比叡の蓮華峰寺で奥の院の弘法堂へ向かう参道にかかる江戸時代後期の石の桁橋で、国登録有形文化財。反りをもち、中央の橋脚で3筋の橋桁を受け、36枚の橋板の裏それぞれに梵字を刻んでいる。
新潟県柏崎市上輪新田の六宜閣本館は、安政2年(1855年)建築の庄屋屋敷を転用した割烹旅館の中心建物。九間続きの座敷と囲炉裏を切った広間を備え、平成17年(2005年)に登録有形文化財に登録された。内部の利用は予約制。
渡部家住宅主屋は新潟県東蒲原郡阿賀町八木山にある嘉永3年(1850年)建築の旧本陣で、令和6年12月に国の登録有形文化財となった。寄棟造茅葺の屋根の下に12畳半の式台付玄関と続き座敷を備える。個人住宅のため非公開。
新潟市北区新崎の太古山日長堂主屋は、新崎村の庄屋を務めた古山家の住まい。18世紀中期の木造平屋建で建築面積349平方メートル、T字型平面に撞木造風の大屋根を載せる。平成12年に国の登録有形文化財となった。
新潟市北区新崎の太古山日長堂仏蔵は、主屋の北西に建つ19世紀初期の小さな蔵。建築面積はわずか20平方メートルで、一階は板床に格天井を張り仏壇を据えた持仏堂とする。平成12年に主屋とともに国の登録有形文化財となった。
新潟県十日町市の真宗大谷派・西永寺の境内に建つ安政4年(1857年)の仏堂。廃寺となった永徳寺の本堂を移築したもので、建築面積34平方メートルと小さいが内陣と外陣を備え、梁に絵様を彫る。平成12年に登録有形文化財となった。
新潟市北区葛塚の稲荷神社神輿庫は、江戸末期建築の神輿を納める庫で、登録有形文化財。切妻造桟瓦葺に一間向拝を付け、三斗組や二重虹梁蟇股の妻を備えた社殿風の外観と、花鳥を描く格天井が特色です。見る位置も紹介。
役所でありながら金銀の製錬工場でもあった佐渡奉行所。発掘された928点には、灰吹法を支えた172枚・約7トンの鉛板や鉱山臼が含まれ、世界遺産の島の実像を伝えます。
後陽成天皇の第九皇子で摂政・関白を務めた一条恵観が、京都西賀茂に自ら設計した数寄屋造の茶屋。昭和34年に庭石ごと鎌倉へ移築され、正保頃の皇族建築として現存する重要文化財です。桂離宮や修学院離宮と同時代の朝廷文化を伝えます。
川崎市の日本民家園にある旧伊藤家住宅は、17世紀末〜18世紀初めの名主の農家です。ヒロマの竹簀子の床、正面のシシ窓、床の間も天井もない12畳のデイなど、中層農家の古い姿を残し、民家園誕生のきっかけとなった重要文化財です。
遊行寺の石垣及び築地塀は、惣門の左右に矩折れにのびて門前の広場を区画する。石垣は安山岩切石を高さ約一・九メートルに布積し延石を廻らす。江戸末期の築造で、近世以来の門前の様相を保ち、歴史的景観に寄与するものとして登録された。
總持寺虎嘯窟は安政年間に建ち、明治44年(1911年)に山形県鶴岡市の総穏寺から移された貫首の住まい。15畳と17.5畳の座敷に床・棚・蟻壁・彫刻欄間を備えた書院造。平成17年に登録有形文化財に登録。
總持寺放光堂は安政年間に山形県鶴岡市の総穏寺本堂として建ち、明治44年(1911年)に移築された。移転後の總持寺で最初に法要が営まれた桁行30メートルの堂で、幕末の彫物が残る。平成17年に登録された。
龍口寺手水舎は藤沢市片瀬の龍口寺参道に建つ慶応3年建築の手水舎で、令和3年に登録有形文化財となった。1間四方に起りの切妻屋根を架け、出組詰組の組物、木鼻の波に亀、妻の丸彫り雲龍など幕末の技巧が細部に詰まっている。
龍口寺妙見堂は藤沢市片瀬の龍口寺参道西側に東面して建つ享保5年建築の仏堂で、令和3年に登録有形文化財となった。入母屋造妻入に向拝を付け、格天井の堂内奥に妙見菩薩像を祀る。寺は像を「光の松」の材で造ったと伝える。
国宝「紙本淡彩十宜図」は与謝蕪村が明和8年(1771)に描いた10図の画帖。四季や雨風など移ろう自然の宜しさを約18センチ四方の小画面に写し、池大雅の十便図と対をなす文人画の名品。川端康成旧蔵、川端康成記念会所蔵。
池大雅が明和8年(1771年)に描いた国宝「紙本淡彩十便図」を解説。李漁の詩に基づき山荘暮らしの十の便を表した全10図の画帖で、与謝蕪村筆「十宜図」と対をなす。川端康成旧蔵の来歴や鑑賞の機会も紹介する。
浦上玉堂が墨の濃淡のみで描いた国宝・凍雲篩雪図を解説。六十代末期の作と想定される雪景の名品で、川端康成が生涯愛蔵したことでも知られる。指定の理由、玉堂の生涯、鑑賞の機会、鎌倉・長谷の周辺情報まで紹介する。