江戸
Edo江戸時代(1603 – 1868)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
島根県出雲市の出雲大社本殿は延享元年造営の大社造で、正方形平面に切妻造・妻入をとり、高さは約二十四メートル。現存する大社造の本殿としては最大規模で、明治三十三年の重要文化財指定を経て昭和二十七年に国宝となった。
京都市左京区の賀茂御祖神社は下鴨神社の名で知られる。文久3年(1863年)造替の東西本殿2棟が国宝、寛永6年(1629年)造営の楼門・舞殿・摂社社殿など31棟が重要文化財で、計33棟が一件として指定されている。
熊本県山都町の通潤橋は嘉永7年(1854年)建設の石造アーチ水路橋。橋より高い白糸台地へ石管のサイホンで水を上げ、鞘石垣と裏築で耐震性を高めた高石垣がアーチを支える。令和5年に土木構造物として初の国宝となった。
大阪市立東洋陶磁美術館が所蔵する中国・南宋時代の建盞。漆黒の釉面に銀色の粒状の斑文が内外全面に散り、その部分だけ金属的な光沢を放つ。関白秀次の所持と伝わり、昭和26年(1951年)に国宝に指定された。
大阪市の藤田美術館が所蔵する中国・南宋の天目茶碗。漆黒の釉面に粒状の斑文が浮かび、そのまわりが暈状に玉虫色の光沢を放つ。文化庁は内外両面に曜変があるのは本茶碗だけと記す。昭和28年に国宝に指定された。
名古屋市東区にある江戸時代の茶碗で、本阿弥光悦の作。高さ8.8センチメートル。全面に黒釉を掛けるが一部が極薄く、黒褐色の器膚が現れる。光悦黒楽茶碗の特色を最もよく示すとされ、平成19年に重要文化財となった。
岡山県備前市の旧閑谷学校は寛文6年(1666年)に池田光政が庶民子弟の教育のために始めた郷学。元禄14年上棟の講堂は備前焼を瓦に用い、昭和28年に国宝へ指定された。江戸時代の学校建築として最古の遺構とされる。
岡山県津山市にある社殿で、桁行3間の入母屋造の妻入、こけら葺である。文化庁は年代を1657年とし、岡山県神社庁は1562年の造営、1657年の大修理と記す。大正3年に指定を受け、現在は重要文化財である。
岐阜県瑞浪市の中山道大湫宿にある木造平屋建で、建築面積161平方メートル。庇上の小壁に木瓜形の窓と桔梗紋の漆喰飾をもつ。南側の玄関と座敷は失われている。平成18年(2006年)に登録有形文化財となった。
岐阜県美濃加茂市の中山道太田宿にあるもと旅籠で、木造2階建、建築面積188平方メートル。上部を軒まで漆喰で塗り込めながら、長押と腕木は表に出している。平成26年(2014年)に登録有形文化財となった。
仙台市博物館が保管する47点の資料群で、支倉常長が欧州から持ち帰ったもの。ローマ市公民権証書や油彩の肖像画を含み、常長の没後は仙台藩切支丹改所に保管された。平成13年(2001年)に国宝へ指定された。
1160年の歴史を持つ国宝・石清水八幡宮。珍しい八幡造建築、皇室との深い繋がり、そしてエジソンの電球との驚きの関係。京都から30分、混雑知らずの聖地を訪ねて。
700年の歴史を誇る京都・大徳寺。国宝建築と革新的な枯山水庭園、日本茶道発祥の地として知られる禅寺複合体。侘び寂びの美学を生み出した文化の聖地で、観光を超えた本物の文化体験を。
京都府宇治市にある黄檗宗の大本山で、伽藍の配置と様式が中国の明末清初の影響を受けている。大雄宝殿ほか17棟に、さらに3棟を加えている。大正2年に重要文化財、令和6年(2024年)に国宝の指定を受けた。
京都市東山区の祇園にある社殿で、桁行7間、梁間6間、入母屋造、背面3間突出、檜皮葺である。内々陣から礼堂まで四つの区画が一つの大屋根に収まっている。令和2年(2020年)に国宝へ指定された1棟である。
京都市右京区嵯峨の清凉寺が所有する16幅の仏画で、文化庁は国の欄を宋、時代を北宋としている。日本で作られたものではない。重要文化財を経ることなく、昭和30年(1955年)に国宝へ指定されたものである。
京都市東山区の東福寺が所有する南宋時代の絵画1幅で、南宋の高僧である無準師範の全身を描いている。同名のもう一幅と同じ木箱に納められて伝来したものである。昭和27年(1952年)に国宝へ指定されている。
京都市右京区の陽明文庫が所有する近衛信尹の自筆記録で、7巻18冊6通からなる。附指定された原文書のほうを、本体が似寄りの料紙をあつらえて筆写している。令和5年(2023年)に重要文化財となった記録である。
京都府の相国寺が所有する南宋時代の茶碗1口で、高さ6.7センチメートル、口径11.8センチメートル。内面は釉薬をかけない部分が文様になり、外側は逆にふりかけて斑文様とする。昭和28年に国宝へ指定された。
京都府宇治市の宝蔵院が所有する江戸時代の版木48,275枚で、1枚単位まで数え上げられている。版木から刷られた経典のほうは、別の物件として記録されている。昭和32年(1957年)に重要文化財となった。