赤田家住宅正門とは

赤田家住宅正門は、滋賀県長浜市太田町にある江戸時代後期の木造茅葺の薬医門で、令和7年(2025年)8月6日に国の登録有形文化財となった。間口は2.3メートルで、両脇に袖塀を付ける。赤田家住宅として登録された5棟のうち、もっとも古い建物である。

文化庁は年代を江戸後期とし、西暦では1751年から1830年の幅で示している。建築年を記した資料は示されておらず、形式や技法から時代を絞り込んだものと考えられる。

門は主屋の正面に、南を向いて建つ。屋根は切妻造の茅葺で、両脇の袖塀は桟瓦葺、東側には人が身をかがめて通る潜戸を設ける。

登録の理由と価値

赤田家住宅正門の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁の解説は、茅葺屋根が地域の歴史的な景観をつくっている点を評価している。

薬医門は、門扉を吊る2本の主柱の後ろに控えの柱を立て、切妻屋根を載せる門の形式である。赤田家住宅正門では、主柱の頭をつなぐ冠木の上に梁を架け、その梁の先端で軒桁を受けている。屋根の重みを梁の鼻先で受け止める組み方で、薬医門の構造がそのまま読み取れる。軒裏には丸太のままの垂木が並ぶ。

門の内部には天井を張り、門口には両開きの板扉を吊る。門の下をくぐるとき、頭上は小屋組ではなく天井で覆われていることになる。

瓦葺の袖塀を両脇に従えながら、門そのものは茅で葺く。表の顔である門に、あえて集落の民家と同じ茅の屋根を載せている点に、この屋敷の構えの特徴がある。

見どころ

赤田家住宅正門では、茅と瓦の対比をまず見たい。中央の門は厚みのある茅の切妻屋根、その左右に続く袖塀は薄く締まった瓦屋根。素材の違いが、門を中心に左右対称の構えを際立たせている。

次に軒下である。文化庁は南から軒下を見上げた写真を公開しており、冠木の上の梁と、その先で軒桁を受ける納まり、丸太の垂木がそろって写っている。製材した角材ではなく丸太を垂木に使うのは、茅葺屋根の軒でよく見られる手法である。

東の潜戸にも目を留めたい。両開きの板扉を閉じたままでも人が出入りできるように設けたもので、日常の出入りはこちらを使ったと考えられる。

見学方法

赤田家住宅正門は個人の屋敷の門で、門をくぐって敷地に入ることはできない。見学の受付や公開日は、文化庁・長浜市の資料のいずれにも案内がない(2026年9月27日確認)。

正門は物置と並んで屋敷の表構えをつくる建物で、赤田家住宅の5棟のなかでは外から姿をとらえやすい。南を向いて建つため、南側から見ると正面の茅葺屋根と両脇の袖塀が一度に視野に収まる。撮影は公道からにとどめ、門前に長く立ち止まったり、門の内側をのぞき込んだりすることは控えたい。

Q&A

Q赤田家住宅正門はいつ建てられましたか。
A江戸時代後期です。文化庁は1751年から1830年の幅で年代を示しており、赤田家住宅の5棟のうちもっとも古い建物です。
Q赤田家住宅正門は外から見られますか。
A南を向いて屋敷の表構えをつくる門なので、南側の公道から外観を見ることができます。門をくぐって敷地に入ることはできません。
Q赤田家住宅正門はどんな形式の門ですか。
A切妻造茅葺の薬医門です。両脇に桟瓦葺の袖塀を付け、東側に潜戸を設けています。
Q赤田家住宅正門の大きさはどのくらいですか。
A間口は2.3メートルです。
Q赤田家住宅正門はなぜ登録有形文化財になったのですか。
A「国土の歴史的景観に寄与しているもの」の基準によります。茅葺屋根が地域の歴史的な景観をつくっている点が評価されています。

基本データ

名称赤田家住宅正門(あかだけじゅうたくせいもん)
所在地滋賀県長浜市太田町字中屋敷133-1
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 25-0529
指定年令和7年(2025年)8月6日登録
員数1棟
寸法木造、茅葺、間口2.3メートル、袖塀付
所有者個人
公開状況非公開。外観は公道から

参考文献

国指定文化財等データベース 赤田家住宅正門(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015473
長浜市所在指定文化財一覧(令和7年8月6日現在)
https://www.city.nagahama.lg.jp/cmsfiles/contents/0000014/14176/ichirann.pdf

最終更新日: 2026.09.26