四国の南端に立つ禅宗様の三間堂

善光寺薬師堂は、愛媛県北宇和郡鬼北町小松の善光寺にある室町時代後期の仏堂で、文明15年(1483年)ごろの建立とみられ、昭和52年(1977年)6月27日に堂内の厨子1基とあわせて重要文化財に指定された。善光寺は山号を医王山とする曹洞宗の寺院で、愛媛県南西部の山あいに建つ。鬼北町はこの薬師堂を、室町期の禅宗様の特徴を備えた建物として四国では最南端に位置すると説明している。

年代は建物そのものから出てきた。昭和55年(1980年)に始まった解体修理の際、内陣の天井板受桁に「文明十五年」(1483年)の墨書が見つかった。それ以前は様式から室町後期と推定するほかなかったもので、国指定文化財等データベースも年代を文明15年(1483年)とする。

寺の草創については、宝徳3年(1451年)に龍澤寺(現在の西予市城川町)2世の星文守昌が開いたと伝えられている。ただし、その下にもう一本、古い筋がある。厨子に安置された木造薬師如来坐像の胎内には正平13年(1358年)の銘があり、鬼北町はこれを製作の記録ではなく修理の銘と読む。そう読めば、寺としての開創より前から、この地に堂か庵室があったことになる。

輸入された様式を地方がどう読んだか

善光寺薬師堂は桁行3間、梁間3間、一重の建物で、屋根は茅葺である。指定の根拠は具体的な性質にある。この堂は禅宗様の手法を本格的に用いているが、すべてが同じ水準で揃っているわけではなく、外れるところにこそ資料的な価値がある。国指定文化財等データベースの解説は、三間仏堂で本格的な禅宗様の手法によりながら一部に地方性を示すとし、瀬戸内地方における禅宗様建築の地域性を示す遺構として重要だと述べている。

細部は禅宗様で通っている。柱は円柱で、礎石の上に礎盤を据えてその上に立ち、上下に粽を持つ。柱間は貫を通して固める。釘打ちの長押で固める和様とは構造の考え方が根本から違う。組物は出組の一手先、軒は一軒の疎垂木。内部には来迎柱が立ち、太い虹梁と、それを受ける大瓶束が構造をそのまま見せている。

教科書どおりでない点が二つある。ひとつは平面で、本来4本立つはずの四天柱が2本に省略されている。鬼北町はこれを、平安時代以来の一間四面堂の伝統を引く形と読む。もうひとつは屋根で、呼び方が資料によって割れる。国指定文化財等データベースは寄棟造と記し、愛媛県と鬼北町はいずれも宝形造(方形造)と説明している。正方形に近い三間の平面では両者の形は近づくため、そこに食い違いの原因があると考えられるが、記録としては割れたままなので、そのことは断っておきたい。

見どころ

まず茅葺の屋根である。懐古趣味で葺かれているのではない。昭和28年(1953年)の大修理で、草葺の屋根は桟瓦葺に、板壁は塗壁に変えられていた。昭和55年(1980年)から昭和57年(1982年)にかけての解体修理はこれを戻す作業で、昭和33年(1958年)以前の茅葺に復元し、国庫補助を受けて昭和57年(1982年)6月30日に工事を完了した。いま目の前にある屋根は、先行する近代化を意識的に巻き戻した結果である。

次に厨子。同じ指定に含まれており、保存状態という点では堂本体を上回る。一間厨子で、妻入の入母屋造、板葺、組物は三手先の詰組、軒は二軒の扇垂木で、隅から放射状に垂木が開く。五百年のあいだ屋内に置かれてきたため、扇垂木も桟唐戸もほとんど完全に残っている。

厨子の垂木と堂の垂木を見比べると、揃っていないことに気づく。鬼北町は、改修後の薬師堂の垂木割は扇垂木ではないと明記している。堂が失ったものを厨子が保っているという関係で、自治体がそう書いていることも、訪れる前に知っておくと見上げ方が変わる。

厨子の中には木造薬師如来坐像が坐る。像高約70センチ、桧材の寄木造で、鬼北町の指定文化財。左手は薬壺を捧げる形だが薬壺は欠けており、右手は施無畏印を結ぶ。その奥には江戸時代の二天・十二神将が控える。山門の前には左右に大イチョウがそびえ、「葷酒山門に入るを許さず」と刻まれた石碑が立っている。

見学方法

愛媛県観光物産協会の案内によれば、善光寺薬師堂と、薬師如来坐像を納めた厨子はいずれも常時公開されている。地方の重要文化財建造物としては珍しく、祭礼の日にしか開かない同種の堂が多いことを思えば、この条件は生かしたい。

所在地は北宇和郡鬼北町小松1557、電話は0895-48-0206。駐車場は約5台分で無料。公共交通では宇和島自動車のバス停「三島診療所」が最寄りで、徒歩5分ほどである。鬼北町は宇和島から内陸に入った位置にあり、多くの場合は車で向かうことになる。

撮影について寺が定めた案内は確認できなかったので、堂内は日常の信仰の場として扱いたい。仏像の近くでフラッシュを使わない、三脚は断りなく立てない、個人の記録を超える撮影は先に寺へ声をかける。茅葺の屋根は火に弱く、境内は禅寺として日々使われている場所である。

Q&A

Q善光寺薬師堂はいつ建てられたのですか。年代はどうやって分かったのですか。
A文明15年(1483年)ごろとされています。昭和55年(1980年)に始まった解体修理の際、内陣の天井板受桁に「文明十五年」(1483年)の墨書が発見され、それまで様式による推定だった年代が裏付けられました。
Q善光寺薬師堂と堂内の厨子は見学できますか。
A見学できます。愛媛県観光物産協会の案内では、薬師堂と、木造薬師如来坐像を納めた厨子はいずれも常時公開とされています。駐車場は約5台分で無料です。
Q善光寺薬師堂の屋根はなぜ瓦ではなく茅葺なのですか。
A昭和28年(1953年)の修理で桟瓦葺に変えられていたものを、昭和55年(1980年)から昭和57年(1982年)の解体修理で戻したためです。昭和33年(1958年)以前の茅葺に復元され、工事は昭和57年(1982年)6月30日に完了しました。
Q善光寺薬師堂は建築としてどこが重要なのですか。
A本格的な禅宗様の手法で建てられた三間仏堂でありながら、一部に地方性が現れる点です。瀬戸内地方で禅宗様がどう受け止められたかを示す遺構として評価されています。鬼北町は四国では最南端に位置する物件とも説明しています。
Q善光寺薬師堂へはどう行けばよいですか。
A所在地は北宇和郡鬼北町小松1557で、宇和島から内陸に入った山あいにあります。最寄りは宇和島自動車のバス停「三島診療所」で徒歩5分ほどですが、多くの場合は車での訪問になります。駐車場は無料です。

基本データ

名称善光寺薬師堂
所在地愛媛県北宇和郡鬼北町小松
指定区分重要文化財(建造物)
指定年昭和52年(1977年)6月27日指定
員数1棟(附 厨子1基)
寸法桁行3間、梁間3間、一重、茅葺
所有者善光寺
公開状況薬師堂と厨子はいずれも常時公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「善光寺薬師堂」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3413
鬼北町「文化財~善光寺(薬師堂・薬師堂厨子)~」
https://www.town.kihoku.ehime.jp/site/kanko-e/zenkouji-yakushidou.html
愛媛県「えひめの文化財(たから)善光寺薬師堂」
https://www.pref.ehime.jp/ehimenotakara/34.html
愛媛県観光物産協会「いよ観ネット 善光寺」
https://www.iyokannet.jp/spot/707

最終更新日: 2026.09.04