總持寺虎嘯窟とは
總持寺虎嘯窟は、神奈川県横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺にある貫首の居住施設で、江戸時代末期の安政年間(1854〜1859年)に建てられ、明治44年(1911年)に移築された。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録された。読みは「こしょうくつ」。
仏殿の西方に南を向いて建つ、木造平屋建・瓦葺の住宅建築で、建築面積は137平方メートル。寺のデジタルアーカイブによれば、放光堂とともに山形県鶴岡市の総穏寺から移された建物で、移転当初は「跳龍室」と呼ばれていた。
總持寺虎嘯窟は、本山の住持が日々を過ごす私的な空間である。表方丈の紫雲台が来訪者と会う公の場であるのに対し、こちらは奥向きの住まいにあたる。
總持寺虎嘯窟が登録有形文化財となった理由
登録基準は「造形の規範となっているもの」である。寄棟造・桟瓦葺の屋根に、柱だけで支える吹放しの庇をかける。
文化庁の解説は、内部の丁寧なつくりを評価している。15畳と17.5畳の座敷を東西に並べ、東・南・西の3方を畳敷の広縁が囲む。各室に床と棚を備え、長押の上に蟻壁(ありかべ)を廻し、彫刻を施した欄間や彩色した板戸を用いる。規模は小さいが、書院造の要素を一通りそろえた住まいである。
幕末に建てられた書院系の建物が、明治末に山形から横浜へ移され、大本山の貫首の住まいとして使い続けられてきた。總持寺虎嘯窟は、移築を前提に解体と再建ができる木造住宅の特質と、江戸末期の座敷意匠の質とを、あわせて伝えている。
總持寺虎嘯窟の見どころ
外観では、寄棟の屋根の下に張り出した吹放しの庇が、建物の正面に深い陰をつくっている。南向きなので、庇の影の輪郭が季節によって変わる。
座敷の見どころは蟻壁と欄間である。蟻壁は長押と天井のあいだに設ける細い壁で、座敷の天井を高く、格調高く見せる。彫刻欄間と彩色板戸は、幕末の工芸の水準を示す部分とされる。
放光堂とは渡廊下でつながっている。總持寺虎嘯窟を訪ねた人は、廊下を通じて本堂へ向かったはずで、住まいと堂との近さも移転当初の本山の暮らしぶりを伝えている。
總持寺虎嘯窟の見学方法
總持寺虎嘯窟は貫首の居住施設であり、公式サイトの参拝案内に内部公開の記載はない。外観も奥向きの区域にあたるため、一般の参拝で近づける範囲は限られる。
放光堂の周辺から、渡廊下の先に屋根の一部が望める。立ち入りが制限された区域には入らず、見学を希望する場合は総受付に問い合わせたい。境内への行き方は總持寺のページにまとめてある。
Q&A
- 總持寺虎嘯窟はどのような建物ですか?
- 總持寺の貫首の居住施設です。15畳と17.5畳の座敷を中心に、床・棚・蟻壁・彫刻欄間などを備えた書院造の住宅です。
- 總持寺虎嘯窟はどこから移築されたのですか?
- 寺のデジタルアーカイブによれば、放光堂とともに山形県鶴岡市の総穏寺から移され、移転当初は「跳龍室」と呼ばれていました。
- 總持寺虎嘯窟は見学できますか?
- 公式サイトの参拝案内に内部公開の記載はありません。奥向きの区域にあり、外観を見られる範囲も限られます。
- 總持寺虎嘯窟はいつ建てられ、いつ登録されましたか?
- 安政年間(1854〜1859年)に建てられ、明治44年(1911年)に移築されました。平成17年(2005年)7月12日に登録有形文化財に登録されています。
- 總持寺虎嘯窟と放光堂の関係は?
- どちらも総穏寺から移された建物で、両者は虎嘯窟渡廊下でつながっています。
基本情報
| 名称 | 總持寺虎嘯窟(そうじじこしょうくつ) |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 2005年(平成17年) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、建築面積137平方メートル |
| 所有者 | 宗教法人大本山總持寺 |
| 公開状況 | 貫首の居住施設。内部公開の案内なし |
参考文献
- 總持寺虎嘯窟|国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004718
- 總持寺の歴史-所蔵史資料からみる-|曹洞宗大本山總持寺デジタルアーカイブ
- https://adeac.jp/sojiji/top/timeline/index.html
- 参拝のご案内|曹洞宗大本山總持寺
- https://www.sojiji.jp/visit/
最終更新日: 2026.09.16