總持寺放光堂とは
總持寺放光堂は、神奈川県横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺にある江戸時代末期の仏堂で、安政年間(1854〜1859年)に建てられ、明治44年(1911年)に現在地へ移築された。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録された。読みは「ほうこうどう」。
もとは山形県鶴岡市の総穏寺の本堂である。寺の案内によれば、總持寺の移転に際して特別に献納され、明治44年(1911年)11月5日、能登から移った本山で最初に法要が営まれた建物となった。当時は大祖堂として伽藍の中心の役を担っていた。
現在は檀信徒の位牌を祀る堂として使われ、仏殿の西に東を向いて建つ。木造平屋建・瓦葺で、建築面積は650平方メートル。總持寺放光堂は、鶴見の總持寺の歴史がこの一棟から始まったことを示す建物である。
總持寺放光堂が登録有形文化財となった理由
登録基準は「造形の規範となっているもの」である。入母屋造・桟瓦葺の大屋根をかけ、桁行は30メートルに及ぶ。文化庁の解説は、この雄大な規模とともに、各部の彫物や虹梁の絵様(えよう)に幕末期の造形がうかがえる点を挙げている。
内部は、正面の1間通りを土間とし、床上は奥の中央に仏壇、左右に位牌壇を構える。柱の少ない広大な空間は、大勢の参拝者が位牌に手を合わせる現在の使い方にもよく合っている。
山形から横浜へ解体・移築された江戸末期の本堂が、移転直後の本山の中心堂宇として使われ、いまも役割を変えて現役である。移築の経緯と幕末の意匠の両方を伝える点で、總持寺の伽藍のなかでも特異な位置を占める。
總持寺放光堂の見どころ
正面に立つと、30メートルの桁行を覆う屋根の長さにまず圧倒される。登録された總持寺の建物のなかでも、横への広がりはとりわけ大きい。
近づいたら、虹梁の表面に彫られた渦や若葉の文様(絵様)を見たい。幕末の彫りは線が細かく、大正期の建物が多い境内のなかで時代の違いが感じられる。
堂の北寄りからは、虎嘯窟へ向かう渡廊下が延びている。總持寺放光堂と虎嘯窟はともに総穏寺から移された建物で、二つをつなぐ廊下とあわせて見ると、移転当初の境内の姿を思い描きやすい。
總持寺放光堂の見学方法
總持寺放光堂の外観は、仏殿の西側の境内から見られる。東を向いて建つので、午前中に正面がよく照らされる。
位牌を祀る堂として檀信徒の参拝が行われており、堂内に入る場合は総受付に確認するか、ガイド付きの諸堂拝観の案内に従いたい。法要中は静粛を保ち、撮影は控える。境内への行き方と拝観の申し込み方法は總持寺のページにまとめてある。
Q&A
- 總持寺放光堂はもともとどこにあった建物ですか?
- 山形県鶴岡市の総穏寺の本堂で、安政年間(1854〜1859年)に建てられ、明治44年(1911年)に總持寺へ移築されました。
- 總持寺放光堂はなぜ記念すべき建物とされるのですか?
- 寺の案内によれば、明治44年(1911年)11月5日、能登から移った總持寺で最初に法要が営まれた建物で、当時は大祖堂として使われていました。
- 總持寺放光堂は現在何に使われていますか?
- 檀信徒の位牌を祀る堂として使われています。内部は奥中央に仏壇、左右に位牌壇を構えています。
- 總持寺放光堂の大きさは?
- 桁行30メートル、建築面積650平方メートルの木造平屋建です。
- 總持寺放光堂はいつ登録有形文化財になりましたか?
- 平成17年(2005年)7月12日に登録されました。登録基準は「造形の規範となっているもの」です。
基本情報
| 名称 | 總持寺放光堂(そうじじほうこうどう) |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 2005年(平成17年) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、桁行30メートル、建築面積650平方メートル |
| 所有者 | 宗教法人大本山總持寺 |
| 公開状況 | 外観は境内から見学可。堂内は総受付に確認 |
参考文献
- 總持寺放光堂|国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004719
- 放光堂(ほうこうどう)|曹洞宗大本山總持寺
- https://www.sojiji.jp/map/houkoudou/
- 總持寺の歴史-所蔵史資料からみる-|曹洞宗大本山總持寺デジタルアーカイブ
- https://adeac.jp/sojiji/top/timeline/index.html
- 参拝のご案内|曹洞宗大本山總持寺
- https://www.sojiji.jp/visit/
最終更新日: 2026.09.16