明治
Meiji明治時代(1868 – 1912)の日本の文化財を一覧で閲覧できます。都道府県・種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
新潟県村上市大町の和菓子店、早撰堂菓子店の主屋。明治26年(1893年)建築の木造2階建の町家で、桁行3間・梁間10間。一階にミセとチャノマを並べ、二階はチャノマの上を吹抜けとする。棟梁は増田寅吉。2005年登録。
新潟県村上市大町の早撰堂菓子店の敷地西南隅に建つ明治20年(1887年)の土蔵。土蔵造2階建、切妻造桟瓦葺妻入の置屋根で、鉢巻などを黒漆喰、扉を掛子塗とする。棟梁は主屋と同じ増田寅吉。2005年登録。
新潟県胎内市の大輪寺本堂は、天保9年の火災と戊辰戦争の戦火で二度焼け、明治16年に再建された六間取の方丈形式。簡明な造りの中で、要所に彫刻欄間を嵌め、須弥壇回りだけを円柱と出組で荘厳する。
新潟県上越市の髙橋あめや主屋は、明治8年(1875年)に北国街道に面して建てられた切妻造平入の町家。正面の雁木と2階の格子窓に雪国の商家の表構えをよく残し、寛永元年(1624年)創業の飴屋の店として今も使われている。
長谷寺廻廊及び札所は、鐘堂と観音堂を結ぶ幅1.8メートル、長さ17メートルの廊下である。参道側の壁は上部を横連子に組み、北端は2階建の札所となって切子格子の窓を設ける。2008年に登録有形文化財となった。
長谷寺護摩堂は、本堂の西の一段高い位置に参道へ西面して建つ桁行7.4メートルの木造平屋建である。南室に木造不動明王立像を安置して護摩壇を置き、仏壇まわりを組物で飾る。2008年に登録有形文化財となった。
新発田市の長徳寺庫裏は本堂の西に廊下で接続する明治中期の大規模な庫裏。24畳の客間や12畳のチャノマの奥に新御殿3室、廊下を隔てて古御殿2室を配し、差鴨居で柱間を広く造る。平成29年に登録有形文化財となった。
新発田市の長徳寺鐘楼は本堂と山門を結ぶ参道の東に南面する明治期の鐘楼。几帳面取の角柱を虹梁型頭貫で固め、参道側の虹梁だけに波や菊を彫り、入母屋造の妻に波形の拝懸魚を飾る。平成29年に登録有形文化財となった。
鍋茶屋煉瓦蔵は新潟市中央区東堀通の料亭鍋茶屋にある明治43年頃の煉瓦造平屋建。壁面は小口積とし、片流れ屋根の上に防火と目隠しを兼ねた煉瓦壁を立ち上げる。平成12年に国の登録有形文化財として登録された。
新潟県立加茂農林高等学校正門は明治37年建設の煉瓦造で、間口4.6メートル、脇門柱付。イギリス積の門柱に狭間を彫った鉢巻石と歯形模様の笠石を載せる。旧三国街道に面し、令和4年に登録有形文化財となった。
新潟県立加茂農林高等学校第二洋灯室(ランプ記念館)は明治40年建設の煉瓦造、建築面積19平方メートル。寄宿舎の石油ランプを収容し清掃と給油を行った施設で、オランダ積の壁を内外とも現しとする。令和4年登録。
新潟県五泉市の新潟県立村松高等学校正門は、県下初の工業学校に建てられた明治後期の煉瓦造校門で、平成20年に国の登録有形文化財に登録された。門柱にイギリス積みとフランス積みが並び、明治36年頃の建設と推定される。
新潟市中央区の新潟大学医学部表門及び煉瓦塀は、明治44年建設の塀と大正3年建設の門からなり、平成17年に国の登録有形文化財に登録された。砂丘地の勾配に合わせ、延長149メートルの塀が階段状に下っていく。
新潟県聖籠町の二宮家住宅一号米蔵は、明治8年に建てられた桁行17間半の木造平屋の米蔵です。建築面積267平方メートルの長大な蔵で、東面の全長に土庇を通し、千町歩地主の米蔵らしい規模を今に伝えています。
新潟県聖籠町の二宮家住宅一号土蔵は、明治8年に建てられた土蔵造2階建の文庫蔵です。建築面積33平方メートルの小ぶりな蔵ながら、妻に家紋を漆喰で浮き出し、塗戸を掛子塗とし、軒裏まで丁寧に塗り込めています。
新潟県聖籠町の二宮家住宅大門及び塀は、明治10年に建てられた長屋門です。昭和10年の増改造で門口を高くし、背面に主屋の方へ矩折れに延びる屋根塀を加えた特異な構えとなり、今も屋敷の正面を形づくっています。
新潟県聖籠町の二宮家住宅五号土蔵は、明治41年に建てられた土蔵造2階建の蔵です。4棟並ぶ土蔵の南端に建ち、腰を海鼠壁とし、東の妻には観音開きで掛子塗の塗戸を持つ窓を上下に並べた、整った姿の二階蔵です。
新潟県聖籠町の二宮家住宅雑蔵は、明治8年に建てられた平屋の小さな土蔵です。屋敷地の西端近くに建ち、腰を高く取って縦板を張り廻した素朴な外観で、南妻に小窓を一つだけ開け、屋敷の裏庭の空間をつくっています。
新潟県聖籠町の二宮家住宅三号土蔵は、明治34年に建てられた土蔵造2階建の蔵です。腰を海鼠壁とし、東妻は1階に窓を設けず2階に2連の窓を開け、地棟端に家紋の漆喰飾りを入れた、二号土蔵と並び立つ土蔵です。
新潟県聖籠町の二宮家住宅主屋は、落雷で焼けた家屋を明治17年に再建した建築面積756平方メートルの千町歩地主の住宅です。座敷は庭園静勝園と弁天潟に面し、内部は非公開で、初夏の庭園公開時に外観を見られます。