全国の登録有形文化財
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大賀家住宅離座敷は岡山市北区今保の商家屋敷に建つ明治初期の座敷棟。庭瀬藩別邸から移されたと伝わる庭に正対する8畳間で、数寄屋風の意匠と丁寧な床・棚・書院を備え、平成14年に登録有形文化財となりました。
元禄11年(1698年)、岡山藩主池田綱政の命により名匠・津田永忠が築造した石積みの防波堤。瀬戸内海の大多府島に残る日本有数の江戸期港湾遺構で、1998年に防波堤として全国初の国登録有形文化財に登録。北前船や参勤交代の御座船が寄港した歴史ある港の姿を今に伝えます。
岡山県岡山市北区内山下のおかやま旧日銀ホールは、大正11年(1922年)竣工の国登録有形文化財。長野宇平治の設計で、コリント式の柱と三角ペディメントを持つ古典主義建築。現在はルネスホールとして使われている。
岡山県岡山市北区丸の内の岡山禁酒会館は、大正12年(1923年)竣工の国登録有形文化財。禁酒運動の拠点として建てられた木造3階建で、昭和20年の岡山空襲を免れた。現在も1階にカフェが入り使われ続けている。
岡山県総合グラウンドクラブ(旧岡山偕行社)は岡山市北区の運動公園内に建つ明治43年建築の木造洋風建築。陸軍第十七師団の将校の社交場で、半円ペディメントとイオニア式円柱を木で仕立てる。平成24年に登録有形文化財。
岡山県庁議会棟旧館は昭和32年に本館と同時竣工した前川國男設計の議事堂で、令和6年12月に登録有形文化財となった。三階が四周に張り出し、孔開きホロー・ブリックが手摺を途切れずにめぐる。外観は敷地内から自由に見学できる。
岡山県庁西庁舎は昭和46年竣工、前川國男設計の五階建て庁舎で、令和6年12月に登録有形文化財となった。打放しコンクリートの格子状立面と、地上階をピロティとする構成が本館と対をなす。平成16年には免震工法で耐震化された。
岡山県庁本庁舎本館は昭和32年竣工、前川國男設計の九階建て庁舎で、令和6年12月に登録有形文化財となった。岡山城二の丸跡に建ち、ピロティ上の回廊と黒いカーテンウォール、橙色のホロー・ブリックが見どころ。
岡山市の岡山朝日高校の校地に残る大正八年築の木造柔道場。床組にバネを装置して弾力をもたせた珍しい造りで、全国大会を八連覇した旧制六高の柔道部を支えた。空襲を免れ創立期の姿を今にとどめる登録有形文化財である。
岡山朝日高校の西辺に立つ石造正門と、校地を囲う総延長一〇三二メートルの石積。明治三十三年の旧制六高創立の年に築かれ、登録四件で最も古い。割石の谷積と布積を併用し、公道から眺められる登録有形文化財である。
岡山朝日高校の北辺に東書庫と並び立つ、昭和五年築の鉄筋コンクリート造書庫。コーニスや連続窓を年長の煉瓦造書庫にそろえ、二棟が一続きに見えるよう設計された。空襲を免れ旧制六高の記憶を今に残す登録有形文化財である。
岡山朝日高校の北辺に残る明治三十五年築の煉瓦造書庫。正門に次ぐ古さで、各階に三筋のコーニスをめぐらせ、窓に鉄格子をはめた堅牢な防火書庫である。空襲を免れ旧制六高の創立期を今にとどめる登録有形文化財である。
岡山県立倉敷天城高等学校武道場は岡山県倉敷市藤戸町の校地中央に建つ昭和2年築の木造平屋建である。桁行15間の入母屋造桟瓦葺で、内部を南北に分けて柔道場と剣道場とする。平成19年に登録有形文化財となった。
岡山県立高松農業高等学校資料館は岡山市北区高松原古才の校地に建つ明治42年築の煉瓦造平屋建である。旧岡山県立農学校の堆肥舎で、フランス積の壁にトラス小屋の茅葺屋根を載せる。平成19年に登録有形文化財となった。
岡山市北区鹿田町、岡山大学鹿田キャンパスに建つ大正11年の煉瓦造門柱。花崗岩の基礎に赤煉瓦の小口積を重ね、柱頭部にセセッション風の意匠を施す。医科大学昇格の年に建ち、平成19年に国の登録有形文化財に登録された。
岡山市北区鹿田町、岡山大学鹿田キャンパスの正門脇に建つ大正11年建築の木造平屋。建築面積は22平方メートル、寄棟造の屋根は変形六角平面をとり、鱗形の天然スレートで葺く。平成19年に国の登録有形文化財に登録された。
岡山市北区津島中、岡山大学津島キャンパスの正門脇に建つ明治44年の木造平屋。陸軍第十七師団司令部の衛兵所として建てられ、現在は無料公開の情報展示室となっている。平成19年に国の登録有形文化財に登録された。
岡山県津山市の城西地区に佇む翁橋は、大正15年(1926年)築の鉄筋コンクリート橋。アールデコ様式の親柱と、橋面全体に残る大正時代の煉瓦舗装が評価され、国登録有形文化財および土木学会選奨土木遺産に選定されています。
岡山県瀬戸内市の長島にあるハンセン病療養所、邑久光明園の中央に建つ恩賜会館。昭和十六年の木造建築で、中央車寄せの上部に三連アーチ窓を掲げ、妻を二重に見せる特徴的な意匠が評価され登録有形文化財となった。
邑久光明園の敷地東部に北面して建つ旧裳掛小・中学校第三分校。園内では光明学園と呼ばれ、島で暮らす子どもたちが学んだ。昭和十四年の木造平屋建で、療養所に附属する学校建築が残る貴重な例として登録された。