兵庫県の登録有形文化財
兵庫県 · 登録有形文化財
上月家住宅待合は姫路市坊主町の庭で茶室の北東に建つ昭和5年(1930年)頃の腰掛待合。建築面積2.5平方メートルの招屋根で、床は三和土、垂木に丸太と小竹を交互に並べる。平成23年(2011年)に登録有形文化財となった。
神戸市東灘区の甲南女子中学校・高等学校の中央に建つ昭和43年(1968年)の管理棟。村野藤吾の設計で、1階中央をピロティにして車路を通し、回廊で教職員と生徒の動線を分ける。建築面積1,703平方メートル。
甲南女子中学校・高等学校の管理棟南の斜面に建つ昭和43年(1968年)の講堂。村野藤吾の設計で、六角形の平面の北を舞台、南を客席とし、屋根を小割りにして軒を薄くする。室内は曲線を多用した有機的な意匠。
甲南女子中学校・高等学校の校地東の一角に建つ昭和46年(1971年)の木造茶室。村野藤吾の設計で、寄棟造桟瓦葺に銅板の土庇を付け、六畳と八畳を並べる。ガラス戸を用いた平明な座敷はモダニズムに通じている。
甲南女子中学校・高等学校の正門脇に建つ昭和43年(1968年)の守衛室。村野藤吾の設計で、ブロック壁に木造の宝形屋根を架け、壁に煉瓦2段の帯を積み込み、出窓を矩折れに付ける。建築面積29平方メートル。
甲南女子中学校・高等学校の管理棟の北西に建つ昭和43年(1968年)の鉄骨造体育館。村野藤吾の設計で、四隅に対で立つ8本の鋼管柱に大梁を対角に架け、47メートルの大スパンを得た。1階は食堂と卓球場である。
甲南女子中学校・高等学校の体育館南西隅に付く昭和43年(1968年)の鉄骨造2階建て。村野藤吾の設計で、1階をピロティ、2階を凸型の平面とし、末広がりの角柱、薄い庇、細い螺旋階段で軽快にまとめている。
甲南女子中学校・高等学校の管理棟の東に接続する昭和43年(1968年)の4階建て校舎。村野藤吾の設計で、西側は上下で窓幅を変えて凸字型に見せ、中央に水平の庇を突き出し、両端の外階段に煉瓦積みの腰壁を付ける。
甲南女子中学校・高等学校の北西、西門脇に建つ昭和43年(1968年)の守衛室。村野藤吾の設計で、ブロック造に宝形屋根を載せ、東の角を入隅にして独立柱を立て、南の角に出窓を矩折れに付ける。建築面積11平方メートル。
コウノトリ保護増殖センター第一フライングケージは兵庫県豊岡市野上にある昭和40年(1965年)の飼育ケージで、登録有形文化財。半球ドームを連ねた鉄管と金網の構造で、コウノトリの保護・増殖の先駆的な試みを示す。
神戸ゴルフ倶楽部クラブハウスは神戸市灘区の六甲山上にある昭和7年(1932年)の木造平屋建の建物で、登録有形文化財。日本最古のゴルフ場に建ち、下見板張に白い上下窓を並べ、タイル貼の暖炉や化粧梁形の天井をもつ。
神戸ゴルフ倶楽部チェンバーは神戸市灘区の六甲山上にある大正13年(1924年)の木造平屋建の建物で、登録有形文化財。大阪の実業家の社交場「サースデイ倶楽部」を倶楽部が取得・改修したもので、屋根勾配を抑えた低い外観が特徴。
神戸大学兼松記念館は兵庫県神戸市灘区六甲台町にある昭和9年(1934年)の鉄筋コンクリート造3階建の研究棟で、登録有形文化財。文部省営繕の設計で、簡素な外観に、市松タイル敷の階段ホールや鋳物飾の手摺を備える。
神戸大学講堂は兵庫県神戸市灘区六甲台町にある昭和10年(1935年)の鉄筋コンクリート造の講堂で、登録有形文化財。本館と共通の意匠をもち、船舶の舵をあしらった入口扉を含む5連の大アーチの正面に強い正面性を見せる。
神戸大学人文社会系図書館は兵庫県神戸市灘区六甲台町にある昭和8年(1933年)の鉄筋コンクリート造5階建の図書館で、登録有形文化財。2階にアーチによる大閲覧室を設け、正面階段の上部にステンドグラスのトップライトを掲げる。
神戸大学武道場(旧神戸商業大学道場)は兵庫県神戸市灘区六甲台町にある昭和10年(1935年)の木造平屋建の道場で、登録有形文化財。正面中央に車寄を出す入母屋造で、格天井や鰭付懸魚を用いた格式ある造り。
神戸大学本館は兵庫県神戸市灘区六甲台町にある昭和7年(1932年)の鉄筋コンクリート造の校舎で、登録有形文化財。旧神戸商業大学の本館として建てられ、左右対称の正面にスクラッチタイルとロンバルディア帯をまとう。
神戸文学館は神戸市灘区王子町の王子公園にある明治37年(1904年)の煉瓦造の旧礼拝堂で、登録有形文化財。関西学院の礼拝堂兼講堂として建てられ、妻面の尖頭アーチと円窓、南西隅の塔をもつ明治期の教会堂の好例。
神戸ポートタワーは神戸市中央区波止場町の中突堤に建つ昭和38年(1963年)の高さ108メートルの展望塔で、登録有形文化財。わが国初の鋼管パイプフレーム構造で、直線材で曲面を構成したつづみ形が港神戸の象徴となっている。
兵庫県加東市の五峰山の頂近くに建つ光明寺本堂は、安政6年の焼失を経て、武田五一の設計により大正14年に再興された。銅板葺入母屋造の五間堂で四周に縁を回し、正面に3間の向拝をのばす。平成11年に国の登録有形文化財となった。