重要文化財
Important Cultural Property日本の重要文化財を一覧で検索できます。都道府県、時代、カテゴリーで絞り込み、詳しい解説を読み、地図や旅行のヒントで訪問計画を立てましょう。
大分県宇佐市の豊前善光寺に残る室町時代中期の仏堂。桁行七間、梁間五間の寄棟造で、短辺側から入る妻入の平面をとる。明治40年に国の保護建造物となり、昭和25年に重要文化財へ移行した。境内は拝観自由で外観は常時見学できる。
大分県国東市の泉福寺開山堂は、開山無著妙融禅師の石造無縫塔を覆うために建てられた堂。正面わずか4.01メートルながら細部は本格的な禅宗様で、寛永13年(1636年)の再建、昭和8年に重要文化財となった。
大分県国東市の泉福寺仏殿は大永4年(1524年)建立の禅宗様仏堂。曹洞宗寺院の仏殿としては最古で、九州唯一の中世遺構として平成13年に重要文化財に指定された。37か月に及ぶ全解体修理を経て、屋根は茅葺に復原されている。
大分県杵築市大田沓掛に立つ総高411センチの石造五重塔。昭和43年の解体修理で延元4年(1339年)の銘が見つかった。沓掛城主田原直平の供養塔と伝わり、昭和29年に国の重要文化財に指定されている。屋外にあり見学は自由。
大分県国東市国東町東堅来にある総高397センチの石造宝塔。元亨元年(1321年)に紀永貞が自らの逆修のため建てた国東塔で、在銘かつ完形のものでは最大とされる。昭和29年に国の重要文化財に指定されている。
大分県日田市豆田町の長福寺本堂は、寛文9年(1669年)建立で九州最古の浄土真宗本堂。波に雲龍の彫刻欄間と寛文当初の蓮池図が残り、平成18年に重要文化財に指定された。広瀬淡窓が24歳で塾を開いた学寮の寺でもある。
大分県竹田市の白水溜池堰堤水利施設は、大野川上流にある昭和13年竣工の農業用堰堤で、通称は白水ダム。軟弱地盤を守る武者返しが転波と呼ばれる水流を生み、意匠と技術の両面から平成11年に重要文化財に指定された。
大分県臼杵市深田の宝篋印塔は、通称を日吉塔という鎌倉後期の石造塔。凝灰岩の大石五個からなり総高は4メートルを超え、宝篋印塔として国内最大。昭和29年に重要文化財に指定された。満月寺の境内北端、竹林を背にして立つ。
清水寺本堂は長崎市鍛冶屋町にある寛文8年(1668年)の真言宗寺院の本堂で、重要文化財。中国人商人何高材の寄進で建ち、周囲を吹き放しとする平面や黄檗天井など黄檗宗仏堂の独特の意匠をもつ。長崎県下で最古の密教系寺院の本堂でもある。
西海橋は長崎県の佐世保市と西海市を結び伊ノ浦瀬戸に架かる昭和30年(1955年)の道路橋で、重要文化財。支間216メートルの鋼製アーチは当時国内最大で、わが国初の海峡横断橋として戦後長大橋の出発点とされる。
幸橋は長崎県平戸市岩の上町、平戸港の河口近くに架かる元禄15年(1702年)の高欄付きの石造アーチ橋で、重要文化財。平戸藩主が地元の石工に造らせたといい、扁平なアーチに貿易港として栄えたころの石造技術を伝える。
旧出津救助院は長崎市西出津町にある明治16年から18年(1883〜1885年)の授産・福祉施設で、重要文化財。ド・ロ神父が村民の窮状を救うため私財で建て、授産場、マカロニ工場、鰯網工場の3棟が急斜面に残る。
出津教会堂は長崎市西出津町、西彼杵半島の西岸にある明治15年(1882年)献堂の煉瓦造及び木造の教会堂で、重要文化財。ド・ロ神父の設計で、明治42年(1909年)に今の姿となった。見学には事前連絡が要る。
対馬南端の厳原町豆酘に建つ、19世紀中頃の瓦葺き民家。桁行13.9メートル、切妻造本瓦葺で、三間取に一間の入側を付した対馬独特の間取りと構架が評価され、昭和44年に国の重要文化財に指定された上層農家の遺構。
長崎・崇福寺の護法堂は、享保16年(1731年)に中国工匠が建てた重要文化財。中央に観音、右に三国志の関帝、左に韋駄天を祀る。扇垂木や挿肘木など黄檗様式の細部や、関帝像の頬に残る傷の言い伝えが見どころだ。
長崎市鍛冶屋町の黄檗宗・崇福寺の外門。嘉永2年(1849)に棟梁大串五郎平ら日本人工匠が再建した楼門で、龍宮門とも呼ばれる。境内で最も中国趣味が濃く、朱塗りの楼上には隠元筆と伝わる聖寿山の扁額が掲げられている。重要文化財。
長崎・崇福寺の鐘鼓楼は享保13年(1728)建立の重要文化財。上階に梵鐘を吊り太鼓を置く二重の建物で、軸部は唐人工匠、屋根回りは和様という日中の合作。丸窓や火灯窓、白壁と朱丹塗りの外観に見どころがあり、境内には国宝二棟もある。
長崎市鍛冶屋町の崇福寺に建つ媽姐門は、寛文6年(1666年)建立の三間三戸八脚門。海上守護神・媽祖を祀る媽祖堂へ通じる門で、菩薩門とも呼ばれる。前面に黄檗様式の化粧屋根裏を見せ、1972年に国の重要文化財に指定された。
平戸瀬戸を望む丘に建つ赤煉瓦の聖堂。黒島や外海から移り住んだ信徒が、棟梁・鉄川与助の設計施工により大正7年(1918年)に完成させた、彼の煉瓦造教会の到達点。八角ドームの鐘塔をいただき、2003年に国の重要文化財に指定された。
旧本田家住宅は、長崎市中里町にある江戸時代中期の茅葺の農家で、昭和44年に重要文化財に指定された。三間取りの平面をもち、開口部が正面のみの閉鎖的な構えで、県内最古の民家遺構と考えられている。