京都府・大正
Taishō京都府 の大正時代(1912 – 1926)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
京都市右京区京北の柴田家住宅風呂は、主屋の西北に建つ大正元年頃の小さな風呂棟。漆喰壁の腰を浴室側だけ煉瓦とし、浴室は腰に染付タイル、浴槽に小タイルを貼る。東寄りに脱衣場を設ける。2008年に国の登録有形文化財に登録された。
京都市右京区京北の柴田家住宅露地門は、主屋の式台玄関脇に袖塀を介して建つ大正元年頃の一間薬医門。間口1.9m、起りのある切妻屋根で、女梁・冠木・男梁を重ね、豕叉首の妻と全体の弁柄塗が見どころ。2008年に国の登録有形文化財に登録。
京都市北区の上善寺観音堂は大正7年(1918年)建立の宝形造本瓦葺の小堂。鞍馬口地蔵を祀った旧地蔵堂で、2016年の六角堂新築を機に観音堂となった。虹梁形の飛貫と円柱の結界が特徴。2017年登録、堂内は8月22・23日のみ開扉。
青蓮院青龍殿は京都市山科区厨子奥花鳥町の東山の山上に建つ、大正2年(1913年)の大日本武徳会京都支部武徳殿を平成26年(2014年)に移築した建物で、登録有形文化財。護摩堂の外陣とされ、高く吹き抜いた道場と千鳥破風をもつ。
神光院中興堂は京都府京都市北区西賀茂神光院町の神光院の本堂の北西に建つ大正6年(1917年)の仏堂で、登録有形文化財。宝形造の主体部の正面に入母屋造の屋根を付け、さらに唐破風の向拝を張り出す。円形の垂木の軒や屋根の構成に創意を見せる。
京都市右京区嵯峨の大覚寺心経殿。大正14年(1925年)に藤井厚二の設計で建てられた鉄筋コンクリート造の八角堂で、木造の円堂を模す。歴代天皇の勅封般若心経を納め、藤井厚二の住宅以外の珍しい作品とされる。
京都市上京区の尼門跡寺院、大聖寺の玄関。大正12年(1923年)建築の入母屋造で、東面に唐破風造・銅板葺の大きな車寄せを突き出し、応接室や内玄関を並べる。伝統的な和風建築に自動車への配慮という近代性を見せる。
京都市上京区の尼門跡寺院、大聖寺の東面築地。烏丸通沿いに表門から北へ59メートル延びる大正11年ごろの築地塀で、本瓦葺とし通り側に白線5本を入れる。にぎやかな烏丸通に落ち着きを与える重厚な築地塀である。
同志社女子大学ジェームズ館は京都府京都市上京区玄武町の同志社女子大学に建つ大正2年(1913年)の煉瓦造2階建の校舎で、登録有形文化財。W・ジェームズ夫人の寄付で建ち、武田五一の設計で、玄関に歯飾り付きの櫛形ペディメントを構える。
京都府八幡市の中村家住宅上の蔵は、大正6年建築の土蔵造2階建。桁行7.9メートル、北面の水切瓦や東妻の土戸両開が見どころで、放生川と安居橋の河岸景観に寄与する登録有形文化財として平成24年に登録された。
京都府八幡市の中村家住宅大歌堂は、大正6年頃に道頓堀弁天座の座主が別邸として建てた座敷棟。折上格天井の十五畳に三畳の上段の間と書院がつく上質な近代の書院で、現在は一棟貸しの宿として泊まることもできる。
仁和寺皇族門は大玄関から東へのびる塀の中ほどに建つ大正3年(1914年)の四脚平唐門。木割の細い繊細な姿で、大疎垂木の軒や透彫の欄間が見どころ。勅使門との違いと、仁和寺御所庭園での見学方法を紹介する。
仁和寺宸殿は明治20年の火災で失われた御殿の中心を大正3年(1914年)に再建した儀式の建物。亀岡末吉が寝殿造の外観と書院造の内部を組み合わせ、原在泉の襖絵が三室を飾る。南北の庭の眺めと拝観方法も紹介する。
仁和寺勅使門は白書院の正面に東を向いて建つ大正期の四脚唐門。本願寺唐門にならい、亀岡末吉が鳳凰や唐草を図案化した透彫で壁面と扉を埋めた。竣工年の資料による違い、無料で見られる位置、10月に門が開く機会も紹介する。
乃木神社記念館は京都市伏見区の乃木神社に建つ大正5年ごろの石造茅葺の建物。日露戦争で乃木希典の第三軍司令部となった民家を移築したと神社は伝え、文化庁は再現と伝わる建物と記す。腰石には漣痕の化石が残る。
乃木神社神門及び袖塀は京都市伏見区の乃木神社の北西の入口に建つ大正5年の門と塀。設樂貞雄設計の入母屋造銅板葺の四脚門は軒の反りが強く、台湾・阿里山の檜を用いたと伝わる。左右の袖塀は総延長27メートル。
乃木神社拝殿は京都市伏見区の乃木神社に建つ大正5年の拝殿。設樂貞雄の設計で、入母屋造平入の一室に格天井を張り、四周を蔀戸と高欄付きの縁で囲む開放的なつくり。正面の鴨居には後藤貞行作と伝える馬の絵馬額が掛かる。
乃木神社宝物館は京都市伏見区の乃木神社に建つ大正5年ごろの土蔵造2階建。1階に海鼠壁をめぐらせ、2階には乃木夫妻の祠と二重虹梁の小屋組がある。乃木希典直筆の書簡や静子夫人のドレスなど百数十点を収める。
乃木神社本殿は京都市伏見区の乃木神社に建つ大正5年の社殿。設樂貞雄の設計で、三間四方の入母屋造妻入に1間の向拝を付け、一段高い基壇の上から明治天皇の伏見桃山陵へ正面を向けて北面する。令和7年に登録有形文化財となった。
大正元年(1912年)に建てられ、平成14年(2002年)に現在地へ移された間口2.0メートルの腕木門。寺院などの古材を複数の建物から集めて組み、扉は七宝文で飾った両折戸とする。来歴は文化庁と京都市で説明が異なる。2003年登録。